2011 3.11 誰もが忘れられない日。
あの年は、私にとっても姉と愛犬を送った忘れられない年になった。
あれから2年経ち、当時盛んに飛び交っていた「絆」の文字も言葉も、今日はひとつも聞いていない。
福島の今を語るアナウンサーの口からも。
私が聞かなかっただけだったのだろうか。
福島は我が家にとって身近な場所だった。
テレビで浪江の請戸漁港の、震災前と今の姿を映していた。
警戒区域で津波と原発の放射能のダブルパンチの地域だ。
港を前にした旅館に2度ほど、ホッキ貝や鮑を食べに行ったことがあった。
その旅館も津波によって壊滅し、未だに漁業組合の建物も手付かずの状態。
南相馬の小高に、埴谷雄高と島尾敏男の文学資料館があるのを知り、訪ねたこともあった。あの資料館も今はどうなっているのだろうか。
原発をはじめ様々な問題があるとはいえ、復興への進行は2年経っても未だみえない。
かつての浪江町 請戸