夏休みとうとう終わる

2007年09月28日 | おでかけ
遅めの夏休みが終わり、日常に戻って2日経ちました。
今回は、会津から那須へ出かけてみました。
我が家からは東北自動車道が便利なので、こちら方面に出かけることが多いです。
そして、あちらこちらと行かずに、たまにはホテルでのんびりしようと思っていても、貧乏性の哀しい性ゆえ(笑)
子供の頃に、そして何年か前に訪れた場所を懐かしく思い出し、気付けばたっぷり歩きまわっていました。
そういう時は疲れを知らないのです。

しかし現在は、今年の強烈過ぎた夏の疲労感が、そろそろ出てきた様子です。
そのような訳で、まとまりのない写真で御茶を濁してみました(笑)


■ 御薬園は 鶴ヶ城の東、徒歩15分の場所にあり、中央に心字の池を配した回遊式の借景園と、各種薬草を栽培する薬草園。






 普段身近に見られる雑草のオオバコも、薬草として役立つ植物だったとは。
そのような空き地にはびこるヨウシュヤマゴボウなどの身近な植物が、薬草として育てられています。



  裏磐梯の小野川湖


■ 戊辰戦争の際には、会津藩の青少年部隊「白虎隊」が遠く鶴が城を仰ぎながら、集団自決を遂げた場所として有名な飯盛山。
戊辰戦争で、城下に攻め込まれた西軍の攻撃に屈するより、自決を選んだという白虎隊19名の墓碑がある。


 

 螺堂(さざえどう)

六角三層の建造物で、螺旋通路により一方通行で上下できるという珍しい建物。
まるで貝のサザエを髣髴とさせる興味深いお堂。
DNAの二重螺旋構造のように、上りと下りが別ルートになっているのです。
20年ぶりで訪れると、その当時より建物のそこかしこが傷み、痛々しかった。
あと何年もつかしら?大丈夫?










   五色沼のひとつ毘沙門沼
日光の入り具合で、沼の色が鮮やかになるのですが、今日はあまり・・・




栃木県那須や福島県の裏磐梯などでは、景観保全のために景観条例によって建築物や工作物の色彩が、地味で落ち着いた色に指定されているようです。
特にそれが分かるのが、見慣れたコンビニのサインボードやレストランのファサードの色。
良く見れば、ガードレールもポールもすべてブラウン。
普段見慣れている色とは違い、落ち着きのあるシックなブラウンで○。










 ■ 福島県 駒止湿原 ■

湿原て、何故か昔から好きです。
その他に、那須の沼ッ原湿原へも行きました。
ここも以前に初夏に訪れた時は、ワタスゲが湿原一面に広がっていたけれど、今回は既に秋の佇まいでエゾリンドウ、ノコンギク、ウメバチソウが、誰一人いないひっそりと寂しい湿原をわずかに彩り、紅葉も少しずつ始まっていました。

小熊に遭遇しました。
目の前の道を横切っていきました。
「熊に注意」の看板は道路のいたるところで見かけましたが
驚いて(多分、向こうも)カメラを構える暇もなく。
それより、その後ろから母熊が出てくるのではと一瞬ひるみましたが、小熊ちゃんだけでした。






            モウセンゴケ














  毒キノコのベニテングダケ
絵本などでに出てくるキノコは、決まって可愛らしい形と色の鮮やかなこのベニテングダケが多いですね。
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日本伝統工芸展

2007年09月18日 | art
今日から、54回日本伝統工芸展が、日本橋の三越で開催された。
金工で、今回も親友のMが入選したので、レッスンの帰りに寄った。

作品数が多い中、じっくりと鑑賞するのはいつも金工と陶芸のみ。
あとは、さらっと観てわたしの感性に訴えてきた作品をゆっくり観る。

Mの作品は相変わらず、女性ならではの繊細なデザイン。
秋海堂をモチーフにした、打ち込み象嵌花器。
内側に秋海堂の花と蕾を2.3個を貼りつけた所が、なんとも洒落た仕上がりになっていた。

