忙しない朝

2010年02月26日 | diary
午前10時から、父の介護保険認定の聞き取り調査の予定だった。

要支援でとりあえず元気な父は、現在は何もサービスは受けていないので、私は保険の更新時期をすっかり忘れていた。
そのうえ、送られてきた更新の書類を私に渡さずに、自分で勝手に解釈をしそのまま放っておいたのだ。
父はしっかりしているようでも、様々な理解力は確実に衰えている。

結局、保険期間が切れていたので、新規の申請になった。

そして40分ほどの調査が終わり、ヤレヤレとお茶を飲んでいると、ピンポンとチャイムが鳴った。
出て行くと警察官が立っていた。

そういえば聞き取り調査の方が、家の前で女性がひったくりにあったのを見かけた、という話をしていたばかりだった。
そのひったくりの聞き込み調査だった。

今日は色々調査される日だ。

結局、私は何も知らないので答えようが無く、次に警察官は前の家に入っていった。
しかし、調査の方はひったくられる瞬間を、後ろから見ていたらしい。
二人乗りのバイクの後部座席の男が、女性の自転車の後籠に入れた荷物をひったくり、猛スピードで逃げていったそうだ。

この手の犯罪が増えていると、TVでも盛んに注意を喚起しているが、家の前で実際にそんなことが起きたなんて恐ろしい。

因みに、ひったくられたものは、女性がこれから向かうカルチャーセンターで習っているハーモニカと楽譜だそう。
金目のものをひったくったとはいえ、ハーモニカでは……
引ったくり犯も、これで懲りれば。
いえいえ、盗られた女性にとっては、大事な楽器。

て大怪我をする場合もあるそうで、私も後の籠にも注意をしましょう。

そして、ヤレヤレ、今日一番、話題のフィギュアをゆっくり観ましょうとTVを付けたら
今度は電話。

友人からの美術館のお誘い。
それも長谷川等伯。
観てしまったことを話し、ちょっと興味のあった西洋美術館での「フランク・ブラングィン展」へ来週行く約束をした。

そして、昼食を食べて、さぁ、これからがフィギュアの最後の組。
それもマオちゃんが滑り出したら、また電話。
う~~ん、勘弁してよ!と思ったけれど、仕方がなく電話に出たら、霊園の宣伝。

やはり、ナンバーディスプレイをつけるべきだわ、と思った瞬間だった。
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春みたいな

2010年02月24日 | art
一気に春がやってきたような、暖かい一日だった。
しかし、ここで油断をしてはいけない、私の今月の誕生日前後はいつも雪が降る。
去年だって。



レッスンの帰りに東京国立博物館 平成館で、今日から開催される「長谷川等伯」展へ寄った。
水墨画の最高峰、国宝「松林図屏風」が観たかったのだ。
今まで何度か機会を捉えようとしたが、なかなか目的を果たせず、今回こそはと美術展の前売り券を買ったのは今回が初めて(笑)

一昨年に京都の智積院を訪れ、等伯の金碧障壁画、これも国宝の「楓図」「桜図」「松に秋草図」などの豪華絢爛さに圧倒されてしまった。

しかし、「松林図屏風」は、それらの作品とは対極にあるような、同じ人物の手によるとは思えないモノクロームの静謐なものだった。
それは、能登七尾の松林を描いたと言われる、六曲一双の屏風絵だ。

この作品を表す言葉として「幽玄の世界」がつかわれるが、まさにそれ。
松林に朝の霧が立ちこめ、風が光が松の表情を刻々とかえていく、そんな一瞬を捉えた作品なのだ。

年若い息子を亡くした後の、等伯自身の心中を故郷の七尾の松林の姿に重ねて描いたのではともいわれている。
そして、粗末な和紙や不自然な貼り方から、これは実は下書きではないかという説もあるそうだが…。

開催日初日でもあり、一ヶ月だけの開催なので混んでいるのではと思ったが、思いの外混雑も無くゆっくり鑑賞することができた。



外に出れば、庭の河津桜がこの暖かさで美しく開花していた。




ミュージアムショップで、パティシエの辻口博啓氏のラスクが売られていた。

いつだったか、NHKの日曜美術館で、『自分を支えている1枚の絵画を語る』場面で、辻口博啓氏は「松林図屏風」をあげたのだ。
辻口氏は等伯と同じ七尾市の出身。
紆余曲折のあった自分の人生を、等伯の人生と重ね合わせ、風雪に耐えながら立ち尽くす松、霧の立ちこめる余白、それは安らぎと勇気を与えてくれるという。

