心にかかっていた金鑚神社に参拝しました。インターチェンジを降りて およそ20分 蛭川を過ぎて神川へ
駐車場に降りると 小鳥のさえずり したたる緑 苔むす坂道 古びた多宝塔 朱塗りの橋 さながら京都を思わせる
古雅な御やしろ... 手水も神楽殿も端正なつくりでした。....ただし拝殿のみ 御室山(御岳山)がご神体
鏡岩には規制があって行けなかった。拝殿の右から強くやや重い氣 左からすこしやはらかな沢山いろあいのことなる氣
帰り 珈琲 カフェでうかがったところによると この冬の大雪でなにかが崩れ 修復がいまだにされていないとのこと。
もし ご覧でしたらお願いがあります。多宝塔を塗り替え 注連縄を架け替え 鏡岩へ行く道を補修してください。
これだけのすばらしい御やしろやお山 もっと多くの方々にご参拝いただけたらと思います。
境内案内板より
金鑚神社
所在地 児玉郡神川村二の宮
金鑚神社は、旧官幣中社で、延喜式神名帳にも名を残す古社である。むかしは武蔵国二の宮とも称された。地名の二の宮はこれによっている。
社伝によれば、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打石を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と素盞嗚命を祀ったのが始まりとされている。 鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が厚く、近郷二十二カ村の総鎮守として祀られていた。江戸時代には徳川幕府から御朱印三〇石を賜り、別当の一乗院とともに栄えた。
境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、平安時代の後期、源義家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたときのものという伝説の遺跡”駒つなぎ石””旗掛杉””義家橋”などがある。
なお、この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体としている。旧官・国幣社の中で本殿がないのはここのほか、全国でも大神神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。
金鑚神社多宝塔は国指定重要文化財
金鑚 かなさな の由来
①日本武尊東征の帰途、東国鎮護のために、伊勢神宮の叔母である倭姫命から草薙剣に副えて、賜った火鑚金(火打石)を御霊代として、御室ヶ嶽にを祀った。
②社名「金鑚(かなさな)」は、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源であると考えられている。神流川周辺では刀などの原料となる良好な砂鉄が得られたと考えられており[2]、御嶽山からは鉄が産出したという伝承もある
その他
金鑚神社に関しては、『魏志倭人伝』に記述される2・3世紀頃の倭人のクニの1つ「華奴蘇奴(かぬそぬ)国」の中心地とする説(山田説)がある[14]。この説の背景として、神川町の属す児玉郡には埼玉県内でも最古級の古墳が残っている[注 4]。
帰り珈琲工房kuroyanagiに寄りました。
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