「BBB」

BASEBALL馬鹿 BLOG

居酒屋さすらい 0951 - 釜ヶ崎を後にする出立の鮨 - 「大衆にぎり 親子寿し」(大阪市西成区萩之茶屋)

2015-12-25 23:40:07 | 居酒屋さすらい ◆立ち飲み屋

「難波屋」を出て、メインストリートを動物園駅に向かった。駅の手前に銭湯があった。人が鈴なりになって、出入りしている。

かつて日本堤の銭湯を訪れた際も、ものすごい人でごった返し、いも洗いみたいな状態を経験したが、果たしてこの湯屋もそうなのだろうか。

銭湯に入ってみたい衝動を抑えてボクは駅へ急いだ。

 

駅のガード下は暗く、一軒の立ち飲み屋があった。やけに立ち飲み屋が多い。線路と平行に走る大通りに何軒か店があり、そのうちのひとつに「親子寿し」という立ち食いの鮨屋がある。

ボクは立ち飲みよりも、この鮨屋に興味を持った。

釜ヶ崎の立ち食い鮨とはどんなものなのだろうか。店のテントには、「大衆にぎり」とある。

それは、一体どんな鮨なのだろうか。

 

暖簾をくぐるとカウンターだけの小さな店が現れた。

おやじさんがひとりカウンターに立ち、握っている。お客もひとり。小柄なお父さんだ。

 

あぁ、鮨屋に入ると酒が飲みたくなる。

日本酒をいただくことにした。小瓶の冷酒。

大将はオーダーがなくても握り、次々に皿に並べていく。それはいずれも素朴な鮨だった。

赤身にたこ、海老、すでに皿が並べられている。2カンから3カン、値段は1皿200円から。

安価である。これなら値段を気にしなくてもいい。

ボクもお皿をとって、つまんで食べた。味も素朴である。

 

ひととおり握ると大将は、奥に引っ込んでいき、かわりに若い男が現れ、鮨を握り始めた。

どうやら息子さんのようである。なるほど、親子で握る親子寿し。

歳の頃はボクとたいして変わらない。そうするとこの若い握り手は3代目か。3代の親子が、この釜ヶ崎を入口から見てきたというわけである。

 

「昔はどうだったんですか?」

ボクが若大将に尋ねると、「今はもうだいぶおとなしくなったみたいです。昔はもっと凄まじかった」。

その口調には実感がこもっていた。

その言葉尻から、ここは釜ヶ崎ではないというニュアンスが感じられた。この大きな通りを隔てた向こう側があくまでも釜ヶ崎であると。

この大きな通りは彼らにはどう映るのだろうか。現実的には数十mの通りだが、この町を出ていく境界としてならば、断崖のように遥かな響きを湛えているのではないだろうか。

 

たとえ、200円でも鮨が食べられること。

それは限りない贅沢である。

泥沼のようなドヤを抜け出す出立の日、この釜ヶ崎を抜けたところに、親子寿し。

その記念碑ともいえる第一歩をこの店で踏み出す。もしかすると、親子寿しは親子代々が、そうした人たちを何人も見送ってきたのかもしれない。

この町を出ていく登竜門。

タコをつまみながら、ボクはそんな思いにとらわれたのだった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ぬか漬けホーロー記 その17 | トップ | 【今朝の味噌汁】 20151221-2... »

コメントを投稿