12/7 の語り継ぐ戦争と平和 片岡輝 詩人 語り手たちの会代表理事 の講義は圧巻でした。
野村敬子先生の いのちと語りどうように 語りはいつもいのちとともにあったと実感した講座でした。
わたしたちひとりひとりの人生はそのままひとつのものがたり 自分やまわりのえにしあるひとたちのものがたりをのこし地域で共有することのたいせつさを先生は教えてくださいました。
途中 淡々と語られる 靖国の英霊の想い 中国人捕虜を銃剣で順番につきさす ”ひとつ” の訓練 リョウというその中国人は 厨房で日本兵の食事をつくっていたのです。
「わたし 殺す よくない」 泣き叫ぶ中国人を だれが最初に ”ひとつ” をするか? やりたくないとしり込みするもの 自分が と名乗りをあげるもの 腿から突き刺すもの 最後のほうにつきさしたひとの感触は 豆腐を突き刺したような....というものでした。
わたしは 地元の戦争体験者のはなしを思い出しました。そのひとは自分はむごくてどうしてもできなかった といいました.....しかし 戦中の軍隊でそれがゆるされたのでしょうか?
ある友人のお舅さんの話 夜 三階建ての自分の部屋の壁をどんどん叩く......家人がかけつけると 銃剣をもって 突撃するしぐさをし 奇声をあげて 泣く。
ひとを殺したくなくても 人殺しにさせられてしまう それが戦争です。
片岡先生の話は 民法放送時代に体験した 死体安置所のはなし さっきまで息をし 酒を飲んでいたひとが 突然 ものいわぬ死体になってしまう いのちのはかなさ 一滴の輸血もされず血を流して死んでいった兵士 昭和天皇のご最期にまで話がおよびました。
わたしたちは自分のいのちに責任をもたなければなりません。 自分の意志をたしかめ 時代の流れに押し流されないように生きてゆかねばなりません。深く考えさせられた講座でした。
わたしが個人的に感じたのは 語る話に 閾値はないということです。たとえどんなに残酷であったにしろ暗く重いにしろ 物言わぬ人の代わりに語らなければならないことがある。語りは癒し 愉しく 明るい話ばかりというのは テレビのお笑いばかりの放送につながるのではありませんか?
人生には痛み 苦しみ 悲しみ がある 愉しいことより悲しい 理不尽なことのほうがずっとずっと多い。そのようなものから目をそらしていては 社会は国は流され 為政者や権力の思いのままになるだけです。
講義のあいだに 三つのパーソナルストーリーを三人が語りました。テーマはそれぞれ 生と死 再生.....愛 ..... すべてのものがたりにひそむ永遠のテーマです。泣いていらっしゃる方が何人もいました。わたしは 蘇州夜曲の原点になった 三つの事実譚をまとめてひとつのものがたりとし 一人称で 代弁の語りとして語りました。
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きのうはメジロまで片岡ゼミに行きました。片岡先生の「カタリカタリの若いメンバーには芯がとおっている」というお褒めのことばがうれしくまぶしかったです。きのうの講義は 王朝文学のつづき 能・狂言でした。飛ぶ教室となり はなしは 教育問題 トラウマ 姥捨て いじめ にまで及びました。次回のテーマはそのようなものがたりをつくってくる あるいはさがしてくる です。
まだ 三回目ですが 問題を深く掘り下げ 物語の種子をさがすことのできるありがたい講座です。けれども 豊かな問題提起に対して 実践が乏しいようにも思いました。カタリカタリでは月に一度の例会にかならずひとつのものがたりを再話したり創作したりしてもってゆき 語ること聴くことで共有します。 理論と実践は車の両輪です。わたしは目白ゼミにおいて毎回 すくなくともふたつのものがたりをもってゆくことを自分に課してゆきます。