死ぬということ

2004年12月30日 | diary
生きる事より、最近は死について考えることのほうが多い。
日ごとに老いていく父。父を見ていると、年齢を重ねることがどういう意味なのかもわかってくる。
父はこれといって持病がある訳ではない。しかし、自然の摂理で体力は無くなる。
足は重くなり歩くのさえままならない。指先も上手く動かない。年若い友人のほうが先に逝く。
父ほど、幸福な人はいないとわたしは思うが、本人はそうは思えないらしい。
老いを認め、老いと共存しようとしないところに父の辛さがある。そして父は、もういつ死んでも良いという。しかし父は死ぬ事も無く、日々体も心も弱くなりつつ生きている。でもわたしには父の気持ちが理解できる。
自死した江藤淳が言っている。
「生きることに意味があるから生きているのではない。
意地で人が生きられることを自分に納得させるために生きているのだ」
そういうものかもしれない。生きるってことは・・・。
「生きるのは、もういい」・・・そう思いながら生きているのもまた辛い。
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少年のブーケは誰に・・・?

2004年12月27日 | diary
 クリスマスが終わり、ドアのリースをお正月飾りに変えた。
結局、今年のクリスマスには誰からもプレゼントを頂かなかった。息子が家を出て行き夫と2人になってからは、季節のイベントをまったくしなくなった。そんな意欲が湧かないのだ。

 初夏に、かつての旧東ドイツを旅した。
街の佇まいも変化をしてきたとはいえ、小さな街の駅は、時計も壊れ針が止まったまま。
収容所行きの列車が出たとしても、不思議に思わないほどまだ荒れている駅舎。
ただ、どんな小さな駅でも必ずといって良いほどあるのが花屋さん。
日本とは違って、種類が少ない花を巧みに組ませたブーケがいくつも並んでいる。
会社帰りなどに奥さんや恋人にプレゼントをするのだろうか。物価から推し量ると、決して安くはないブーケ。気儘な列車の旅、名前も忘れた小さな駅だった。
その駅のホームで15.6歳の少年が黄色い花でまとめられたブーケを持ち、誰かを待っている。
列車が着く。
少年が待っている可愛い少女が降りてくるのかと思ったら、来たのはどうみてもふつうのオジサン。少年はブーケをオジサンに渡し、抱き合って再会を喜んでいるみたい。
ブーケを嬉しそうに受け取り、オジサンは花ををながめながら二言三言少年に言っている。
「おお、この黄色い花がワシは好きなんだよ。ハンス、悪いなぁ」そんな感じかな。
隣のオーストリアに留学をしていた姪は、こっちは物価が高いし、田舎はお店が沢山あるわけじゃないから、駅で花や果物を買っていく人が多いと言う。
兵役の休暇で故郷に帰るらしい兵士もブーケを買った。ママや恋人に持っていくのだろう。花のもつ華やかさが軍服を着た兵隊を優しく変える。
物が溢れている日本。
わたしはその溢れる商品の中から「さすがに貴女のセンスは人と違うわね」そんな風に言われたくてプレゼントを選ぶ。だから考えるだけで疲れてしまう。
自分の気持ちを、そう、花に託して贈る。そんな軽いノリで十分なのかもしれない。

 
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おんなは 謎

2004年12月13日 | diary
最近、おんな友達がおもしろくない。
永いあいだ付き合って気心も知れているというのに…。
ランチしながら、お酒を飲みながら、お喋りをして、そして帰宅をするとどっと疲れが出ている。
電話で楽しく話していても、受話器を置いた途端に、何故かまぶたがピクピク痙攣をしている。(体は正直)
限りなくジコチューの人。いらぬ気配りをしていい人ぶっている人。でもそれはお節介に過ぎない。
わたしとの約束をドタキャンして、家族とのことを優先する人。
「急に主人が休みになったの。悪いけれど今日の約束ほかの日に変更してもらいたいんだけど」って。
家族を大事にするのは良いけれどね。わたしとしては、とても複雑。
ああ、女の人はむずかしい。
若いときはエネルギーもあったので、そんなことはほとんど気にならなかった。
わたしもジコチューになっているのかも。許容範囲が狭まっている。
多分、今のわたしも面白くない女友達なんだ。
ああ、女の人は難しくてわからない。


 

 




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生存確認の役割

2004年12月08日 | diary
今年も年賀状をしたためるシーズンになった
年賀状って結局は、何年も会わない友人の生存を確認するだけの役割でしかないような。
だから年々枚数を減らしていく。
今日も朝から一生懸命年賀状づくり。
今年も版画。これはわたしのこだわりのひとつ。
今はスキャナーで取り込めるので一枚だけ摺ればよいのだが、わたしの芸術(?!)を理解してくださる方(エラソー)のために生版画を何枚か摺る。
今回は版木を三枚。
「貴女から年賀状をいただくのが楽しみなの…」なんて友人に言われてしまうとつい力が入る。
「僕の親父が君の年賀状の版画を気に入って、額に入れて飾っているんだ」
若き頃のボーイフレンドに、そう言われてから更に力が入った。。
結局、彼のお父さんに一度も会うことはなかったが、お互い結婚しても年賀状だけは欠かさなかった。
そのお父さんが亡くなり、喪中の葉書を頂いたのをきっかけに、それ以降彼に年賀状を出すのをやめた。
最近は交際の浅い人にはグリーティングカードを送信する事が多い。



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◆ 車上荒らしに遭う

2004年12月08日 | diary
ああ、不愉快。
車上荒らしにあった。それも我が家のガレージで。
愛車のパジェロのドアを開けたら、ボックス内の物が全部シートの上にばらまかれている。朝、ガレージのドアが不自然に開いていたので???と思っていたが…
そういえば、昨日降りたときにロックをしなかった。
おまけに庭まで入り込んで、置いてあるバイクも狙ったらしい。これはキーは外してあったのだが、キーを確認したらしくカバーが前面だけめくれていた。
金目のものはナーンにもなくて残念!
でも泥棒さんが車の中に入ったと思うと気持ち悪い。
早速ホームセンターの防犯コーナーへ行き鍵などを購入。
隣でおじさんがセンサーライトを買っていた。
うん。これもいいかも。
いつかよその家の広いアプローチでバックをしたら、いきなりライトがパッと点灯。
たしかにあれには驚いた。

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