遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

⇒ こちら

以下抜粋

プレスTVによりますと、ガザ地区は現在、食糧や燃料、医薬品、医療機器といった必需品の不足により、危機的な状況となっているということです。

ガザ地区在住のある女性は、プレスTVとのインタビューで、「パンを買うために、もう数時間もここに並んでいる。住む家を失ってしまい、家族とともにここにいる。この行列には終わりがない」と語りました。

ガザ住民の生活は、シオニスト政権軍の攻撃だけではなく、同政権による封鎖措置により、さらに困難を極めています。

ガザ地区のある男性は、「我々は、6時間以上もここで食料を探し回っている。私たちが得られる物は何もなく、燃料も、電気も、水もない」と述べました。

ガザ地区地区の農業従事者は、自分の畑すら入手できず、この問題により野菜や果物の不足が発生しています。

さらに、封鎖措置により、小麦などをはじめとする食糧の不足という懸念が存在しています。

ガザ地区の別の男性は、「商店に行っても、食料品がない」としました。

農業従事者は、攻撃されるという恐れから、自分の畑に出向いて野菜や果物を収穫することが出来ない状態にあります。

イスラエル軍の戦闘機は、今月8日からガザ地区の多数の場所を空爆し、家屋を破壊して、多数のパレスチナ人家族を殺害しました。

以上



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血に飢えた野獣のごとく 殺し 殺し 殺す イスラエル

田中龍作さんの渾身のレポート 心臓のよわいひとは見ないで ⇒ こちら

 

国連の避難所 爆破 ⇒ こちら

以下抜粋

ジャバリア難民キャンプは、中東戦争以降、多くのパレスチナ人が流れ着いて出来た街で、ガザの中でも最も人口密度の高い地域の一つ。同地区にある「ジャバリアA&B女子学校」は、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営するもので、現在はベイトハヌーンなどガザ北部の戦闘の激しい地域から避難してきた人々の避難場所となっている。現場に駆けつけた筆者を待ち受けたのは、むせ返るような血の臭いだ。犠牲者の肉片や血糊、頭蓋骨の破片などが破壊された教室の周囲に散乱していた。犠牲者は周囲の二つの病院へ搬送され、両病院に筆者が確認したところ、死者は22人、負傷者は140人ほどだという*。しかも、死者のほとんどが未成年だった。安全を求め我が家を捨て逃げてきた人々にとって、避難場所である国連の学校への攻撃は非常にショックだったらしく、「なぜ、この様な非道が許されるのか!」と、筆者に興奮気味にまくし立てる避難者も少なくなかった。

以上



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心にかかっていた金鑚神社に参拝しました。インターチェンジを降りて およそ20分 蛭川を過ぎて神川へ

駐車場に降りると 小鳥のさえずり したたる緑 苔むす坂道 古びた多宝塔 朱塗りの橋 さながら京都を思わせる

古雅な御やしろ...  手水も神楽殿も端正なつくりでした。....ただし拝殿のみ 御室山(御岳山)がご神体

鏡岩には規制があって行けなかった。拝殿の右から強くやや重い氣 左からすこしやはらかな沢山いろあいのことなる氣

 

帰り 珈琲 カフェでうかがったところによると この冬の大雪でなにかが崩れ 修復がいまだにされていないとのこと。

もし ご覧でしたらお願いがあります。多宝塔を塗り替え 注連縄を架け替え 鏡岩へ行く道を補修してください。

これだけのすばらしい御やしろやお山 もっと多くの方々にご参拝いただけたらと思います。

 

境内案内板より

金鑚神社
所在地 児玉郡神川村二の宮
金鑚神社は、旧官幣中社で、延喜式神名帳にも名を残す古社である。むかしは武蔵国二の宮とも称された。地名の二の宮はこれによっている。
社伝によれば、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打石を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と素盞嗚命を祀ったのが始まりとされている。  鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が厚く、近郷二十二カ村の総鎮守として祀られていた。江戸時代には徳川幕府から御朱印三〇石を賜り、別当の一乗院とともに栄えた。
境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、平安時代の後期、源義家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたときのものという伝説の遺跡”駒つなぎ石””旗掛杉””義家橋”などがある。
なお、この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体としている。旧官・国幣社の中で本殿がないのはここのほか、全国でも大神神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。


金鑚神社多宝塔は国指定重要文化財

金鑚 かなさな の由来

①日本武尊東征の帰途、東国鎮護のために、伊勢神宮の叔母である倭姫命から草薙剣に副えて、賜った火鑚金(火打石)を御霊代として、御室ヶ嶽にを祀った。

②社名「金鑚(かなさな)」は砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源であると考えられている。神流川周辺では刀などの原料となる良好な砂鉄が得られたと考えられており[2]、御嶽山からは鉄が産出したという伝承もある

その他

金鑚神社に関しては、『魏志倭人伝』に記述される2・3世紀頃の倭人のクニの1つ「華奴蘇奴(かぬそぬ)国」の中心地とする説(山田説)がある[14]。この説の背景として、神川町の属す児玉郡には埼玉県内でも最古級の古墳が残っている[注 4]

帰り珈琲工房kuroyanagiに寄りました。

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