因みに、ラスクは金沢の甘エビと、沖縄黒糖の2種類。
甘エビラスク、好きです。
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観梅

2010年02月24日 | おでかけ


近くの公園の梅が咲きだしたというので、早速でかけた。
友人たちとの梅見会は来月なので、その下見も兼ねて…



             

今日は暖かいので、梅の下でお弁当を広げている人や、車椅子にのった人たちも気持ち良さそうに梅の花を見上げている。
梅の花の甘い香りが、馥郁と風にのり漂っている。



帰りに遠回りをしたら、新しい100円ショップの店舗を見つけた。
ショップによって微妙に得意分野が違うので、ついつい寄ってしまった。
ついつい籠に、なんやかや入れている私。

ところが、タッチの差で子供連れの若奥さまに、先にレジに行かれた。
この奥さま、代金を支払う段になって、バッグから取り出したのは財布ではなく、中がいくつかに仕切られた透明のフォルダ。

そのフォルダにはインデックスが貼られ「食事」「こども」「雑貨」etc~~
そして、買ったものの代金をどの項目から支払おうか悩んでいるご様子。
それがなかなか決まらないのだ。

几帳面なのは大事だけれど、家に帰ってから、その買い物の項目を決めて欲しいです。
結構待ちました。
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退院

2010年02月20日 | diary
母は土曜日に退院し、私にもやっと日常が戻ってきたけれど、さてこの平安がいつまで続くことやら。
続いて欲しい~~。

母が入院中に一番気に掛けていた父は、何故か生き生きとして、おまけにいつになく元気。
自分がしっかりしなければ、と、久しぶりに目的意識に目覚めたのだろうか?
食べ物に好き嫌いの多い父も、私のところでの食事はわがままも言わずにしっかり食べてくれた。

しかし、母が戻ってきた途端に、元の頑固でわがままな老人に戻った。
かといって、母に甘えている訳でもなく、まったく老人心理は分かりかねる(苦笑)

母が入院する前に、新聞での書評が良かった、平安寿子の「神様のすること」を読んだばかりだった。
自分の親の看護の日々や、子供時代から小説家になるまでの日々を、平安寿子のいつもの軽妙な文章で綴られているのだ。
しかし、何だか我が家のことを書かれているような、そんな感覚のする内容だった。
どこの家も老人や病人を抱えたり、介護をしたりしていると生活自体がどこか似たり寄ったりするのかもしれないが。
親をまだ送ったことの無い私には、その時に果たして自分にどんな感情が湧きあがるのか想像も出来ないが、親にはあまり優しくなれない私が、最後にはうるうるしながら読んでしまった、私にはタイムリーな本だった。
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思い込みは怖ろしい

2010年02月19日 | diary
母の入院も10日を過ぎ、私もいささか疲れてきた。
やはり、リズムの崩れた非日常は、身体的なことより精神的に疲れる。
まして、小難しい父と小うるさい犬の面倒もみなくては…

ところが昨日のこと、病院の母から「今日退院することになり、先生からのお話もあるというので午後2時までに病院に来て欲しい」と電話があった。

 私も良く考えれば、いきなり今日退院という話があるはずも無く。
しかし、前日に母のリハビリ担当の方と担当医が、退院時期についての相談をするという話を伺い、その結論こそが今日退院なのだと私は思い込み…。

 そして、母も退院に関してのお話があるので、つきましてはご家族に来ていただきたいという言葉を、今日退院できるんだわ~と思い込んでしまったらしい。

姉と駆けつければ、母の容態の説明の中で退院は土曜日とのこと。

  ぐぁ~~ん!!

思いっきり、力が抜けた。
更に疲労感が増したよう

姉も何だか変?とは思ったらしい。

恐ろしいです、勝手な思い込み(苦笑)

病院へ向かう車の中で、退院が今日でよかったよかったと、話していた。
というのも、退院が決まった土曜日と言うのは、姉も私も予定がある。
姉は自分が幹事をする集まりがあり、私は親友と行コンサートが。
そのコンサートは夜だったら行けるのに、生憎マチネーなのだ。

どちらが身を引くといえば、それは私。

あ~あ、更に力が抜けた。

母が退院する喜びより、自分のツキの無さにがっかりしてしまった親不孝な娘であった。


何故か今、テレビから明日聴くはずだったバッハの、それも私の好きな「マタイ受難曲」が聴こえてきた。
神様がこれで我慢してねと、聞かせて下さった音楽なのかも。
これで我慢することにします。
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