夜景もご馳走

2007年03月31日 | my favorite things
夫から、早めに帰るからと連絡があった。
それならば、少しばかり祝いたい事もアリ、たまにはレストランも良いかしら…と。

最近外食は、自転車で近くのモールや近場ばかり(飲みたいしぃ)

今週は、旅行をキャンセルした友人とランチだけでもと、お気に入りのフレンチレストランのプロヴァンスベールへ行ったばかり。
そして、四国へ戻るというM氏に付き合い(父の年齢に近い方には優しくしなければと思うけれど、文学の話題もあるが)昼間から重い食事。ふぅ。
昨日は、桜を見てまたまたどっしりとしたランチを。
わたしは普段、朝食もそして昼食もあまりいただかない。
ここへきて、しっかり食した結果、何だか顔が丸くなったよう。
ウエストもきついような(ゾーッ)

だから余計、いろいろ考えすぎてお店が決まらない。
結局は車で出かけることにした。
予約したのは、お気に入りの「MONOLITH OMIYA」
先日、友人とランチに来た時にブログにでも載せるのか、おばさまが携帯カメラでいちいち料理の写真を撮ってチャリン、チャリンとカメラがウルサイ。
ああいうのも考えもの。
撮りたければ、デジカメでノンフラッシュでお静かにしていただきたい。

実は、ここのディナーは初めてだった。
京懐石風のフレンチで、相変わらず満足。
お料理の出てくるタイミングも良く、レストランは19階なので、なにしろロケーションも最高。
そして、ディナーのデザートは、場所をかえてバーラウンジでいただくらしい。
ここからの夜景がなんとも素晴らしかった。
遠くに新宿の副都心が望め、さいたま新都心の建物群を今まで見たことの無い角度からみえる。
夫も満足した様子。
そして、だんだんとトワイライトになっていく
輝く夜景も、ご馳走だった。

とはいえ、あ~あ、小太りになりそう。
明日からは、粗食を誓う。

                


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桜の下にて・・・ 

2007年03月29日 | diary
                 

まるで、初夏のような陽気だった。
友人から枝垂桜を見に行かないか、と呼び出された。

今週は、人と会う機会ばかりが多くて、レッスンさえも間々ならない。
コードの構成音を、即イメージできるようにもなりたいし
好みのフレーズを沢山自分のものにしたいし。
それらを自分のものに出来れば、本当の意味での即興ができるのだけれど。
そうなったら素晴らしいし、絶対楽しいに決まっている。
あ~あ、そうなるのはいつのことだろうか。

そして、延び延びにしていたリフォーム計画を、今年こそ実現しなければと自分に誓っているけれど。
土壇場にならないと、まるで考える気にもならない。
今は土壇場ではないし…などと自分に言い訳(笑)

そういう時に限って、遊びの誘惑が次々と。
しかし、楽しみにしていた幼稚園以来の親友との、久しぶりの奈良行きがキャンセルになったのが一番がっかりだった。
結婚をしていない彼女は、父上と二人暮らし。
その父上が病を得て、入院することに。
皆がそんな大変な年齢になってきている事を痛感する。

そして、久しぶりのお花見。
かつてテニスをしていた体育館の前庭に、樹齢180年といわれる枝垂桜がある。
春休みに入る頃に、その枝垂桜から始まって、ソメイヨシノ、次には種類の違う小木の枝垂桜が時間差で咲くのだ。
例年は重たげな花のせいで枝がずっしりと枝垂れているのに、今年は花のつきがまばらのような気がした。

そこで、なんとばったりNさんにあった。
合流をして、大宮公園まで桜を観に足を延ばした。
先日TVで、日本中のソメイヨシノの寿命がきていると言っていた。
公園の桜も、やはり何となく老年化している感じが。
明日は雨だとか、週末まで花がもつだろうか。


              



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さがし物は何ですか~♪

2007年03月28日 | diary
電車の中吊り広告。
それには「時間ない病の研究」という見出しの雑誌が。
「あ!わたしのこと」だと思いつつ、更に見ると、
「捜し物に費やすムダは1年間で6週間」…

ぐゎ~ん。
前にもここに書いた記憶があるけれど、わたしはいつもいつも、何かを探している。
そして、探し方は雑なうえせっかちなので探しているときに絶対出てこない。
ある人に、おまじないを教わった。
結局、落ち着いてゆっくり探すために、気を落ち着かせるおまじないらしい。
けれど、そのおまじない…あ!忘れた!

