【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

目と心のご馳走

2009-12-12 16:15:16 | 趣味の器(壺)~その他


   昨日の雨は上がりましたが、起床時の空は、スッキリという訳には行きません。
  ただ外壁工事のためシートが掛けられていますので、それを通しての空ですが・・。
  それでも午前10時頃には一度は、太陽も顔を覗かせたものです。

   それにしても今、“籠の鳥” 状態。
  いつものように、ちょっと庭に出て花を愛(め)でる・・という事も出来ません。

   先日も記しましたが、普段の何気ない事・・いつものように。
  それが普通に出来る事がどれだけ有り難くて、癒やされていた事か、早くも感じています。
  これしきの事で・・なんて言われそうですが・・。



     さて、昨日は珈琲がこぼれていますのに・・
    気になりながらも、カップの写真をそのまま掲載。

     普段でしたら早速、撮り直すのですが、なぜかめんどうくさくて。
    でも、やはり今日も同じカップで、もう一度 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』
    開店です。(昨日の写真は、入れ替えました)
    となれば・・。

   今日は、お茶請けのお皿に注目する事に致しましょう。
  取り出したのは、↑ のお皿。相変わらずの土物です。

   今年は長かった紅葉のシーズン。でも、もうそろそろ終わりですね。
  その旬の木、紅葉の絵柄にしてみました。ふと・・。

   新型肺炎や何やかやで慌ただしく、明け暮れた今年の秋。
  それもいつの間にか、12月も半ばにさしかかろうとしていますのに、紅葉だなんて・・。
  そればかりか・・後 20日もしないうちに今年も終わりなのですね。
  
   やはり季節の流れはゆっくり・・いいえ、曖昧になっているのでしょうか・・。
  時間の流れだけは、超特急ですのに。~なんて事を思ったりして。

   さて、昨日も記し、タイトルにもちゃっかり頂戴してしまった、谷崎潤一郎の「陰鬱の美」
  彼の著書 「陰鬱礼賛」 より以下に抜粋してみます。
  
   一口に 「和」 と言いますが、そもそも “和とは何か・・” が、
  おぼろげながらにも分かるのではないでしょうか。     


 


 なまじな事をするよりは、あの在来の乳白ガラスの
浅いシェードを附けて、球をムキ出しに見せて置く方が、
自然で、素朴な気持ちもする。

 およそストーヴと名のつくもので日本座敷に調和するような
形態のものは一つもない。

 或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔である事と、
蚊のうなりさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。
 美というものは常に生活の実際から発達するもので、
暗い部屋に住む事を余儀なくされた我々の先祖は、
いつしか陰鬱のうちに美を発見し、
やがては美の目的に添うように陰鬱を利用するに至った。
                  【「陰鬱礼賛」 より~谷崎潤一郎】