母の物忘れが加速中。
それが年齢のせいと解ってはいても、何度も同じことを言われたり聞かれたりすると、私のストレスは頂点に達する。
今日も「せとか」という名前のみかんを買った。
食後に母に勧める。
母「これ美味しいね。なんというみかん?」
「『せとか』という品種のみかんよ」
5分も経たないうちに
「これ何というみかん?」
私「一番上に『せ』という文字がつく名前のみかんよ」
私はまたかと思いながら、意地悪さをふくんだささやかな抵抗を。
母「??」
私「せとかよ。~~~。1回口に出して反芻してみたら。何度も答えるのはもう嫌!」
それなのに、1分も経たないうちにまた同じ質問。
私の眉間の皺が、いちだんと深くなった一瞬だった。
確かに、今回のせとかは瑞々しく、感動するほど甘味たっぷりで美味しかった。
そのくせ、母は事件やニュースには私より詳しいのだ。
母の頭の中はどうなっているのか?
ふいに、私はその柑橘の名前をきっかけに、子供時代の古いエピソードを思い出した。
子供の頃は、誰でも見るもの聞くものすべてが珍しく新鮮なのだ。
そんな私は「これなぁに?あれはどうして?」と様々な場面でくどいほど母に訊いた。
すると、母は決まって「見たとおりよ」とイイカゲンに答える。
最初はちゃんと答えていても、だんだん面倒くさくなるのは解るけれど…
そのうちに、これは何?と尋ねた幼い私が「これは、見たとおりでしょ」と自分で答えるようになったとか(苦笑)
何度も同じことを聞く母に、今度こそ「見たとおり」と答えてみようと思っている私がいる。