音楽の喜び フルートとともに

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ボーンズレッスン

2012-04-04 21:02:42 | レクチャー、マスタークラス

ハイドンのSix Qutuor 2番adagio 電子図書館の楽譜。
タブレットに取り込んだ楽譜を、USBに取り込んで、テレビ画面に映して演奏してみました。
液晶画面で、平面なので、一ページを近寄って吹いていると、下のほうを読むときになると、自分もひざを折って視線を下げないと読みにくい。いすを使うか、テレビを上げればいいのだけど、今日のところはこれ。
表示は1ページごとで、譜めくりは、本に準じるくらい。
何よりいいのは、表示が大きいので、目が悪くなってきたけれど、読みやすいこと。

今朝は、ボーンズレッスン。
長い年月練習していて、最近気づきました。
初心者のときに読んだ、教則本に、いい例、悪い例と言うのが載っていて、この悪い例というやり方を自覚して使ったことがなかったことに。
試してみると、体が楽。音もいい。
なぜ、試さなかったのだろう?

良い悪いという二極的な見方は、音楽や、人間を表現することとは、なじまない。

昔は音楽とは見られなかった、ホイッスルトーンや、フラッタータンギングも今や、作品の中で使われ、フルートの可能性をどんどん広げている現代において、芸術は、表現の多様性を保障するものであるというのに。

未だに、はまっていることがたくさんあります。
今回、見つかってよかったけど、試さなかった自分の過ぎ去った時間が残念。

自分の体の内的感覚を味わっていて、それを相手に伝えようとした途端、その内的感覚を手放してしまうことがあります。
たとえば、相手がティッシュを必要としていて、相手のためにと探して、ティッシュを渡そうとした瞬間。手が震えたり、不安な様子で渡そうとしている自分がいます。それは、相手と対峙した瞬間、相手への貢献感が一番の目的ではなく、関心を得ようとすることに目的がすり替わったことを示しています。
不安の表明は、人の関心を得るためにとても強力は方法。しかも、言葉が介在せず、暴力もないということは、矯正されない。
けれど、本人以外には、わかっていて、人を遠ざけてしまいます。

内的感覚を飛ばさないで、相手と対峙することがコミュニケーションをとるためには不可欠ですが、まず、飛んでいる自分を自覚すること。それから、はじめること。

芸術家とは、その内的感覚を飛ばさない人のことで、しかも、人とつながれる人のことです。
自覚してバランスをとり続ける人のことをいいます。

子どもの自分を失わないで、なおかつ社会的にも動けるということかな。
まだまだだなぁ。レッスンレッスン。