昨夜の雨は、渇いていた庭の花々に一服の潤いを与えてくれました。
枯れゆく人生に必要なのは、
心を潤してくれる“水”なのかもしれません。
しかし、その“水”が原因で興醒めする瞬間もあるのです。
数日前、
カーラジオから流れて来た曲は
「マディソン郡の橋」のメインテーマでした。
あの降りしきる雨の中でのシーンを思い出しました。
車の中で逡巡するメリル・ストリープ扮する主人公が、
ドアノブを握りしめる、
あのシーン…
雨が別れゆく男女の心情をそのまま表しているようでした。
あれが、もし晴れている中でのシーンなら
全く違ったものになったでしょう。
クリント・イーストウッドも
もっと、スマートでカッコよく映っていたに違いありません。(~_~;)
お腹がたるみ、髪の量も心細くなり
現実の世界では、恋など無縁にも思える中高年男女にとって、
車の中での別れのシーンは、あまりにも残酷でした。
信号待ちの後、なかなかスタートしないイーストウッドの車に
彼女の夫が鳴らすクラクションが
否応が無しに、現実の世界に引き戻すのです。
女房の恋人のものだとも知らずに
「早く行け」と前の車に軽く憎まれ口を叩く夫に、
失望感を抱くのは映画の中の主人公だけではありません。
恐らく、観ている側の多くの中高年女性なら誰もが感じたであろう失望感です。
彼女は、その瞬間、夫と恋人を天秤にかけた…
“どっちもどっち”だわ…
彼女が一歩踏み出せなかった原因は
そんな些細な事なのです。
あぁ、もし、あのシーンが晴れていたなら
きっと、
間違いなく彼女は、イーストウッドの車に走り寄り
そのまま夫を残して、
別の人生を選択する道を選んだのではないかと思うのです。
雨が…あのイーストウッドのワカメヘアが
そうさせなかったのではないか…
…と、私めは思うのであります。(~_~;)
清水由美 ☔️