伝統工芸展に行き始めたのは学生の時、その頃からみると本当に女性の作家が増えた。

今回気に入った陶芸作品は、日本工芸会奨励賞の「呉須絵絣文角鉢」。
作品が眼に入った途端に「あ!絵絣そのもの」とつぶやいてしまう…
そんな呉須の藍色が洗い晒しの絣を表現しているようで、そして陶芸と織りのコラボを感じさせ、とても魅力のある作品だった。
この作家も女性。
今では女流という言葉は死語になったと思える。
そして伝統工芸の技法の習得も重要だけれど、行き着くところは結局デザイン力なのよね、と言っていたMの言葉が理解できる。

そういえば、私の窯はもう2年眠っている。
そろそろ、起こさなければと思いつつ、目先の忙しさにかまけ私の陶芸モードはトーンダウン。
粘土類がいくつも、そして釉薬の入ったポリ容器がガレージに山積み状態。
いい加減にどうにかして!と事あるごとに家人に不評。
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デジカメ 帰る

2007年09月16日 | diary
デジカメが直った連絡を販売店から頂き、遅ればせながら今日取りに行った。

早く行っておけば良かった。
今日の暑さは残暑そのもの。

店内の修理コーナーから聞こえてくるのは「お渡しまで1ヶ月ほどかかります」の言葉。
そういえば、私の時も1ヶ月かかるといわれ、
「そ、そんなに長く……」と、ガ~~ンときた。
な~~んだ、結局正味5日で直っていたのだ。
以前、PCを修理に出して1ヶ月かかったことがあったから、すっかり信じてしまった。
(あの時はお正月と暮を挟んでいたし)

つまり、病院で、医師が手術の前などに、最悪の事を言うことと同じね(、ん?)

同じく、返却の順番を待っているおじさまに話しかけられた。
それも、話しかけられたら嫌だなと思っている矢先。
何故嫌かというと、私が先に呼ばれた時に「お先に」とか、終わってからその人がまだ待っていたら、「お先に失礼します」などと挨拶をしたほうが良いのか、
そのままいってしまったほうが良いのか、悩んでしまうタイプなのだ。

そういえば、お笑いで「どっちを選んでも自由だ~ッ!!」と、こういうことをネタにしている、ヒ弱負け芸人さんがいたっけ。

「まったくぅ、保障期間が切れる頃に、こういう製品て故障すると思いませんか」とおじさま。
確かに。私のデジカメも保障期間終了直前だった。
私「わたしのデジカメも保障期間が来月切れるんですよ」
つい、答えてしまうひ弱な私。
おじさま「そうでしょ。そうでしょ」と私に同調されて、にんまり。
それから、堰を切りPCのどこかが壊れた時は3万円かかったとか、いろいろなことを訴えられた。
「あら、あら、それは大変でしたね」などと、受け止めるのにも疲れてくる。
私には、人を寄せ付けないバリアが必要だと、今回も思った。

話が飛んだ。

私はバッグの中にいつも入れておきたいので、買うときにできるだけ小さいデジカメを選んだのだ。
今までのカメラは未だに故障もせずに調子も良いけれど、何せディスプレーは小さいし重い。
携帯のカメラも良く映るけれど、いまいち撮りにくい。

しかし、デジカメは修理箇所が二箇所もあったらしい。
カメラは、いつもバッグに入れっ放しにしている。
その上バッグから落としたり、ぶつけたり…
いちおう光学器械だから、カメラにとっては良い環境ではないはず。
ケースも薄型仕様。

しかし、デジカメが無い時に限って、撮りたいシチュエーションが満載。
ある珍しい方とお会いして、親しい友人ならイザ知らず、携帯でちゃりんとするのも何だか失礼な感じがして、結局撮れなかった。
(残念!)
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恐怖症 (その2)

2007年09月15日 | diary
息子のKが、2,3歳の頃だった。
庭で薔薇の棘が痛いことを説明をしていると、急に「目が痛いの。痛いの」と言い出した。
どう痛いのか、幼児の少ないボキャブラリーではまるで理解できない。
それ以降、気をつけているとギザギザに切れこんだ葉や、植物園の温室の大きなサボテンを見ると、必ず目が痛いと訴えた。

