赤ちゃん誕生

2008年07月29日 | diary
今月は旅行が入って休んだりと、3週間ぶりに出かけたピアノレッスンだった。

そして、今月末はヴォーカルの先生であり、先生の奥さんが出産の予定なのだ。
その事も、少し気になっていた。

私の前のレッスン時に、大学のジャズ研にいるという学生さんがいる。
羨ましいほどピアノが上手。
彼が終わり、夏休みの旅行の話から、私が行ったアンコールワットの話題になり、その学生さん「アンコールワットは僕も是非行きたいんですよ」と話題はそちらへ流れ、しばし盛り上がった。

そして彼が帰った途端、待っていたように「昨日産まれたんですよ…」と堰を切って先生が話し出した。
初産は遅れるというので、来月早々かしらと思っていた矢先、昨日無事に出産なさったとのこと。
私も、その報告を聞いて一安心した。

今は、夫が出産に立会うのが病院側の意向らしく
夫から見た妻の辛い陣痛風景や、いかに女性が大変なことに立ち向かうのか
それを経験して、先生は改めて自分の母親への感謝の念が湧いた事などを話してくれた。

携帯で撮った、生まれたてホヤホヤの赤ちゃんの写真も見せていただき
しかし、出産は間際まで分からないのが定説。
やはり始まったら計画通りにはいかず、結局帝王切開になったそう。
それ以外、何事も無く赤ちゃんが生まれたのが何よりだった。

結婚なさってから11年目のオメデタだとか。
退院なさったら、赤ちゃんを見せてくださるというので、楽しみにしている。

私は、甥や姪が沢山いても誰も結婚せず、ましてや赤ちゃんの話題など他人事。
赤ちゃんだって、最近は見たことが無い。

そんな小さな子供のいる世界は、今の私にとってはまるで異次元のように感じる。

何はともあれ、11年目で父親になった先生おめでとう!
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ちょっとしたお土産

2008年07月27日 | my favorite things
旅行も終わり、押せ押せになった様々な行事も片付き、やっと日常が戻ってきた。

昨日は、旅行のちょっとしたお土産があるの、と、友人2人を家に招いた。
互いの家に伺う時は、絶対に手ぶらでというのが私たちの合言葉だけれど
女性は結構プレゼント好き。

もしかしたらプレゼントされるより、するほうが好きかもしれない。
私も、相手の好みや顔を思い浮かべながら、あっちのお店こっちのお店へと、商品の間を縫って、プレゼント用品をじっくり探すのが好き。
だから、雑貨屋さんは人気なのでしょう。

エネルギーのある若い頃は、それこそ手作りのケーキを焼いて持っていったりしたけれど、今はそんなエネルギーとてもありません。

案の定、ふたりからちょっとしたプレゼントを頂いた。
頂き物の映画の招待券を、私が旅行中で行けないからと、2枚プレゼントしたので、そのお礼もあるらしい。





                            


頂いたのはMADUの手作りグラスのペア。
これはちょっとした物ではないと思うけれど、嬉しく頂いた。

私もアンコールワットのお土産をふたりに渡し…
ジム・トンプソンのハンカチの好きな柄を、それぞれ選んでいただき
そして胡椒も。

現地でガイドさんにお土産のことを伺うと「ここは何も無いんですよ」とのつれない答えが返ってきた。
強いて言えば、胡椒と、カシューナッツ、椰子のお砂糖そして岩塩だとか。
そんな現地の胡椒を沢山買いました。




お土産の胡椒は、椰子の葉で編んだ入れ物に入っている。
紅い籠は、中に粒胡椒が。


確かに、現地のお店そして空港の免税店でも、殆どがタイの商品ばかりだった。
私が今回買ったちょっとしたお土産は、タイシルクと謎の失踪事件で清張が本にまで書いたジム・トンプソンのコットンのハンカチ。
シルクの物なんて買えません(笑)


                         


ハンカチは東京で売っている、ちょうど半分の価格。
象のプリントがメインだけれど、南国の鳥や花のプリントが素敵で色彩の鮮やかさで好きなのだ。
隣国のお土産っていうのも変だけれどね。

ちょっとしたプレゼントの交換会でした。


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懐かしき パウンドケーキ

2008年07月25日 | my favorite things
お取り寄せって、大好きです。
取り寄せる前に地図を眺め、近ければドライブがてら買いに行ってしまう事もあります。

今回のお取り寄せは、京町家で頂くフレンチに魅せられて、京都に行くと必ず寄らせていただく 
FRENCH O・MO・YAのSECOND HOUSEさん。
そこの東洞院店のケーキワークスで作られているという、パウンドケーキです。

http://www.secondhouse.co.jp/index.html

先日の旅行先で頂いたケーキと言えば、旅行先はカボチャの故郷のカンボジア。
その、カボチャプリンのみ
それも小さな小さな一切れ。

久しぶりに、お店のHPをのぞくとバナナナッツパウンドケーキ、通称バナパンというらしいです。
その記事が載っていました。
甘くて美味しい物が食べたい食べたい…と思っていた矢先。
そのバナパンと、オーソドックスなフルーツケーキを、今回お取り寄せしました。





