
昨日の雨は上がりましたが、起床時の空は、スッキリという訳には行きません。
ただ外壁工事のためシートが掛けられていますので、それを通しての空ですが・・。
それでも午前10時頃には一度は、太陽も顔を覗かせたものです。
それにしても今、“籠の鳥” 状態。
いつものように、ちょっと庭に出て花を愛(め)でる・・という事も出来ません。
先日も記しましたが、普段の何気ない事・・いつものように。
それが普通に出来る事がどれだけ有り難くて、癒やされていた事か、早くも感じています。
これしきの事で・・なんて言われそうですが・・。


気になりながらも、カップの写真をそのまま掲載。
普段でしたら早速、撮り直すのですが、なぜかめんどうくさくて。
でも、やはり今日も同じカップで、もう一度 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』
開店です。(昨日の写真は、入れ替えました)
となれば・・。
今日は、お茶請けのお皿に注目する事に致しましょう。
取り出したのは、↑ のお皿。相変わらずの土物です。
今年は長かった紅葉のシーズン。でも、もうそろそろ終わりですね。
その旬の木、紅葉の絵柄にしてみました。ふと・・。
新型肺炎や何やかやで慌ただしく、明け暮れた今年の秋。
それもいつの間にか、12月も半ばにさしかかろうとしていますのに、紅葉だなんて・・。
そればかりか・・後 20日もしないうちに今年も終わりなのですね。
やはり季節の流れはゆっくり・・いいえ、曖昧になっているのでしょうか・・。
時間の流れだけは、超特急ですのに。~なんて事を思ったりして。
さて、昨日も記し、タイトルにもちゃっかり頂戴してしまった、谷崎潤一郎の「陰鬱の美」。
彼の著書 「陰鬱礼賛」 より以下に抜粋してみます。
一口に 「和」 と言いますが、そもそも “和とは何か・・” が、
おぼろげながらにも分かるのではないでしょうか。


なまじな事をするよりは、あの在来の乳白ガラスの 浅いシェードを附けて、球をムキ出しに見せて置く方が、 自然で、素朴な気持ちもする。 およそストーヴと名のつくもので日本座敷に調和するような 形態のものは一つもない。 或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔である事と、 蚊の呻りさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。 美というものは常に生活の実際から発達するもので、 暗い部屋に住む事を余儀なくされた我々の先祖は、 いつしか陰鬱のうちに美を発見し、 やがては美の目的に添うように陰鬱を利用するに至った。 【「陰鬱礼賛」 より~谷崎潤一郎】 |
