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遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

⇒ こちら

火の玉が火口に落ちて すぐ 噴火......  偶然なんて あるわけない.....

NASAの画像  各地の火山のライブ画像 フクイチ(これはちょっとアヤシイのですが) 丹念に記録をとっている方がいらっしゃる方がいるんですね。それも 日本を守ることになるんですね。

少なくとも こっちは 数だけは圧倒的に多いのだから ......



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いろいろ安倍さんについて見てきますと.... パチンコ 統一教会 出自 ヤクザのおともだち 奥方の趣味..... あんまりオススメでない方ですね。日本を取り戻す ウツクシイ日本などと言っていますが 美しい感じがまったくしません。やすっぽいコピーは世耕さんか デンツウが考えたのでしょう。 調べれば調べるほど日本人から離れてゆく.... 歴代の首相に生粋の日本人はどれだけいたのか..... マスコミも牛耳られ 日本は北朝鮮と双子のような国だった.....ネトウヨのひとたちって カモフラージュしているんだか カモフラージュにされているんだか.....

野田さんはペーペーのウラギリモノだったが 安倍氏はなにするかわかんないお坊ちゃん政治家 岸の血が流れているとすれば なんでもやるでしょうね。



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⇒ こちら

以下抜粋

保導連盟事件(ほどうれんめいじけん)とは、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人など、少なくとも20万人あまりを大量虐殺した事件。

「朝鮮戦争前後民間人虐殺真相糾明と名誉回復のための汎国民委員会」の研究では60万人から120万人が虐殺されたとしている。李承晩大統領が失脚した1960年の四月革命直後に、全国血虐殺者遺族会が、遺族たちの申告をもとに報告書を作成したが、その報告書は虐殺された人数を114万人としている[。韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会」は朝鮮戦争の初期に韓国政府によって子供を含む少なくとも10万人以上の人々を殺害し、排水溝や炭鉱や海に遺棄したことを確認している公開されたアメリカ軍の機密書類にはアメリカ軍将校の立会いと虐殺の承認などの詳細が記録されている。イギリス人やオーストラリア人の目撃もあり、アメリカ軍少佐はワシントンに虐殺の写真を報告しているが半世紀の間隠蔽され続けてきた。また、アメリカ軍司令官のダグラス・マッカーサーにも報告されていたが止めようとした形跡は見つかっていない。

韓国では近年まで事件に触れることもタブー視されており、「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」としていた。

以上



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⇒ こちら

以下抜粋

血を辿っていけば吉田茂、岸信介、佐藤栄作、麻生、鳩山、福田、 鈴木善幸、宮沢喜一もみんな遠縁の親戚。

安倍と石破も

橋下も細川も近衛も何もセン十郎もみんなみんな血で繋がっている
そして彼らは皇族や大企業トップとも繋がっている
この国はごく限られた血族のもの
稀に彼らの血族じゃない者が総理になることもあるが
短命政権に終わるか彼らに取り込まれるか
例外は田中角栄....
 
以上
 
ホントかなぁ......とつい おもってしまいそうですが....日本も怖い国なのね....
 


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「満州国は私の作品だ」は岸のことば。滿蒙開拓は日本の若手官僚だった岸が中心になって日本の資本を注ぎ込み最先端の国家を捏造した。満洲がなければ大東亜戦争もなかった。統一教会を宗教法人と認めたひとでもある。

関東軍、中国農民の土地を強奪

日本の満州移民政策により、旧大日本帝国陸軍の関東軍は、中国農民から、200万ヘクタール以上の農地を強奪した。自作農地を奪われた中国農民は雇用労働者として低賃金で酷使された。

旧大日本帝国陸軍の関東軍が、開拓用地として強奪した土地は1,000万ヘクタール以上といわれる。土地を奪われた中国農民が匪賊となって関東軍に執拗に反抗した。

農地を関東軍に強奪され、匪賊化したり、賃金労働者として、鉱山、建設、農作業等で、日本人企業、日本人の満州開拓団等で、奴隷的な強制労働に服さざるを得なかった中国人農民たちの、日本人に対する強い憎しみが、日本敗戦後、鍬や棍棒により、開拓団の、老人、婦女子、小学生、幼乳児をぶっ殺すという、あまりにもの残虐な行動に駆り立てたのである。

(岸信介はさっさと逃げた、A級戦犯として巣鴨に入れられたが アメリカの方向転換 CIAとの取引で刑罰を逃れる)