可愛いピンクの箱に入れられて家にやってきました。
バナパン、とても美味しかったです。
今まで頂いた事の無い味わいでした。
バナナマフィンのような、そんな味わいを想像していたのです。
バナナがたっぷりと、そして私の大好きなくるみが入っているのがお気に入り。


                      


初めて口に入れた時に、結構濃厚な感じがして一瞬黒砂糖のケーキの味わいを感じました。
そのうちに、バナナの香りが口の中に思いっきり広がって…
バナナがたっぷり入っているのがわかります。

そして、トースターで焼いても…と書いてあったので焼いてみると
かりっとすると同時にバナナの香りが立ち、それがまた美味しかったです。

私は、パウンドケーキは厚く切って頂くのが好みです。
また違う種類を取り寄せましょう。

これを書く頃には、両方とも頂いてしまった後で、既にありませんが…(笑)





パウンドケーキには、思い出があります。
子供の通っていた幼稚園は、すべてに手作りの幼稚園。
バザーが近づくと、手芸用品を制作したり
そして、毎年レモン味のパウンドケーキを幼稚園レシピで、何10本も焼くのです。
そのレシピを、イラスト入りで書くのが、いつも私の役目。
キッチンを提供してくださる方の家や幼稚園で、流れ作業で沢山焼きました。

そしてバザーで完売をする頃には、すっかり母親同士が打ち解け、私は未だに子供抜きで交際が続いています。

しかし、そんなパウンドケーキを焼かなくなってから随分と経ちました。

幼稚園レシピも忘れ、私の作ったリーフレットも無くしました。
多分、作る腕そのものも落ちていることでしょう。

お取り寄せのパウンドケーキを頂きながら、ふと、忘れかけていた幼稚園時代の様々な人たちを沢山思い出しました。
街中で出会うことも無くなり、みんなどうしているのでしょう。

あの頃のケーキを焼いている人は、いるのでしょうか。

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マイホーム セッション

2008年07月21日 | jazz
暑い暑い日曜の午後、ベーシストのUさんが、エレキベースを抱え我が家にみえた。
Uさんとは、お互いまだ1回しか会っていない。
彼もまさか、アンサンブル相手の家にまで行くとは思わなかったのでは…。
私だって、こんな成り行きになるとは。

迎えに出た車の中で「他人の家に伺うのって、気が重かったでしょ」と訊ねると、あっさり「はい」。
そして、私は言い訳がましく、練習不足をカンボジアから帰ったばかりなので…と言えば、Uさんは5月にインドをひとりで巡ったというアジア繋がりで、何となく打ち解け始めた。
いちおうホッとした(苦笑)

if i should lose you は結局5回セッション。
慣れてきて、緊張感が緩むとつっかえる。
ベースソロが終わりピアノが入るところを、4小節もはしょったり、ベースのウォーキングが始まると焦ってビミョーな入り方をしたり…
相手の演奏をしっかり聴くのが鉄則だけれど、ああここはこういうアドリブなんだ…などとつい聞き惚れたりして、結局今どこだっけとわからなくなるのだ。
まして4ヴァースなんて交互に入るだけなのに、ちょっとしたところでリズムを崩したり…

結局、私が入り方に失敗したら、上手くあわせて下さるように、よ~くこの機会にお願いをさせていただいた。

録音したものを聴けば「結構いいじゃないですか」とふたりで自画自賛。

そして、先生が最初に指定した速度152で演奏したほうが、もっと良いのではないかという結論に達した。
私はまだ140がやっと。
速いと、特にイントロでつっかえるリスクもすごく大きい。
イントロのアドリブを弾きやすく変えるかどうか、私の課題になった。

その後、課題曲にも飽きてしまい、いくつか別の曲をセッションしたりした。
Uさんがたまに行くらしい、超初心者もOKというジャムセッションで有名な、池袋のマイルス・カフェの話や、何故、ラファロやP・チェンバースが好きなのかなど、そして楽器が違うと私の知らない演奏上のエピソードもあり、なかなか興味深かった。

たっぷりリキの入った3時間ちょっと。
Uさんの方が多分疲れたと思うけれど、私もあ~~疲れた。

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アンコールワット

2008年07月19日 | おでかけ
                

関東地方は、梅雨が明けたのだろうか。
今年は例年より、雨が少なく連日のように暑さが続いている。

そんな暑さの中、カンボジアのアンコールワットへ行ってきました。
行く前は、周囲の人たちから死にそうに暑いらしいなどと脅されたけれど…

舗装道路やエアコンの放射熱など、熱の逃げ場の無い暑さが、もろに体を刺す日本のヒートアイランド。
木陰に入れば、涼しくてホッとするカンボジアより、そんな日本の方が暑い。


しかし、暑さの中を歩き続けたり、傾斜角の大きい階段を上ったり下ったりと、1年分の汗を大地に落とした。

おまけに、事前にヘアマニキュアをしていったのが運のつき。
汗と共にマニキュアのカラーは流れ、帽子は染まるし、Tシャツには点々と茶色い染みが。
ああ、情けない。トホホ・・・

