昨夜は、「虫時雨」 という言葉がピッタリの、
虫たちの大合唱を聞くことが、出来ました。
その中でも一際、リーン、リーンと美しい声で鳴く
鈴虫の声も聞こえ、丁度、テレビをつけていたこともあり、
一瞬、テレビから? ~なんて、錯覚を覚えた程でした。
勿論、テレビを消したのは言うまでもありません。
しばし、虫たちの演奏会を楽しみました。 そう言えば・・・。
私のバイブルとでも言うべき、『赤毛のアン』 ですが、
かつて虫の音色などの描写があったでしょうか。
(蛙はありましたが) ちょっと記憶にありません。
それもその筈、これを声として、
言葉として捉えることが出来るのは、
日本人を初め、ごく少数の限られた民族しか
いないそうなのです。
これは、左脳 を使うからであって、
右脳 しか使わない欧米人を初めとした、ほとんどの民族は、
この美しい虫の音色も、単なる雑音としか聞こえないのだとか・・・。
日本には、遥か昔から詩歌や小説などに、
虫の音色が描かれていないことはないと思うのですが、
この当たり前に思っていたことも、大層素晴らしい事なのでしょうね。
それで思い出したのですが以前、
英国の 「薔薇写真集&日誌」 なる物を読んだことがあります。
思わず溜息のでるような薔薇の美しい写真と、
憧れの邸宅と趣向を凝らした庭の数々・・。
でも、それを読んだ時、
ふと違和感を覚えた事を今でも忘れる事が出来ません。
写真通りの事をただ見たまま、淡々と記しているだけ。
そこには、一片の感情すら入っていません。
勿論、写真の美しさは、それを補って余りある物でしたから、
とやかく言うつもりは、ありませんが、
前述のような理由でしたら仕方ないのかも知れませんね。
虫の声と花の声。物言う虫と、言わぬ花。
それぞれ違うけれど、その声を聞くことの出来る
心の目は持ちたいものです。
今宵も虫たちは、音楽会を催してくれるでしょうか。
虫たちの大合唱を聞くことが、出来ました。
その中でも一際、リーン、リーンと美しい声で鳴く
鈴虫の声も聞こえ、丁度、テレビをつけていたこともあり、
一瞬、テレビから? ~なんて、錯覚を覚えた程でした。
勿論、テレビを消したのは言うまでもありません。
しばし、虫たちの演奏会を楽しみました。 そう言えば・・・。
私のバイブルとでも言うべき、『赤毛のアン』 ですが、
かつて虫の音色などの描写があったでしょうか。
(蛙はありましたが) ちょっと記憶にありません。
それもその筈、これを声として、
言葉として捉えることが出来るのは、
日本人を初め、ごく少数の限られた民族しか
いないそうなのです。
これは、左脳 を使うからであって、
右脳 しか使わない欧米人を初めとした、ほとんどの民族は、
この美しい虫の音色も、単なる雑音としか聞こえないのだとか・・・。
日本には、遥か昔から詩歌や小説などに、
虫の音色が描かれていないことはないと思うのですが、
この当たり前に思っていたことも、大層素晴らしい事なのでしょうね。
それで思い出したのですが以前、
英国の 「薔薇写真集&日誌」 なる物を読んだことがあります。
思わず溜息のでるような薔薇の美しい写真と、
憧れの邸宅と趣向を凝らした庭の数々・・。
でも、それを読んだ時、
ふと違和感を覚えた事を今でも忘れる事が出来ません。
写真通りの事をただ見たまま、淡々と記しているだけ。
そこには、一片の感情すら入っていません。
勿論、写真の美しさは、それを補って余りある物でしたから、
とやかく言うつもりは、ありませんが、
前述のような理由でしたら仕方ないのかも知れませんね。
虫の声と花の声。物言う虫と、言わぬ花。
それぞれ違うけれど、その声を聞くことの出来る
心の目は持ちたいものです。
今宵も虫たちは、音楽会を催してくれるでしょうか。