195万人の苦難

当時、中国東北部(満州)に住んでいた国策開拓移民は、【根こそぎ動員】で夫を日本軍に現地招集され、多くの家庭が母子老人家庭となっていた。戦闘最前線に取り残された哀れな日本人母子老人家庭避難民は、戦闘に巻き込まれて約3万人が死亡した。

その後、病気と飢えで約21万人が死亡した」と報じている。


合田一道著『検証・満州1945年夏 -満蒙開拓団の終焉』扶桑社 2000年8月発行)は、満州各地の開拓団の日本人母子老人家庭避難民が、ソ連軍と武装した中国人暴徒集団の両者に襲われて、【殺害】されたり、集団自決(=集団自殺)に追い込まれたりした悲惨な状況を詳しく述べている。

財団法人満蒙同胞援護会(会長:平島敏夫 参議院議員・満鉄元副総裁)編『満蒙終戦史 全928頁(河出書房新社 昭和37年(1962年)7月発行)の第812頁~第813頁は次のように述べている。

受難は終戦時の満州在住の日本人約195万人(関東州内25万人を含む)すべての運命であった。もちろん程度の差はある。しかしながら、
ソ連軍の満州進撃の日から、遣送帰国の日まで、不断の危機と苦難にさらされなかった日本人は、ほとんど皆無であったろう。

なかんずく、開拓農民の受難は数多くのの実例にも見られるように悲惨深刻を極めた。この成行きは、しかし、当然ともいうべきであろう。敗戦とともに、旧満州国の権威は一挙に崩壊した。

ソ連軍の侵入、前満州国軍・蒙古軍の反乱、通信・交通の杜絶、原住民の蜂起などが相次いで、いわゆる王道楽土は恐怖と混乱の世界に急転したのであった。

特に、ソ満国境の開拓団のなかには、ラジオさえ持たず、したがって日ソの開戦も終戦も知らず、事実を知ったときには、関東軍と日本人役人がいち早く退避した後で、ひとり曠野に取り残された形となったものが少なくなかった。

しかも、それまでに、開拓団の青年・壮年男子はことごとく徴兵され、開拓団の大部分は無力な老人・婦女子・子供のみであったことが混乱と悲劇を一層増大したのであった。ごく少数の男子残留者が開拓団全員を護衛して集団南下を企図したのであったが、この退避行の道程こそ、ほとんどが、見るも無惨な、地獄絵図となったのである。

ソ連軍または中国人暴徒の襲撃に遭って殺害され、自殺して、全滅した開拓団、及び1,000名以上の自殺者を出した開拓団は、100以上を算える。

参考情報:羽田澄子監督の「嗚呼 満蒙開拓団」2009年8月

以上

残留婦人 残留孤児

それだけでなく満州には多くの残留孤児 残留婦人が残され 苦難を強いられたのである。

⇒ こちら

以下抜粋

.........旧満州の地に一人残された子供は悲惨な人生を歩むこととなった。それはもちろん当人が選んだ道ではなく、明らかに日本帝国、満州帝国が選ばせたものであった。子供は中国人に引き取られ、それが優しい人であればまだいい人生を歩むことが可能だったのかもしれないが、それがいい人でなければどんな仕打ちを受けるか分からなかった。敗戦をした日本帝国の日本人に、満州移民事業で半強制的に土地を取り上げた日本人に、現地の人は恨みを持っていたに違いない。そして、それが戦後旧満州の地に残された日本人に向けられたことは自然なことであった。中国人の家で働く子供、そこで虐待を受ける子供、そして彼らはたとえ中国で大人に成長したとしても中国人から差別を受けてしまうのであった。何かにつけて「日本人だ…」と言われ、差別の対象となった。

また、旧満州の地には多くの日本人女性が残された。彼女らに残された道もまた死ぬか、満州の大地で中国人の家に入って生きていくかという究極の選択であった。彼女らの運命は現地の中国人の手に委ねるしか生きていく方法はなかったのである。良い中国人にめぐり逢うか、それとも悪い人にめぐり逢うかはその人の持つ運命に任せるしかなかった。いい人に出会った女性はその後の人生をまだ平穏に生きることは出来たが、悪い人に出会った女性は、その運命を呪っても日本帝国を恨んでもどうにもなることではなかった。ただ悲惨な人生を生きるしか手はなかったのである。そんな人生を私は知る由もない。その時代に生まれなければ、その時代に生きていなければ、戦争に関わらなければ知ることも解ることもないのである。

以上

(正確な死者数はわかりません).....どれだけのひとが子どもを捨てて逃げたかわかりません 自らの手で殺したひともいたでしょう。すっかり忘れて また戦争をしようというのでしょうか。

⇒ こちら


 

 

 



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日本は明治維新の際 すでに乗っ取られていたという説があります。なんどかUPしてきたのですが....