アジアへの旅は、今回が初めて。
夫は友人達とタイへも出かけたけれど、私は赤道が近い故の酷暑とエスニック系の食べ物が苦手なので、誘われてもパス。
しかし、今回は世界遺産のアンコール遺跡巡りというので、ぎりぎりまで迷っていた。

私は体力が無く、その上暑いと血管が開き、頭痛が始まり気も失いそうになるのだ。

とはいえ、滅び行く文明や世界遺産には、やはり惹かれた。
密林に埋もれていたアンコールワットやマヤ、インカなど、ジャングルの中に少しだけ頭を出していた建造物を飛行機から見つけたなどと、まるでインディ・ジョーンズの映画のようでわくわくしてしまう。

しかし、カンボジアの永年の酷い内戦のことはまだ鮮明に記憶に残っていて、複雑な想いはあったが。

バンコク経由でシェムリアップへ。
そこからアンコールの遺跡巡りが始まった。


          


     アンコールワットの南大門




遺跡群に入るのには、写真入のチケットを作ってもらう。
3日券で40USドル、それを遺跡の入り口で毎回提示をする。




アンコールワットのクメール建築の荘厳さと共に、壁のレリーフも見事。

                  アンコールワットを作った王様
                

 アプサラ





三島由紀夫の戯曲の題材になった「癩王のテラス」
あまり人が訪れないのか、迷路のような壁面に彫られた閻魔さまの顔には蜘蛛の巣が張っていた。






     タ・プローム


王が母親の冥福を祈って建てた寺院。
これぞアンコールというような景観。
ガジュマルに覆われかつて、密林の中に埋もれていた遺跡の様子を現している。





             


     アンコール・トム




                   



     東メボン





     バンテアイ・スレイ

かつて、フランスの作家アンドレ・マルローが国外へ運び出そうとして逮捕された、美しい女神像たちを沢山見ることができる。
しかし、どこの遺跡でも首が無かったり、壁面の一部が剥ぎ取られている像の多いことに驚いた。
ほとんどが盗まれて、国外などに運ばれたらしい。





                   



大きな遺跡では、地雷で足を失った人たちが音楽を奏でている。






       バコン









    プノンパケン山からみる夕日




    カンボジアの大地



     小学校


途中でトイレを小学校で借りた。
小学校から高校まで無償とか、しかし、学校数が少ないので午前午後と2部製。
学校が無い時には、遺跡で観光客にお土産を売って生活を助けているのだ。



アンコールワットには、日本人の落書きが、未だに残っている。
1600年代に父親が加藤清正の家臣だったという森本右近太夫が、父の菩提を弔う為にアンコールワットを祇園精舎だと思い込み、なんと落書きまで残した。





カンボジア料理は、気にしていた香草も少なく、しかし生春巻きに入っていた香草は家のドクダミの強い香りがした。
餃子風あり焼きそば風あり、豚肉や近くの淡水湖で取れるという雷魚や草魚のから揚げの中華料理に近いものだった。
そしてココナッツミルクのカレーやタイ風のお鍋料理もあり、味付けは甘い。
カンボジアはカボチャの故郷。
パンプキンプリンが、唯一のスウィーツだった。


現地ガイドさんに一般的な食べ物事情を伺うと、犬や猿も食すらしい。
犬の中で、一番美味しいのが黒い犬だとか。






土地のマーケットに行けば、冷蔵施設が無い中で肉や魚が売られ、その匂いには参ったけれど、戦後の日本の姿ってこんな感じではなかったかと髣髴とさせた。




                           



アンコールにはまだ整備されていない遺跡も含めて、数え切れないほどの遺跡が未だに、密林の中に残されていると言う。

日本のODAの努力で、道路や橋など様々な生活に必要なライフラインが建設されている。
あと10年も経てば、大分様子も違ってくると思うが、まだ復興から立ち上がるには時間が必要にみえた。

今回、感心したことは、現地ガイドさんの日本語の上手さだった。
それを褒めると、日本語は1年間しか学んでいないとか。
現地に山本学校と言う学校があり、そこで1年学び観光関係の仕事に皆つくらしい。
それにしても1年間で日本語が上達するだなんて、是非その学びの秘訣を知りたいものだ。


10数か所の沢山の遺跡を巡り、写真を沢山撮ったのは良いけれど、どこがどこやら分からなくなった。
遺跡って、みんな似ているんですもの~~。
         イイカゲン!


同行は夫の友人達そして、私夫婦を含めて総勢6名。
女性は私のみ。
しかし皆、昔から知っている人たち。
電話では話すことはあっても、何年ぶりの再会の印象は「わぁ~老けた!」
多分、あちらも私を見て同じ事を思っているはず(笑)
こればかりは、お互い様。

トラブルも無く充実した旅行だった。
初めて経験したタイ式マッサージもなかなかgood。
コメント (3)
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