多分、病い(笑)
とはいえ1年間に6週間とは、言い過ぎのような気もするけれど…。
しかし確かに、あちこち探し続け、気がつけば1、2時間は優に経っていることもある。
いつも、この時間勿体無かったとひとしきり反省はするのだが。

最近、探しまくった物。
それは、わたしの先生がブログで40代で最近亡くなった文芸評論家の池田晶子について書かれていたのを思い出し、わたしは、週刊誌で連載されていた池田晶子の哲学的エッセーに、興味があった。
すべて興味を引かれたものについては、何もかもスクラップをする習慣がある。
しかし毎度の事だけれど、スクラップをすると安心して、その先がいつもうやむや(笑)
切り取りっぱなし。
池田晶子が、ターミナルケアの先駆者キューブラー・ロスについて書いたものを、確かに切り取った記憶があった。
池田晶子は亡くなるまで原稿を書き続けたというから、そのキューブラー・ロスの独自の死生観をどう捉えていたのだろうと知りたくなったのだ。
ちょっと前に、あら、こんなところにと思いながら結局は見過ごしたのは覚えている。
まだ、出てこない。
時間が勿体無いので、探すのはやめた。

いつだって探し物は忘れた頃にでてくる。
ただひとつ良いことといえば、探しながらわたしの周りは片付けれられていく。
今回も多分そう。
そして出てきたとしても、その頃には興味はすっかり薄れているはず。
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リヴァプール・サウンド

2007年03月27日 | jazz


「 リヴァプール・サウンドに酔いしれた若者たちが、これからの高齢者です。
もっともっと熱く生きてください 」


今日、電車内で見たポスターのキャッチコピー。
背景は、若者たちが野外コンサートで興奮している写真。

どこのポスターかと良く見れば、なんと都内の 『葬儀社』

なんだか、嫌~な感じ。
だって、わたしはリヴァプールサウンドには酔いしれなかったけれど、子供の頃には、ラジオから盛んにこのリヴァプールサウンドが流れていた。
ビートルズにストーンズ、アニマルズなどと、即名前がでてしまう自分もナンダカ…。
そりゃ、高齢者予備軍なのかもしれない。
けれど、この世に生まれ出た人は、既に高齢者予備軍じゃないの、と思いながら…

さて、気を取り直して

今日はレッスン日。
1ヶ月に1曲仕上げる、わたしの試みは、着々と進んでいる。
先日、褒め上手の先生に「○さんくらい、皆熱くレッスンしてくれると…」などと言われると嬉しい。
「若い人は冷めたところがあって…」
だって、わたしリヴァプールサウンド知っているもの。
熱く生きているもの。
これからの高齢者といわれ、どうせ先が無いもの (笑)
しかし、何事にも熱くなければ、楽しくない。

また気を取り直して

次の曲を決める時に、3拍子の曲をあまり弾いていない事に気づいた。
だから新曲は“Alice In Wonderland”に決定。
楽譜の1番最初の曲。
先生から、これからのわたしの課題として、本来の意味でのアドリブ即興性をそろそろ身につけることを与えられた。
確かに、今日“Beautiful Love”のベースがいつもとは違うみたい、などと思っていたら、早速つっかえてしまった。
つっかえている場合ではなく、それにピアノが応えなければいけないし、フレーズもそうだけれど
更に、覚えなければならないことばかり。
うわぁ~、それ以前にコードは外すし、リズムはすぐ狂うし、下手だし。

しかし、目の前の山が高いからこそ、ひとつ小さな峠を越えたときが楽しいのだけれど。



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今時の若い…

2007年03月25日 | diary
「今時の若い者は…」
昔から、年上が年下に向かい、分別臭く非難するときに使う台詞だ。

わたしはそう言われることを、かつてやってきた自覚が(笑)あるのでそんな台詞は吐か無い。

しかし、
「今時の若いお母さんは…」
若いお母さんなどと、一括りにはしたくないけれど。
お母さん、子供の顔を、そして目をしっかり見てね…とおもう光景によく会うのだ。

子供を自転車の前に乗せて、ママは片手運転で、もうひとつの片手は携帯電話。

犬の散歩で公園に行くと、子供が葉っぱを拾ったり、何かを見せようとママに一生懸命話かけているけれど。
ママはメール中。
ちょっと手を止めて、話を聞いてあげてねと思うのだけれど。

そして今日、近くのファミレスで友人とお喋り中に、
友人の肩越しに3人の女性と、1歳くらいの赤ちゃんが見えた。
赤ちゃん、お昼寝タイムに突入したらしくぐずぐずと泣き始めた。
ぐずぐずと泣き、そしてウルサイのだ
しかし、ママは羨ましいくらい放っている。
2人の友人の表情は見えなかったけれど。
見えたのはママの手元。
友人を前に、テーブルに携帯を置いて、お喋りをしながらメールをず~~っと打ちっぱなしなのだ。
わたしだったら、「貴女って、失礼ね」と言って席を蹴るところだけれど。
こういう神経ってわからない。
そういう友人に付き合っている人も。

携帯が普及するようになってから、それに依存しているのではないかと思うことが多い。
生きている我が子より、携帯を優先する人。
携帯を、手に常に握り締めている人。
携帯の電波だけでも、誰かと繋がっていたいと思っているのだろうか。

巷のトイレでペーパーホルダーの上や、荷物置きの棚の上に置き忘れられた携帯をわたしが届けた事は1,2回ではない。
忘れてしまうのなら、手から離す事もできると思うのに…。
携帯が無かった頃は、皆どうしていたのだろうと思うこの頃。

お母さん、携帯の画面より我が子の表情を、是非読み取って!!
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