江戸末期に公武合体のあと 幕府と朝廷は仲がよかったのです。ところが 皇女和宮が嫁した徳川家茂 19歳の若さで急死 直後孝明天皇は岩倉具視に暗殺された節があり (興味のある方は調べてみてね)江戸幕府は崩壊 明治維新を迎えました。 孝明天皇の息子である明治天皇は京都にいたときと東京では別人という 入れ替え説があります。入れ替わったのは山口県田布施の 南朝の流れを汲む大室寅之祐ではないかというのですが.....

奇妙なことがいくつかあるのです。

⇒ こちら

安倍首相の祖父岸信介は山口県田布施の出身 

長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。

熊毛郡の田布施町を中心にしている。
ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。
大室寅之祐=明治天皇、
伊藤博文、
木戸幸一、
宮本顕治、
河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。

むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である

小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。

鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人である。小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。

終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人出身である。本名は朴茂徳である。鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。

 先に紹介したが、終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、大室家とは親族だという。安倍源基は周知のように、戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、特高警察で君臨した。言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。権力者にとっては重要なポジションである。これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。


こうして見てくると、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、インフラ整備を徹底的に施し、“内鮮一致”を押し進めたかがわかる。つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。権力者どもにとっては同族だからだ。つまり 日本の中枢と朝鮮は深いかかわりがある。

今 安倍さんが初当選時から議員秘書を務め、小泉元首相の内閣総理大臣在任中は、内閣総理大臣秘書官として内閣を支えた飯島内閣参与を北朝鮮に派遣しているということはなにかありそう....

さらに ⇒ こちら

北朝鮮による拉致被害は、カーター大統領の時代に起きていて、その時の国家安全保障担当補佐官が、オバマ大統領のブレーンのブレジンスキー。当時のCIA長官がブッシュ父である。ちなみに言うと、当時、日本赤十字と一緒に北朝鮮への帰国事業を推進していたのは、小泉元首相の父親である。この小泉の父親は、東京大空襲=東京ホロコーストを指揮したカーチス・ルメイに国家勲章を与えた正真正銘の国賊である。

地下鉄サリン事件の前も311の前も、カーター元大統領が頻繁に北朝鮮に足を運んでいるのである。そして、カーターと□ックフェラーと金日成とイミョンバクは、キリスト教の同じ宗派の牧師の子息だか孫だ。



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⇒ こちら

岸信介は第二次世界大戦中、中国大陸で満州帝国国務院に勤務する一方、里見甫の経営するアヘン密売会社「昭和通商」で、吉田茂等と共にアヘン密売に従事し、満州帝国建設資金を調達していた。福家は戦後、里見のアヘン資金を日本の政界に持ち込むエージェントとして、岸首相、福田赳夫首相、美濃部亮吉東京都知事の選挙資金を拠出する。

日本統治軍GHQの「防諜レポート」には、里見と福家が密談し岸に政界工作資金を提供している点について、「要監視、注意」と報告。日本ではまだ無名であった岸は、重光葵外相と共に訪米しダレス国務長官と会談し、雑誌「ニューズウィーク」の表紙を飾る。

岸はボスの里見からブッシュのボス、ロックフェラーが2大政党制度を強く主張し米国で民主党の絶大な支援者である事を、教えられていた。岸はロックフェラーの「お墨付き」を貰って来た。岸は「英語語学教師」ニューズウィーク日本支局長オンプトン・パケナムを通して、24時間、ロックフェラーとブッシュに監視される事になる。

65年、里見が亡くなると、里見の資金を岸が引き継ぐ。その岸の人脈と金脈を引き継ぎ、首相となったのが現在の安倍総理である。


⇒ こちら


麻薬帝王 里見甫(はじめ)
日本に訪れた昭和初期の大不況で、生活に困った日本人の多くは中国大陸に渡った。それは日本のヤクザ、暴力団も同じであった。その中で、三井、三菱といった大財閥に資金を出資させた右翼の大物、里見甫(はじめ)の昭和通商という企業は、目立たないが最大手の企業。

