「難波屋」を出て、メインストリートを動物園駅に向かった。駅の手前に銭湯があった。人が鈴なりになって、出入りしている。
かつて日本堤の銭湯を訪れた際も、ものすごい人でごった返し、いも洗いみたいな状態を経験したが、果たしてこの湯屋もそうなのだろうか。
銭湯に入ってみたい衝動を抑えてボクは駅へ急いだ。
駅のガード下は暗く、一軒の立ち飲み屋があった。やけに立ち飲み屋が多い。線路と平行に走る大通りに何軒か店があり、そのうちのひとつに「親子寿し」という立ち食いの鮨屋がある。
ボクは立ち飲みよりも、この鮨屋に興味を持った。
釜ヶ崎の立ち食い鮨とはどんなものなのだろうか。店のテントには、「大衆にぎり」とある。
それは、一体どんな鮨なのだろうか。
暖簾をくぐるとカウンターだけの小さな店が現れた。
おやじさんがひとりカウンターに立ち、握っている。お客もひとり。小柄なお父さんだ。
あぁ、鮨屋に入ると酒が飲みたくなる。
日本酒をいただくことにした。小瓶の冷酒。
大将はオーダーがなくても握り、次々に皿に並べていく。それはいずれも素朴な鮨だった。
赤身にたこ、海老、すでに皿が並べられている。2カンから3カン、値段は1皿200円から。
安価である。これなら値段を気にしなくてもいい。
ボクもお皿をとって、つまんで食べた。味も素朴である。
ひととおり握ると大将は、奥に引っ込んでいき、かわりに若い男が現れ、鮨を握り始めた。
どうやら息子さんのようである。なるほど、親子で握る親子寿し。
歳の頃はボクとたいして変わらない。そうするとこの若い握り手は3代目か。3代の親子が、この釜ヶ崎を入口から見てきたというわけである。
「昔はどうだったんですか?」
ボクが若大将に尋ねると、「今はもうだいぶおとなしくなったみたいです。昔はもっと凄まじかった」。
その口調には実感がこもっていた。
その言葉尻から、ここは釜ヶ崎ではないというニュアンスが感じられた。この大きな通りを隔てた向こう側があくまでも釜ヶ崎であると。
この大きな通りは彼らにはどう映るのだろうか。現実的には数十mの通りだが、この町を出ていく境界としてならば、断崖のように遥かな響きを湛えているのではないだろうか。
たとえ、200円でも鮨が食べられること。
それは限りない贅沢である。
泥沼のようなドヤを抜け出す出立の日、この釜ヶ崎を抜けたところに、親子寿し。
その記念碑ともいえる第一歩をこの店で踏み出す。もしかすると、親子寿しは親子代々が、そうした人たちを何人も見送ってきたのかもしれない。
この町を出ていく登竜門。
タコをつまみながら、ボクはそんな思いにとらわれたのだった。
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