携帯電話のない時代に生まれた者にとって、電話はひとつの関所だった。初めて電話をかけた日のことを今も覚えている。いきなり、間違い電話をしたのだった。やがて、彼女が出来、電話を頻繁にするようになったが、そこで立ちはだかるのは、彼女の父母だった。彼女の家に電話をかけると、ほぼ必ず、彼女のお母さんが不機嫌に出た。自分にとって、強敵な電話交換手だった。
電話交換手という仕事を自分は知らない。自分が物心つい . . . 本文を読む
エスコンフィールドのスタジアムツアーを終えて、研究会は終了した。会員は一路、新千歳空港に向かうのだが、途中、バスは北広島駅に寄ってくれて自分を降ろしてくれた。自分だけ、札幌に戻るのだ。
実は小樽の兄貴と北の大地で会おうと、一日帰宅を遅らせたのだ。ところが、みーさんは自分と入れ替わるように内地に行った。だから、この後の予定は全く白紙になってしまった。
ただ、夜は久しぶりにビール園に行こうと思った . . . 本文を読む
札幌出張翌日は北海道日本ハムファイターズの新本拠地、エスコンフィールドの見学である。試合が開催されていなくても、スタジアムの見学ツアーなどを有料(1,800円)にて行ってくれる。しかもファイターズガールのアテンド付きだ(きつねダンスは付いてない)。
しかし、すごいスタジアムだった。
天然芝で、しかも開閉屋根付き。広い敷地をふんだんに使い、なだらかな傾斜の観客席はフィールドとの距離がとにかく . . . 本文を読む
4月14日(日)スターバックスコーヒーの「サイレンブレンド」と ビゴの店 東京ドームシティ ラクーア店(文京区春日)の「パン・ドゥ・ミ」/肉詰めピーマンとポテトサラダ
こんにちは。
今日はもう暖かいというより暑いです。
案の定、ランニングは途中でばてました。7kmを過ぎてから、タイムが1km6分台に転落し、その後坂を転げ落ちるように失速。8.1kmでリタイアしました。
岩淵水門北のBB . . . 本文を読む
「福ちゃん」を出て、解散となった。
キャバクラにも興味があったが、誰からも誘われなかったので、彼らとは逆の道を歩いた。翌日、記者仲間から聞いた話しでは一人4万円払ったらしい。行かなくて良かったと思った。若干、飲み足りないなと立ち飲みを探している途中で、ガラス張りの向こうに大勢のバニーガールがいる店があった。
「ガールズバー ミリオン」というらしい。
まさに酒池肉林。
一瞬入ろうかとも考えた . . . 本文を読む
研究会が終わり、すすきのに移動した。
5年ぶりの札幌。なんだかワクワクする。
懇親会はホスト役のRツーのOわ社長、行きつけの店へ。
「福ちゃん」という年季の入った居酒屋さんである。
紺色の暖簾が歴史を感じさせ、渋いカウンターを抜けて、小上がりに通された。地下にあるお店で、ちょっと暗い。
細川たかしさんの名曲、「北酒場」は軽快で湿っぽさはないが、北の酒場のイメージは「福ちゃん」のような電灯 . . . 本文を読む
5年ぶりの札幌は雨だった。
某研究会からの依頼による講演の仕事。予定より早く家を出て、カラオケボックスで講演の練習。その練習を終えたところで、新札幌の駅ナカにあるスタンドそばに向かった。12年前、新札幌から室蘭に行く際、そのスタンドそばに寄るかどうか悩んだ覚えがある。結局、列車がちょうど来たからやめたけど、それ以来の雪辱だ。
新札幌といいながら、地味な駅。
そこにある駅そばの店名は「両国」。 . . . 本文を読む
さてさて、飲み直し。東十条で2軒目といったら、あそこしかない。
「土鍋・大餃子」。
この月3度目の訪問。そしてT根は初訪問。
店の右奥角にポジションさせてもらった。さて、「ホッピー」でも飲み直すかね。さっきのピリピリムードから一変、リラックスモードに入る。
まずは「冷製きゅうり」から。
T根をまじまじと見る。彼も頭髪に白いのが目立ち始めた。初めて会った時、T根はまだ20代 . . . 本文を読む
東十条は立ち飲み屋が少ない地域だったが、東十条銀座に2軒の立ち飲み屋が出来て、その状況が変わりつつあった。確か、「えいちや」怪鳥がLINEで教えてくれた店で、いつか行ってみようと思っていたが、なかなかその機会にありつけなかった。今回、T根と飲むことになって、ようやく訪問が叶った。
お店は南口方面。かつて自転車で駅まで通っていたことはあるが、この5年は来る機会が減った。南口は寂しいのである。とはい . . . 本文を読む
4月7日(日)Workshop・さくら(小樽市手宮)のマンデリンとPascoの「イングリッシュマフィン」
おはようございます。
原稿料は自ら設定して営業してきましたが、唯一先方から「この金額でお願いします」と言ってくる会社がありました。
拙ブログでもたびたび登場するYちゃんの会社です。
極めて安価な価格でしたが、これからのことも考えて了承しました。
それから3年間、世の中がこれだけ原 . . . 本文を読む