里見がそこで扱うのは麻薬、アヘンであった。

「殺人株式会社」の軍事部門アイゼンベルグは第二次世界大戦中、戦後におけるイスラエルの建国を目指して日本に「研修」に来ていた。米国最大のマフィア組織であるアイゼンベルグと、日本の大物右翼、ヤクザである里見甫はここで出会う。

ショール・アイゼンベルグは、1940年に新日鉄の会長であった永野重雄の娘と結婚している。中国大陸のアヘン市場は、アヘン戦争以降、英国軍部と結び付いたイラク出身のサスーン財閥の独占市場であった。中国国民党を支持していたサスーンは、中国共産党とは折り合いが悪く、最終的に共産党が政権を取ると、サスーンは中国のアヘン市場を失う事になる。

この世代交代につけ込んだのが里見。里見は三井、三菱を背後にした資金力と飛び抜けた商才で、中国の地下経済を支配する青パン、紅パンと呼ばれる秘密結社にまで幅広く人脈を広げ、一時期は英国を始めとしたアングロサクソンを排除し、中国のアヘン市場を支配下に置いた。

その背後には、サスーンを中国アヘン市場から追い出し、次の世代の中国アヘン市場を狙うアイゼンベルグ社(後にイスラエル建国の中心となる)と里見との提携があった。この昭和通商で、里見甫の部下として「金儲け」のため麻薬売買を担った人物達の中に、右翼の大物、児玉誉士夫、そして岸信介、佐藤栄作、池田勇人がいた。


日本が第2次世界大戦に突入して行く契機となったのが、東条英機の大政翼賛会の結成。東条英機はこの大政翼賛会の結成を、野党議員の「金による」買収で成し遂げた。その買収資金の提供を求め、東条が「泣き付いた」相手が右翼の大物、里見甫であった。
里見とアイゼンベルグの麻薬資金が日本の戦争体制を「成立」させていた。




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カエルの孫はカエルか.....下僕の孫だから アメリカに50兆円捧げても 訪米でレセプション どころか 水一杯しかもらえない 屈辱外交なのかな....

⇒ こちら

総理大臣を退任してからも影響力を行使し、フィクサー、黒幕 「昭和の妖怪」とも呼ばれた。なお、正力松太郎などとともに中央情報局(CIA)から資金提供を受けていたとされ、2007年に米国務省が岸内閣を通じ秘密工作を行い日本政界に対し内政干渉していたことを公式に認めた。

⇒ こちら

戦後、ある時期まで、日本の自民党政権を支えていたのは、CIA資金をはじめとする、アメリカからの財政援助だった。
 94年10月9日付けニューヨーク・タイムズが次のように報じている。国立国文書館に収められた国務省文書によると、1958年7月29日、当時のマッカーサー二世・駐日大使は国務省に対し、岸内閣の佐藤栄作蔵相が米大使館に国政選挙に向けた資金援助を要請してきたことを伝えるメモを送った。
1955年から1958年までCIAの極東活動の責任者だったアルフレッド・ウルマー二世は「われわれは情報を自民党に依存していた」と語り、CIAが自民党を支援するとともに、同党内の情報提供者を雇うために資金を利用したと明かした。CIAによる秘密資金援助は70年代初めに終わった模様で、それは日米貿易摩擦拡大に伴う両国の緊張関係と符合する。日本の経済力も強化され、CIAはその後、それまでの長期的な関係を活用して、より伝統的なスパイ活動を日本で確立するようになった。
 CIAの資金提供のルートの一つとは、正確には「自民党」というより、「岸信介個人」へ直接だったといい、動いた金は1000000ドル単位だった。
 1958年の総選挙では「CIAは佐藤の要請を受け、岸に対して資金援助を行っていたのは、ほぼ疑いがない」。戦後、アメリカ(=CIA)による日本の政権中枢に対する工作のターゲットは、一貫して岸信介(安倍晋三の祖父、1896―1987)だった。GHQからしてみると、旧自由党系の吉田茂(1878―1967)が必ずしも占領政策に従順ではなく、いろいろと駆け引きも行なったため、マッカーサーはもとより、GHQ内で情報工作を担当するG2からも、「吉田はナマイキだ」と相当、嫌われていたからである。そのため、吉田に対する牽制の意味もあって、「アメリカの言うことをよく聞く岸」にテコ入れしていった。
 フジテレビの取材に応じたアリゾナ大学教授のマイケル・シェーラー(米国務省公文書解禁審査会委員を務め、秘密文書の公開基準を作成する作業を通じて、そうした文書を閲覧している)は、番組〔2004年8月14日『妖怪 岸信介』〕で次のように述べている。
 「岸は1953年から1955年にかけて頻繁に訪米し、米国政府関係者に日本政府の内部資料について、レポートを渡していたようだ。その見返りとして1955年ごろから、米国政府は岸に資金提供するようになった。」
 「岸の問題はアメリカの思惑通りに動きすぎたところにあった。日本が本当の意味で独立できていないのは、ある意味で岸の責任だと思います」



