遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



           斉藤惇夫

さあゆこう仲間たちよ
 住みなれたこの地をあとに
 
 曙光さす地平線のかなたへ
 聞こえるだろう ほら
 梢をゆする風の中に
 流れ下る河の歌声が

 さあゆこう仲間たちよ
 ふりそそぐ日の光を背に
 若草もえる岸辺のはてへ
 聞こえるだろう ほら
 川面をわたる風の中に
 はるかとどろく潮鳴りが

 われら草の根をまくらに
 旅を住処とし
 久遠の郷愁を追いゆくもの

 さあゆこう仲間たちよ
 うずまきさかまく大海原を
 残照輝く水平線のかなたへ
 聞こえるだろう ほら
 あれくるう風の中に
 自由と愛のほめ歌が


死んだ男の残したものは    谷川俊太郎


死んだ男の残したものは
一人の妻と一人の子供
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花と一人の子供
他には何も残さなかった
着物一枚残さなかった

死んだ子供の残したものは
捩れた足と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
壊れた銃と歪んだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだ彼らの残したものは
生きてる私生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない





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子供は縄文時代が好きなのでhあ....と思います。狩猟による暮らしが日本にもあった。 古墳という古代の墓などわくわくするのではと思います。しかし 数年のあいだ 教科書から正式には縄文時代の記述が消えていたのです。

........

小6社会の教科書は「ゆとり教育」に伴い、1998年の学習指導要領改訂で、最も古い時代の記述について「農耕の始まり、古墳について調べ、大和朝廷による国土の統一の様子が分かること」と規定。2002年度以降の教科書からは、農耕が始まったとされる弥生時代から記述が始まり、旧石器時代と縄文時代は原則として消えた。

これに対して日本考古学協会は強く反発、記述の復活を求めてきたが、08年の学習指導要領で授業時間が増加したため、「狩猟・採集や農耕生活の始まり、古墳について調べ」などと改訂。検定を経て、2011年度から 縄文時代の記述が復活した。 ただし、旧石器時代をくわしく取り上げた教科書はなかった。

世界でも例を観ない 1万5000年前~1万1000年つづいた 縄文時代を消すなんて いくら ゆとり教育だって もともと無理な話でした。では 消されたほんとうの理由は.....

縄文時代を消そうとした本当のねらい

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/joumonjidai.html
 勅使河原の小論は、その学習指導要領の改訂の「意図」にまで進んでいく。たんに「ゆとり」をうたった内容厳選だけではないだろう、というわけである。

 勅使河原によれば、98年の改訂の土台には89年の改訂があり、このときに指導要領に〈天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること〉(指導要領)などの項目が入り込み、日の丸・君が代の強制とあわせて〈小学校の段階で国民の思想統合をはかろうと意図したものである〉(勅使河原前掲)としている。

 勅使河原の推論では、指導要領において〈農耕の始まり、古墳について調べ、大和朝廷による国土の統一の様子が分かること。その際,神話・伝承を調べ、国の形成に関する考え方などに関心をもつこと〉(指導要領)とあるように、米づくり―神話―国家というトリニティを子どもに植えつけ、神武即位などの神話と矛盾する縄文の記述を削ったのだ、ということになっている。

〈記紀の神話と考古学による歴史とは、たとえば記紀で第一代とされる神武天皇が橿原宮で即位した紀元前六六〇年は、まだ石器時代であったというように、真っ向から対立するものであることから、神話を教科書で取り上げさせるためには、考古学による歴史叙述を教科書からできるだけ締め出す必要があるからである〉(勅使河原前掲)
以上

すなわち 天皇制 むかしはおおきみ....だったそうですが ...から日本ははじまったことにしたいわけだし 縄文を掘り下げたくない意図もあるということではないでしょうか? 日本は単一民族でないし、2000年前には200あまりの国がありました。豪族たちから歴史を買い取りあるいは奪って編集し 国内外に朝廷の正当性を喧伝したのが古事記であり 日本書紀なのですが  現皇室の先祖以前に 少なくとも近畿地方を統一した王朝があったと推測されます。それが 三輪山・オオモノヌシ は「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと) あるいは大歳の神です。

この大三輪には深い意味があるようですが それはのちにお伝えするとして 考古学的発見や オオモノヌシ 豪族のたたかい アテルイのことなど また 日本の黎明の時代こそ 古どもたちにしっかりつたえたい。また心身にかかる日本の古い知恵なども紹介していただければ こどもたちはもっともっと 心身ともに耕されるのではと思います。


 



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