行けばよかった

2013年03月06日 | 小説

小説の日だった。
家では、綴方教室と揶揄されるが(苦笑)

前回に講評を受けたばかりなので、私の足取りは軽やか。
先生は辛口批評なので、時々めげるが、最近は歳のせいかだいぶ批評がユルクなったような。
というより、同人は10名足らずだが、みんな書きなれていて上手。

私は経験が無いけれど、こういうグループで揉めることは、同人同士の批評が批判になってしまうかららしい。
幸いな事に、皆楽しくまとまりがよく、私は途中で入ったけれど違和感がないのが良い。
書いているジャンルもそれぞれ違うし。

その先生が立て続けに評論本を出し、先週その出版記念トークライブが開かれた。
私は、夜だし寒いので遠慮させていただいたが、参加された方の話によると先生を含め招待者のトークが加熱して色々な意味でなかなか面白かったとか。

あ~あ、言葉が加熱する場面は見たことが無いので行けばよかった。

 

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やはり紙の本

2013年02月12日 | 小説

電車内でタブレットなど電子書籍で読書をする人を多く見かけるようになった。
今日も、隣席の人が読んでいるタブレットをつい横目で…
実は私もちょっと興味があったし、楽譜にも便利だろうなと思ったり。

ただ、実際に使用している人の意見や感想はどうなんだろうと思い、検索してみた。

本を読むときに活動する脳の部位が、本とタブレットでは異なる気がする
脳の部位?
読み返したいところがすぐ見つからない、紙だと読んだところが膨らんでいたりして…
う~~ん、確かに。

結局、読んだ気がしない…そんな意見が一番多かった。
紙の本に慣れてしまっているから、電子書籍に慣れてくればどうなのかとは思うけれど。

しかし、私はやはり従来の紙の本が好き。
書棚に好きな本が並んでいるのを眺めるのも好きだし、手軽に手にとれるところも。
そして、その本を買った頃の自分を思い出したり、痛んだ表紙を愛おしく思ったり。
厚い本のしおり紐の位置が、少しずつ動いていくのを目にするのも達成感が。
私は好きな本は、何度も読み返す。
その時に、本や読みたかった箇所をちゃんと目や指先が覚えている、その感覚が私にとって大事なのだ。

 

 

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銀の匙

2011年07月31日 | 小説


某文藝評論家の先生に誘われて、同人のグループに入ってから半年経った。
常時見える人はいつも7,8人だが、年齢も職業もいろいろ。

書くものもエッセイだったり、時代小説やラノベだったり、これだけは死ぬまでに書くと自分に課していたり、それぞれ志や書く分野が違うけれど、大いに刺激を受ける。
因みに今、私が書いているのは伏線を張り、オチを考えるのが楽しいけれど、それが反面辛くもある、初めてのミステリー。
男性を主人公にしたのだが、この男の情けなさやダメさ加減をもっと書き込むようにと、いろいろ批評された。
あ~~、難しい。

帰りの電車でご一緒した同好のおじ様が、さかんに鞄の中を探し回っている。
いつものごとく、妄想癖の私。
付け文(古っ)でもされたらどうしよう?なんて思っていたら(嘘、笑)  
鞄の中から出てきたのは、中勘助の「銀の匙」だった。
「今、注目の本ですが、是非読まれると良いですよ」と渡されたので早速お借りすることにした。

この本を教材に使ったという灘高の先生の話題は有名だ。
そういう流行り物には手を出さない私だが、結局1日で読んでしまった。

この本の価値を最初に認めたのは、夏目漱石とか。
内容は27歳の中勘助が、少年時代の記憶を基に文章を綴ったもの。
古い茶箪笥の引き出しに入っていた銀の匙がみつかり、それが欲しいと母親に願う。
母親は、何故銀の匙が引き出しに入っているのかと話し始める、中勘助の自伝的小説。

それにしても、まるで細密画を観ているように、子供の心理やその世界を描く緻密さには、その時代を知らない私なのに、懐かしい感情がいつしか湧きあがってくる。
今、そこで目にしているように情景がそのままが描かれ、読み進めば進むほどリアルさに感動してしまう。

近頃、子供の頃が懐かしくて…という、ちょっとお疲れ気味の大人にお勧めの本です。

              

              

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ラオコオン

2011年06月29日 | 小説


今夜のテレビ番組表を眺めれば、今夜もほとんどバラエティーばかり。
たまに観るには面白いかもしれないけれど、こういうのばかりでは…
折角の大画面テレビの出番が少なく、泣いている。

注文していた本がメール便で届いた。

先日のこと、そんな大画面テレビで、いつになく真面目な番組を観ていたら、それをきっかけにある本のことを唐突に思い出した。

あの本よいずこ、と家の中を探しても例の如くみつからず、その本のことさえ何十年も忘れていたというのに見つかるわけがない。

何回かの引越しで、無くしたよう。
すると猛烈に読んでみたくなり、結局ネット検索の注文となった。
しかし、現在は絶版ということで、本来840円の文庫本が中古で2000円以上。
初版に到っては、48000円とはオドロキ。
やっと見つけた古書店のサイトでは、2版がナント450円だったので、即注文。
ホントに古書。(笑)

その本とは、確か美学の授業で紹介された、レッシングの『ラオコオン 絵画と文学との限界について 』

途中でギブアップした記憶がある。

ローマで発掘された彫刻ラオコオン像を巡って、文学と造形美術の限界を明らかにしていくらしい(本気で読み始めたばかりだから、まだ内容はイマイチ)
近代芸術論の基点をなす名著で、「絵は無声の詩、詩は有声の絵」の対句は有名。

送られてきた本は2版で、星が4個だから当時星1個が40円か50円。
だから200円くらいかも。
今は文庫には星なんぞはついていないから、星の意味が分からない人の方が多いかもしれない。

ところで、今回本の検索をしていたら、故中川昭一氏がバチカンで柵を越えてこのラオコオン像に触れて警報が鳴ってしまったという記事があった。

色々と物議を醸す、このラオコオン。

ラオコオンの右手が途中で見つかり、後に手の位置が変わったことも。
私の本では、古い方の右手。

        
        紀元前50年頃につくられた ラオコオン像

 

私と言えば、今度はギブアップせずに、完読できると良いけれど。

            

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「モス」 って

2011年06月26日 | 小説

河野多恵子の短編を読んでいたら、こんな一文が。

 彼女はモスと呼ばれていた。
英語の母なる、マザーの末尾のイー・アールを除くと、モス。
それは蛾とか…
(途中割愛)
それにしても、イー・アールを付けたり、取ったりすると、どうして母になったり、虫になったりするのだろう。
虫と母には、何かの意味で関係があるのだろうか。


う~~ん。
確かに、そうだ。
モスは苔と言う意味もあるけれどね。

それにしても、蛾と母?
モスラ?(これは関係ない)
英語圏の人は、このトリビアについて知っているのだろうか。

その上、私はモスバーガーと聞くと、蛾の姿が頭を掠める。
MOSで蛾のMOTHではないとはいえ、どうも気になるのだ。

このように瑣末なことが気になることをトリビアリズムというそうな。
私は、さしずめ立派なトリビアる人かも(苦笑)

             

コメント (2)
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