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そもそも フクシマ第一の事故は経産省が推し進めた原発事業の失敗が根っこにあるのです。水道に放射能 海にも山にも食べものにも放射能 経産省は国民に謝罪したのですか!? 弾圧なんてできるのですか!???

⇒ こちら

4.テント日誌 特別版(5月14日)
  経産省職員による2台の監視カメラとハンディカメラによる執拗な撮影行為は挑発的で、敵愾心丸出しで、個人の肖像権を侵す犯罪である-不当逮捕の抗議声明
  

 声 明
                       経産省前テントひろば

 2013年5月10日、丸の内署は、テントスタッフの一人Bさんを暴行の容疑で逮捕した。同日14時30分頃、テント放送の準備が行われている時、経産省の金子洋悦(この度の訴訟における原告指定代理人のうちの1人)が、ビデオカメラをもった氏名不詳の男C、他とともに注意に現れた。Bさんは防犯カメラの台座(コンクリート製)に腰掛けて何気なくその模様を眺めていただけであるが、Cは執拗にBさんの顔を至近距離から撮影し続けた。Bさんは当然ながら、肖像権の侵害だから止めるように、と何度も要請したにもかかわらず、顔の数センチまで接近して撮影を続けた。


たまりかねたBさんは、手でカメラをどけながら「あんたも、こうやってなでられたら嫌だろう」とCの顔をなでるようにしたとたん、Cは「暴力だ!」と突然叫びだし、別の職員が警察に緊急連絡し、丸の内署、警視庁本庁から公安刑事を含む総勢約50名ほどの警察官が駆けつけた。

警察は私たちと経産省職員の間に入って、双方から事情を聞くというような行動となった。もちろんBさんを初め現場にいた仲間Dさん等は、いま起きたばかりの事態を説明した。ややあって、事態は収束したのであるが、最後に刑事はB
さんに「丸の内署まで来て、事情を説明してほしい」とBさんに要請。Bさんは、自らやましいことは全くなかったので、何らの疑いも持たずに事情聴取のために丸の内署に同行することになった。

その際、Dさんが「一緒に行こうか」とBさんに話し掛けたが、Bさんは「大丈夫ですよ」ということであったので、Dさんも全く大した問題ではないとの判断から、Bさんは一人で丸の内署に行くこととなった。その後、帰還があまりに遅いので、気をもんでいたところ、救援連絡センターから連絡が入り、Bさんが逮捕されたと情報を得た。Bさんの容疑は暴力行為ということだが、ともかく直ぐにDさんを含む2名が丸の内署に事情を聞きに出かけた。捜査中ということで埒があかなかったが、ともかく逮捕されていることは確認された。合わせて、Bさんはペースメーカーをつけており、心臓病の関係から、病院にいっているということだけが確認された。
 

事実は、Bさんが超至近距離からの執拗な撮影を拒否し、それに抗議し、「あんたも、こうやってなでられたら嫌だろう」手を挙げた時たまたま、その手がC職員の顔に触れただけである。顔を叩くとか殴るとかとは程遠い行為である。C職員は大仰に騒ぎ立てて警察を呼び、文字通り事情聴取ということでBさんを丸の内署に同行し、そのまま逮捕したのである。容疑は暴行と器物損壊ということである。
 

そもそも最近の経産省職員のテントに対する対応・嫌がらせは敵愾心丸出しである。すでに「防犯カメラ」と称する監視カメラを2台もテント付近に据え付けてあるのに、ハンディカメラによる執拗な撮影は挑発的で目に余るものがある。また、経産省は、私たちの請願権さえ認めようとしていない。請願書を、請願者を一人に限定して、下位の職員に門前で受け取らせるなどという礼を欠く卑劣な行為をした。

