木曜午後は京都今出川大宮の富久田先生のレッスンでした。
帰りは
四条駅までバス。
鴨川のほとりはやっぱり、こうでなくっちゃね。
ジェームズ・ティソ(1836-1902年)フランス
アーサー・ハッカー(1858-1919)イギリス バビロンの川のほとりで
行きは京阪出町柳駅から、バス。
帰りは
四条駅までバス。
さすがに四条駅は人が多かったです。 コロナで空っぽだったダブルデッカーの観光バスもたくさんの人でいっぱいでした。
そしてまだ寒い上に小雨も降ってきたのに、こちらも復活。
鴨川のほとりはやっぱり、こうでなくっちゃね。
川のほとりと言えば…バビロン川のほとりで…不謹慎かな。今に繋がる暴力の応酬の発端。恋人たちの方がずっといいけど
ジョバンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ パレストリーナ(1525~1594年)教皇領パレストリーナ生まれ、教皇領ローマ没
16世紀後半ローマで活躍した教会音楽家で、ルネサンス後期最大の作曲家でポリフォニー様式の確立に貢献したと言われています。
彼の作品は非常に多数にのぼり、105曲のミサ曲、400曲以上のモテット、100曲のラテン語の宗教的作品、60曲のイタリア語の宗教的作品、90曲のイタリア語の世俗的作品、オルガン曲などを残しました。
Super flumina Babylonis(バビロ ンの流れのほとりで)は、詩編 137 編 1-2 節がテキスト、モテット集第2巻(1581年)に収録されている代表的なパレストリーナ様式の4声のモテットです。
新バビロニアの王ネブカドネザル 2 世
ネブカドネザル2世(BC642-BC562年)
によるエルサレム陥落
によるエルサレム陥落
ホアン・デ・ラ・コルテ。
新バビロニア王国のネブガドネザル2世の軍勢に攻め込まれるエルサレム
によりバビロニア地方へ捕虜として連行された「バビロンの捕囚」の一場面を描いています。
によりバビロニア地方へ捕虜として連行された「バビロンの捕囚」の一場面を描いています。
ジェームズ・ティソ(1836-1902年)フランス
囚人の逃亡
捕囚され、連行されたユダヤの民が、故郷のシオンを思って膝をつき、涙を流すという場面です。
アーサー・ハッカー(1858-1919)イギリス バビロンの川のほとりで
わたしたちを嘲る民が
楽しもうとして
「歌って聞かせよ、シオンの歌を」
と言うが
どうして歌うことができようか
主のための歌を異教の地で。
エゼキエル書によると、ユダの捕囚民の大部分は、バビロニアにあるケバル川沿いに移住させられたとあります。
「バビロ ンの流れのほとりで」
バビロンの流れのほとりに座り
シオンを思って
わたしたちは泣いた
竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた (詩篇 第137篇 1-2節)
学生時代に、よく鴨川の河川敷を歩きました。
卒業してからも、しょっちゅう京都に行っていたのですが、コロナ禍とオーバーツーリズムで、最近はご無沙汰。
鴨川沿い散歩いいですよね~!
コロナ過ぎたので、また、おでかけくださいね😊
きっと心がきれいなんですね!