「最初は『福祉』という言葉がよく分からなかった」
それまで某大手企業でプラント技術者として働いていた片山にとって「福祉」という言葉は知っていたが、自分とは無縁の世界だと思っていた。
ましてやそうした仕事に自分が関わることになろうとは想像もしていなかったに違いない。
そんな片山が同センターの設立に関わるきっかけになったのは、正月明けにかかってきた1本の電話だった。
「県が吉備高原に障害者の能力開発センターを作る計画がある。その起ち上げをする人間を探しているんだが、引き受けてもらえないか」
電話口でそう言われたが、寝耳に水。正月に帰省していた時にもそんな話はなかった。
第一、いま勤めている会社を辞める予定などなかった。そこにいきなりそんなことを言われても、というのが正直な気持ちだったに違いない。
だが、電話はその後も何度かかかってきた。
時を前後して、
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それまで某大手企業でプラント技術者として働いていた片山にとって「福祉」という言葉は知っていたが、自分とは無縁の世界だと思っていた。
ましてやそうした仕事に自分が関わることになろうとは想像もしていなかったに違いない。
そんな片山が同センターの設立に関わるきっかけになったのは、正月明けにかかってきた1本の電話だった。
「県が吉備高原に障害者の能力開発センターを作る計画がある。その起ち上げをする人間を探しているんだが、引き受けてもらえないか」
電話口でそう言われたが、寝耳に水。正月に帰省していた時にもそんな話はなかった。
第一、いま勤めている会社を辞める予定などなかった。そこにいきなりそんなことを言われても、というのが正直な気持ちだったに違いない。
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