声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

音楽のプロ集団

2012-11-26 15:41:22 | Diary
私が配属された中部方面音楽隊は
総勢80名という中央音楽隊に次ぐ規模の大きな部隊でした。

管楽器と打楽器を中心にした構成で
クラシックからポピュラーまで幅広いレパートリーを持っていました。

主な仕事は、管轄する地域での演奏業務です。もちろん、それ以外に一般自衛官と同様の訓練にも参加します。

演奏業務では関西以外にも中部、中四国への巡回演奏で月のうち半分しか駐屯地にいない時もありました。

冷暖房もリクライニングもついていないバスでの長時間移動ですので、かなり疲れます。
一般自衛官は8時~5時までの勤務とされていますが、独身の女性自衛官は皆、管理隊宿舎で共同生活を送ります。当然、職場の同僚と同じ部屋ですので、24時間勤務のような感覚がありました。

入隊前に恩師から「ポピュラーを歌うなら、宝塚音楽学校の先生にレッスンを受けては?」と言われていた事も、現実には叶わない状況でした。

当時の私には、音楽隊長が選んだ三大レパートリーというのがありまして
「恋心」「サントワマミー」
「愛の賛歌」
をよく歌っていましたが
どれも及第点が貰えるレベルではありませんでした。

「お前の歌には色気がない」
「ただ声を張り上げている」
「マイクの使い方も下手」

中堅以上の男性隊員からの評価は厳しいものでした。

無理もありません。
彼らは、私の何倍もの間、音楽を仕事としてきたプロの音楽集団だったのですから。




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歌じゃない

2012-11-26 08:42:01 | Diary
三ヶ月の苦しく辛い教育隊生活を終えて昭和53年7月に配属されたのが

兵庫県伊丹市にある
陸上自衛隊中部方面音楽隊でした。

すでに女性の隊員が4名所属していましたが、たまに歌う程度で普段は庶務の
仕事を担当しているという事でした。

年齢的には、私より歳上が2人、歳下が2人でしたが、階級は私が一番下でした。
その中で歌を指導して欲しいと
音楽隊長から言われた私は悩みました。
自衛隊は縦社会です。
下の階級の者が上官を指導するなんて
できるはずがないのです。
私は難しい立場にいました。

そもそも、その当時は、音大卒の女性自衛官を採用する事自体、前例が無かったのですから…。

実は朝霞の教育隊にいる時に、同い年
の上官(班長)から
「幹部候補生を受けた方がいい」との
アドバイスをされた事がありましたが

その上官の区隊長からは
「音楽隊志望なら受けない方がいい
○○三等陸尉に歌って頂きます、という訳にはいかないから。第一どこに配属されるかわからないし。」

そう言われて、幹部候補生試験を受けるのを諦めた経緯があります。

音楽隊は男性にだけ、幹部になるための昇級制度がある時代だったのです。

伊丹駐屯地では、
婦人自衛官管理隊という宿舎から
音楽隊の練習場に通う毎日でしたが
駐屯地の入口に一番近い宿舎から
一番奥にある練習場に通うには
歩いて15分はかかります。

女子トイレがない練習場から自転車で
宿舎まで用を足しになんていう
事も当たり前の不便な生活でした。

初めて練習場に入って78名の男性隊員
達の前で歌った曲は
ミュージカルの「踊り明かして」

歌い終わった時に
ある古参の男性隊員から言われました。
「お前のは歌じゃない」と…。

吹奏楽をバックに唄うと、つい声を
張り上げてしまいます。

私の歌は、「歌姫」からは程遠いレベルのものでした。






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