気になり、眼科へ連れて行き症状を言うと
「ああ、先端恐怖症ね」と、こともなげ。
ええ?先端、尖端?
どうやら尖った物を見ると、眼がチカチカと反応して痛むような症状に襲われるらしい。
「でも、尖った危ない物には、絶対に近づかないので子供さんにとっては安心よ」と眼科医から説明を受けた。

時々眼が痛いなどと言う事もあったけれど、説明にあったようなナイフの尖端や尖った鉛筆などには反応しないようだった。
そのうち近眼になり、視力が落ちて眼鏡をかけるようになると、先端恐怖の事は言わなくなった。

今回検索をしてみたら、Kの場合は植物の棘などに反応する、植物恐怖症に近い気もする。
植物恐怖だなんて、B級ホラー映画のよう(笑)

しかし、沢山の恐怖症が存在するのには驚き。
その上、すべての年代の女性に恐怖症はみられるとか。

そういえば、お喋りをしていると、話しながら相手のことを「貴女ね」などと指差しをする人がいる。
わたしはこれに弱いのだ。
つい指を向けられると、嫌な気分になり、身体を右へ左へと避け、指先のさす方向から身体をよけたくなってしまう。
どうやら、これも尖端恐怖症の一種だとか…。
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ありますか? 恐怖症って・・・

2007年09月11日 | diary
 友人が北海道旅行のお土産を渡したいと言うので、レッスン後に待ち合わせた。
勿論、お土産が定番の「白い恋人」であるはずも無く、そして話題は閉所恐怖症の人が飛行機に搭乗したものの、再び飛行場に引き返させたという話しになった。

「そんな恐怖症って思い当たる?」
私は友人に、聞いた。
友人は「虫の卵のびっしり感が駄目。そして閉所恐怖症も少しあるような…」
締め切った部屋の中の空気がどんよりと重く感じてきて、自由に部屋から出られない状況だとと、その途端息苦しくなって心臓がばくばくするという。

締め切った空間はともかく
確かに虫卵のびっしり感は、誰もが弱いに違いない。
しかし私は逆に、葉裏や茎の周囲に虫卵が規則正しく配列された美しさに、目を奪われてしまうこともある。
それって、怖い物見たさ?なのかも(笑)

そういうわたしの恐怖は、これと言って思い当たらない。
実はあり過ぎて、気がつかないのかも(笑)

そういえば、私が子供の頃に、既に亡くなった叔母が当時ふと漏らした言葉。
「履物を履くときや、それから階段を上る時は必ず右足から出すようにしているの。それを守らないと、何だか落ち着かないし、その上何か悪いことが起きそうで…」
叔母は、母に言わせるとそれほど幸福な人ではなかったらしい。
その話を聞いていた私の中に、その話がインプットされてしまったようだった。

思い出さなければ気にもならないけれど、靴を履くときに、たま~~~にその言葉が脳裏をよぎる時がある。
すると、馬鹿ねと思いながら、右足から履き直している自分がいる。

結局、スポーツ選手にありがちなジンクスと同じなのだと思う。

こういうジンクスに縛られることを「縁起恐怖」というらしい。
ジンクスという言葉に置き換えると、誰もが思い当たるのでは。
嵌めると、悪いことが起きる(と私は思っている)指輪も持っている。
(うっかり嵌めてKの受験の発表を見に行ったら、しっかり落ちていた)
それ以来、この指輪は封印。

考えてみれば、たまたますべてが偶然のことなのだろうけれど。
反対に、これさえあれば、これさえ行えば、すべてラッキー!すべて上手くいく!と言うことなどあるはずは無い。

この黄色の財布を持てば宝くじは当たるし、財布の中でお金がぎゅうぎゅういって…そんなちらしもたまに入るけれど(爆)

すべて自分の頭の中で、勝手に作り出していることなのだと思う。
だから何事も大したことではなく、怖れる事も無い…と、自分に言い聞かせている。

ジンクス、ジンクス、気持ちの問題。
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