10月31日5歳児を幼稚園にお迎えに行って、1時間ほど預かりました。
こんなのを頭に着けて幼稚園から出てきました。
ハロウィンパーティーが幼稚園であったそうで、
こんなのを頭に着けて幼稚園から出てきました。
「ジャック オー ランタンとか、骸骨がいた。」
「明日から11月、カレンダー作ろう!」と言い出し、カレンダーを作りました。
ハロウィンはすっかり根付いているようです。
地元の商店街でも扮装をして「トリックオアトリート!」と言うとお菓子を貰えるお祭りと模擬店が出ていました。
ハロウィンの起源はケルトのドルイド僧の儀式と言うのはどうも捏造だそうです。
といっても近世にはもう信じられていたようで、民間のお祭りという位置づけでした。
キリスト教の万聖節の前夜祭(All Hallow's evening→Hallow's even→Hallowe'en)とされますが、万聖節自体はローマやフランク王国で7世紀~9世紀に始まり、17世紀には万霊節(11月2日)としてイングランドやウェールズ、アイルランドで、これと似たお祝いがあったそうです。
現在、万聖節は祝われず、カトリックでもプロテスタントでも、キリスト教ではハロウィンは正式な祝祭ではありません。
冬の始まりが新年の始まりとされ、11月1日が万聖節、その前日10月31日が万霊節。
あらゆる死者の霊が地上に帰ってくる…日本のお盆のような感じ?
19世紀になりアイルランド、英国から大量に移民がアメリカへ到着し、万聖節が伝えられました。
案外、歴史は浅いです。
リヒャルト・シュトラウス(1864-1964年)バイエルン王国ミュンヘン生まれ、 ドイツ連邦共和国バイエルン州オーバーバイエルン行政管区
ガルミッシュ=パルテンキルヒェン郡
ガルミッシュ=パルテンキルヒェン没
が1885年ヘルマン・フォン・ギルムの詩につけた
歌曲「万霊節」Allerseelen
初めて作った歌曲集『「最後の葉」("Letzte Blätter" )による8つの歌曲』作品10の中の一曲です。
シュトラウスの歌曲の中でも特に演奏機会の多い作品で、畑中良輔は、「この比類のない美しさと清純さは、彼の壮大な交響詩が滅ぶことはあっても、おそらく永遠のものとして残るであろうと思われる」と言っています。
「万霊節」
テーブルの上に香り高い木犀を置いて
名残の赤いアスターをこちらへ
そしてまた愛について語り合おう
かつてのあの五月のように
手を伸べておくれ
僕はひそやかに握ろう
もし人に見られても気にしない
甘いまなざしをひとめ僕に
かつてのあの五月のように
今日はどのお墓も花と香りに満ちて
1年に1度だけ死者が自由になる日
僕の胸においで もう一度君を抱きしめよう
かつてのあの五月のように
かつてのあの五月のように