 経産省職員による執拗な撮影行為は、個人の肖像権を侵す犯罪である。
○直ちにこのような犯罪行為を止めよ!
○今回の「(土地)明渡訴訟」と連動したかのような、挑発行為を一切止めよ!
 警察は、経産省の職員による犯罪行為を放置し、経産省の職員の一方的な証言
に基づいてテントスタッフを逮捕した。これは不当な逮捕であり、テントに対す
る不当で露骨な弾圧であることは言をまたない。
○警察は不当な弾圧を止めよ!Bさんを直ちに釈放せよ!
○警察は、私たちと経産省との係争に不当に介入するな!
○東京地裁は、Bさんの拘留延長を絶対認めてはいけない!
                        2013年5月13日



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このごろ また喉がイタイです。なにを撒いているのかな 毎日 ケム空

  小山 5/16 地震雲掲示板 からですが ケムトレイルです。

 

この波波は電磁波によるもの

地上から見るとこんな感じ....

ケムトレイル掲示板から

福島県は3.11以降、20代前半の女性の8人に1人は県外に転出したそうです。早く全員脱出して欲しいけど、多くの県民が安全洗脳されてますから、いずれ人口、税収が激減し県の体裁をとれなくなるでしょう。作業員確保、被曝データ取り、健康被害隠ぺいのために徹底的に県民を騙してます。福島ジェノサイドです。F1を石棺にしないのもわざとですね。継続的に被曝させるためです

政府は肥料へ肉骨粉を混ぜることを12年ぶりに解禁するそうです。

九州の野菜も低レベルながらぼつぼつ汚染が見つかってます。特に大分は危険な予感。大分の名産の椎茸なんか、食べるの諦めてます。セシウム出てます。辛子椎茸大好きだったのに。

以上

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どうせ潰れるなら早く潰れて.....抱きつき心中はやだな......もう抱きつかれてるけどね....

アメリカは国際金融資本に食われた.....おつぎは日本かも。 日本の神様 どうか 日本とその国民をおまもりください。日本を売る裏切り者には厳罰をおあたえください。



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既定の路線ですね。このひとに何求めたってムダ.....

⇒ こちら

安倍晋三首相は15日の参院予算委員会で、安全性が確認された原発の再稼働について「政府一丸となって対応し、できる限り早く実現していきたい」と述べた。

首相は「原子力規制委員会で『安全だ』となれば尊重し再稼働を進めたい」と改めて強調。「今後、原子力規制委で、新規制基準との適合性が確認された段階で、立地自治体と関係者の理解と協力を得るため最大限取り組む」と語った。

原子力委員会新大綱策会議のメンバーは?

⇒ こちら

以下抜粋

原子力委3人に業界から寄付 5年間で1800万円 2012年2月6日
http://www.asahi.com/national/update/0206/OSK201202050122.html

朝日新聞に原子力政策の基本方針を決めるための「新大綱策会議構成員」の大学教授3人(原子力専門)全員が2010年までの5年間に原発関連の企業・団体から計1839万円の寄付を受けていた。


寄付をを受けていた教授は下記の3名です
東京大の田中知(さとる=日本原子力学会長)
大阪大の山口彰
京都大の山名元(はじむ)

以上

それに モルガン・スタンレー 住友商事?? なぜ ほんとうの国民の代表が入っていないの? 

⇒ こちら

首相、6月に東欧首脳に原発トップセールス「外交のウイング広げる」

安倍晋三首相は6月17、18日に英国で開催される主要国首脳会議(サミット)に出席するのに合わせてポーランドを訪問する方針を13日、固めた。
以上
 
外交のウィングってなんですか? 翼ですか? 安倍さんは原発をひろめるキャプテン翼!?


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⇒ こちら

以下転載

5月14日(火)深夜AM1時15分ごろ、前と同じ場所の看板に音がした。近い住民が起きて家の外を覗いた。暗闇を逃げる人・車が見えた。5.14看板今回の特徴は、前の2回と違って、スプレー汚しが中心です。少し叩いた程度なので音はして凹んだが、何度も叩けなかったため、大きな穴を開けられなかった。

昨日(5月12日)に判明したこと。看板再建が午後3時だった。午前11時に黒いワンボックスカーが最終処分場近くに行きユーターン。「非国民・・・」とか怒鳴って走り去った。
看板破壊の犯人との関連は不明だが、住民意思を曲げない池多住民を敵視する、右翼ごろつきが動いている事を示している。



昼には、汚された看板洗浄を行って、写真のように元気に交差点に立っています。看板破壊者の住民への恐怖心がスプレー汚し程度に示されています。
富山市「池多の未来を守る会」より「頑張りますのでご安心下さい」。伝達を依頼されました。

以上



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