声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

昭和の親は残酷だ

2024-10-22 08:23:00 | Diary
トップの画像は、
AIに作らせた現在の私…

まだ髪は、ここまで白くはならないが
年齢とイメージを伝えると、こんな風になる…らしい。


最近、鏡を見るたびに

( ますます母親に似てきた…)

と思う事が多くなった。

こめかみの辺りの窪みも
生え際の白髪も、シワのでき方まで

そっくりなのだ…

そういえば生え際の窪みと白髪は、祖母とも似ている…

血とは恐ろしい…


それなのに、私は子供の頃
母親から
「橋の下から拾って来た」とよく言われたものだ…

どこから、そんな話になったのか…詳しいことは覚えてはいないが、

顔が母親と全く似ていない妹も、

「橋の下から拾って来た」と、よく言われていた…

深い意味などなく、揶揄って子供の反応を楽しんでいただけなのかも知れないが、

当時は、

「おれんちのかーちゃんも、オレは橋の下から拾ってきた、と言うとった」

と同級生の男子と同じ話で盛り上がった記憶があるから、
そんな親は、けっこう多かったのかもしれない。

恐らく、子供から
「どこから産まれたのか」

と訊かれても答えづらいだろうし、
面倒くさかったのだろう…


戯言には違いないが、

ずっと後になってから
私には、この言葉が妙に気になった時期がある…

80代の後半を迎えた実父の様子がおかしくなった時の事だ。

「オマエはワシの子じゃぁない!」

と、繰り返すようになった…

「本当は〇〇(母の名前)が浮気してできた子じゃ」

と真顔で言う…

「本当の親は誰?」

と訊けば
「知らん!」と怒る…

何度か、そんなやり取りをしたが、

被害妄想が酷くなった実父は、私を実の娘だと認めなくなった…

そして勝手に殺した…
(−_−;)


あるとき、かかりつけ医に実父の事を相談に行くと

受付の年配の看護師がギョッとした表情で私をみて

「お嬢さんは、亡くなったと聞いていますが…」

という…

「生きてますけど」

と話すと、
慌てて主治医に何やら相談しに行ったようだが、

そこで私は、
認知症の高齢者を見抜けない医者もいるという事実を知ることになる。

まぁ、専門外という事なのだろう…


いずれにせよ、
呆けた父にとって私は、
他人のような存在だったようだ。



橋の下から拾って来た子と、
母が浮気してできた子とは、
ほぼ同じくらい悪い冗談だと思う理由だが、

自分の子供の頃の写真を見ると
残念なことに…私は父親そっくりだ。

父は若い頃は梅宮辰夫と高島忠夫を足して2で割ったような感じだったと従姉は言う…

昔風のイケメンの部類だろうか?

そういえば私も、高校三年の頃だったか…

他校の合唱部の女子から、当時のアイドル、野口五郎に似ていると言われたことがあった…

太眉は父親譲りだ。


しかし、昔の親たちは残酷だ。

自分たちの発言で子供達がどう思うかなんて考えないんだから…


今の時代なら、教育評論家が目くじら立てるだろう…




 













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