筑波大の原田教授の
『TVに出ている専門家の話は、どこまで信じて良いのか?』
という、
現代ビジネスの記事を読んだ。
記事の中の『専門家の陥穽』という小見出しに関心を持ったのは、
ずっと気になっていた事があるからだ。
“陥穽”(かんせい)は、
“ 落とし穴”という意味だ。
確かに、このところ
各局のワイドショーでは“専門家”がレギュラー出演している…
私など、
それぞれの専門家の意見には
(なるほど…)
と共感することも度々だが、
時折り、
(アレ?)
と思うことも…。
その“アレ?”と思う瞬間は、どういう場面かというと、
科学的なデータやエビデンスに基づく見解ではなく
「…だと思います」と
消え入るような語尾で、
曖昧な主観が繰り返されたり、
「私は専門家会議の委員ではないし、入りたくもありませんけど…」
という、専門委員会に対する批判めいた主観が出たときだ。
余計な“私情”が加わるだけで、
そこに事実があったとしても、疑いが生じる。
特に新型コロナウィルス感染症に関しては
“専門家”の見解は、とても重要なのに
( なんか残念だなぁ…)
と思ってしまう事が度々あるのだ。
例えば、
ウィルスの数がインフルエンザに比べて少ないと言われている新型コロナについて、
PCR検査では、陰性になる場合があるらしいが、
某専門家の言う
「PCR検査数を増やす事で、感染者数等のデータが集まる」
という見解には、すでに矛盾が生じている。
筑波大の教授の記事は、
『メディアに関わる“専門家”は、
科学的リテラシーを高めるよう勉強して欲しい』
と結んでいたが、
そもそもメディア側の
“専門家”を選定する基準が甘いことも問題だと指摘していた。
とは言え、
ワイドショーは、ニュースほどの信憑性を求めているわけではなく
芸能人の不倫も別居ネタも取り上げる
バラエティ情報番組だし、
『アッコにおまかせ』や
土曜夜の情報番組「サタステ」にも呼ばれているくらいだから、
(O先生、この時は、石坂浩二さんの隣で嬉しそうでしたね)^_^
もうコレは、
“専門家という肩書のタレント”と言って良いのではないだろうか?
コレって、
関西のラテ局のワイドショーで心霊現象専門のレポーターやっていた頃の私と、
さして変わらないのでは?
筑波大の教授の記事を全面的に支持するワケではないが、
ずっとモヤモヤしていた部分をズバリと指摘して貰った気がしている。
まぁ、どうしてもこれだけ露出が多いと
“出る杭は打たれる”
…ということもあるのかな。
しばらくワイドショーを見るのをやめようか…。
これもコロナ疲れのせいかな…。
スミマセン…。
(ー ー;)
ところで、
ここまま株価が下がり続けると、
『年金が消える』という記事を読みましたが…
そっちは、
ホンモノの“専門家”の意見が聞きたいです。