もう、ここまで来れば
自ら身を引いたとしても
ダメージの大きさは変わらないのでは?
もっと早く、お辞めになった方が
傷が深くならずに済んだのではないでしょうか?
今後の政治生命を考慮して…とのことなら
遅きに失するの感もあります。
先ほどTVニュースでの
地元の方々への街頭インタビューでは
「残念」という声はあっても、
“今後に期待”する声はないように思えました。
つい2、3日前でしたか
何かの番組で、
近い人に打ち明けた“最近の悩み”の内容が
「 最近は、自分の好きな服が着られない 」
というものだったと…
これが、もし本当なら
此の期に及んで、服の事を考えてる場合か⁉︎
と、呆れるばかりです。
大臣に就任された直後は
「 絶対に失敗はできない 」
と、相当な覚悟をされていたとのこと…
それは、大きな組織を従えるという重責を担う事への覚悟だったのでしょうか?
将来の女性総理就任を見据えて、組織を勉強させるために任命した…としたら
総理の責任も重いと言わざるを得ません。
日報問題への質問に答える際に
「シビリアンコントロールが効いていたと思っている」
と仰ったのを聞いて、
(自分で、そう思いたいのだろう…)
と感じました。
統制が取れなかった原因の一つは、
その“組織で働く人の性質”を知ろうとしなかったからではないかと思っています。
法律や規則、知識だけでは人を動かすことはできません。
12、3年前に1人で市ヶ谷の防衛省を訪れたことがありましたが、
正門を入り、担当者への面会手続きを終え
すぐ前のエスカレーターを上がる時、
やはり特別な緊張感がありました。
日本の防衛を司る組織の中枢がここにあるのだ…という特別な思い…です。
そこのトップに座る大臣が、どれ程の存在なのか
は、
“組織”を知らない人には、わからない。
だからこそ、
"らしからぬ”言動や、凡そ職務に不似合いな恰好ができたのではないかしら…と思うのです。
最近、読んだ『失敗学』という本の中で、
10の“失敗したリーダーの人的原因”という記述があり
それに
『社会的地位などに目がくらむ』
『思慮が浅かったり、全くない』
『必要以上に恰好をつけようとした』
という項目がありました。
『恰好』には体裁とか世間体という意味もあるけれど
“見た目、外見”という意味そのもの…という意味も含まれています。
シャングリラ会合での
“ good looking ” 発言なども、
結局、その辺りから出てきたものなのでは?
昨年の10月にジブチを訪問された時から非難轟々で、
その後も、事ある毎に職務に不似合いな“恰好”が批判されているにも関わらず
その声を無視し続けた理由は何だったのでしょうか?
あの時点で、せめて最近のような地味な恰好にしておけばよかったのに…
ピアスも睫毛のエクステもピンヒールも
ジーンズの帽子もぶりっ子ファッションも
国防のトップとして相応しくない、
そんな事に気をとられる時間があるなら
もっとやるべき事があっただろう…
というのが組織の人たちの本音だったように思えるのですが、
…違いますか?
しみずゆみ

自ら身を引いたとしても
ダメージの大きさは変わらないのでは?
もっと早く、お辞めになった方が
傷が深くならずに済んだのではないでしょうか?
今後の政治生命を考慮して…とのことなら
遅きに失するの感もあります。
先ほどTVニュースでの
地元の方々への街頭インタビューでは
「残念」という声はあっても、
“今後に期待”する声はないように思えました。
つい2、3日前でしたか
何かの番組で、
近い人に打ち明けた“最近の悩み”の内容が
「 最近は、自分の好きな服が着られない 」
というものだったと…
これが、もし本当なら
此の期に及んで、服の事を考えてる場合か⁉︎
と、呆れるばかりです。
大臣に就任された直後は
「 絶対に失敗はできない 」
と、相当な覚悟をされていたとのこと…
それは、大きな組織を従えるという重責を担う事への覚悟だったのでしょうか?
将来の女性総理就任を見据えて、組織を勉強させるために任命した…としたら
総理の責任も重いと言わざるを得ません。
日報問題への質問に答える際に
「シビリアンコントロールが効いていたと思っている」
と仰ったのを聞いて、
(自分で、そう思いたいのだろう…)
と感じました。
統制が取れなかった原因の一つは、
その“組織で働く人の性質”を知ろうとしなかったからではないかと思っています。
法律や規則、知識だけでは人を動かすことはできません。
12、3年前に1人で市ヶ谷の防衛省を訪れたことがありましたが、
正門を入り、担当者への面会手続きを終え
すぐ前のエスカレーターを上がる時、
やはり特別な緊張感がありました。
日本の防衛を司る組織の中枢がここにあるのだ…という特別な思い…です。
そこのトップに座る大臣が、どれ程の存在なのか
は、
“組織”を知らない人には、わからない。
だからこそ、
"らしからぬ”言動や、凡そ職務に不似合いな恰好ができたのではないかしら…と思うのです。
最近、読んだ『失敗学』という本の中で、
10の“失敗したリーダーの人的原因”という記述があり
それに
『社会的地位などに目がくらむ』
『思慮が浅かったり、全くない』
『必要以上に恰好をつけようとした』
という項目がありました。
『恰好』には体裁とか世間体という意味もあるけれど
“見た目、外見”という意味そのもの…という意味も含まれています。
シャングリラ会合での
“ good looking ” 発言なども、
結局、その辺りから出てきたものなのでは?
昨年の10月にジブチを訪問された時から非難轟々で、
その後も、事ある毎に職務に不似合いな“恰好”が批判されているにも関わらず
その声を無視し続けた理由は何だったのでしょうか?
あの時点で、せめて最近のような地味な恰好にしておけばよかったのに…
ピアスも睫毛のエクステもピンヒールも
ジーンズの帽子もぶりっ子ファッションも
国防のトップとして相応しくない、
そんな事に気をとられる時間があるなら
もっとやるべき事があっただろう…
というのが組織の人たちの本音だったように思えるのですが、
…違いますか?
しみずゆみ
