「ニヴェルのジャン」幻想曲は、1881年ポール・タファネル(1844~1908年)により作曲されました。この曲は、1880年に作曲されたドリーブのオペレッタ「ニヴェルのジャン」がテーマにされています。
タファネルはフルートの練習法を確立した人で、教則本が有名ですが、オペラのファンタジーも美しい曲を書いています。
トマの「ミニョン」「フランチェスカ・ダ・リミニ」ウェーバーの「Freisvhunt」のファンタジー、そしてこのドリーブの「ニヴェルのジャン」です。
クレマン・フィリベール・レオ・ドリーブ(1836~1891年)は、フランスバレエ音楽の父「コッペリア」や「シルヴィア」「泉」を書いた人ですが、オペレッタも「ラクメ」など何曲か残しています。
「ニヴェルのジャンと言うオペレッタは、今では演奏されることがなく、調べていますがまだ見つけられません。
替わりに
ニヴェルは、フランス北部、ベルギー国境近くの町で、ニヴェル川沿岸にあります。
「末っ子ルセル」というフランスの童謡に、臆病者の代名詞で、「ニヴェルのジャンの犬」と言う表現されています。
15世紀のベルギーの伝説に、父親から戦争に行くようにといわれたのを拒んだ二ヴェル村のジャン。というのがあるそうです。戦争から逃げ出した、臆病者のジャン。と言う言葉が生まれたかもしれません。
曲はマンドラゴラのバラード(Ballade de la Mandoragore)、
射手の行進とトリオビュッフェ(Marche des Archers et Torio Bouffe)、
ミル(小麦挽き機)の小さな物語(Fabliau du Moulin)からなっています。
どんな歌か今はわかりませんが、なんだかおもしろそうでしょ。
引き続き調べますが、もしご存知の方情報いただければうれしいです。
日曜日に11月21日に開かれる樟蔭大学マンドリンクラブ第45回記念コンサート、最後の練習がありました。いつもは同窓会館ですが、今回は、樟蔭の記念館で行われました。昭和2年に建てられた建物だそうです。
2階のアールのついた窓コーナーに、階段から、玄関を見た所。窓の格子や、木製階段の手すりが良い感じ。照明のつくりも凝っています。建物2階のこの部屋で練習。
金属のフルートよりも、丸い木製のマンドリンが似合います。
私が在学中は図書館として使われていて、よく通いました。
図書を頼むと、一階の書庫から本が、小さな本用のエレベーターで上がってくるのでした。
宮澤賢治や、井原西鶴をゼミに間に合うように借りられるか?がいつも大問題だった私にはちょっとイラつく経験でした。若かったんですね。
風情があったのに・・・。
卒業の時、図書館で働かないか?と教授に声をかけられましたが、断ってしまいました。高校から7年間も通ったので、外の世界が見てみたかった。
あの時、承諾していれば、今もここで働いていたかも。
人生っておもしろい。
なんだかんだとあってまだ人生半ばですが、一巡して、若い頃出会った仲間とここで、また音楽をするために帰っていることに、美しさを感じます。
音楽も盛り上がってきました。来週本番!
力を合わせてがんばりましょう!
これは、カホン。ペルーの民族楽器で、箱のサイドや、上やいろんなところを手で叩きます。
中にはワイヤーを貼り、少しジャラジャラした音を楽しみます。キットを買って、自分で組み立てました。
実は、ピアノのSさんの息子が、岡山の西粟倉村というところに就職しました。
村おこしのお手伝いで、いろんな企画を通して、村と、都会を繋げる仕事をしています。
粟倉村で、親子で宿泊して、その村で取れるヒノキで机を作って持って帰ろうツアーとか。きのこ狩りなどなど。
このカホンは、Sさんが村に頼んで、こちらで製作講習会をしてくれたのです。
何人か集まれば、西粟倉村のヒノキを使って作り方を教えてくれます。
小学校などにも、呼べば来てくれるそうです。
私は8月講習の当日どうしても、日が合わず、キットだけもらって、やっと今週作ることが出来ました。
木は切ってくれているので、ドライバーで、印の所にネジを差し込んでいくだけ。
ワイヤーを張ってくくりつけたらできあがり。後は、切り口や断面を紙やすりで滑らかにこすっていくだけ。
なかなか、いいできです。大音量はでないけれど、叩く場所によって、微妙に音がかわって、柔らかい味のある音がして、おもしろいです。
また、子ども達と遊ぶツールが一つできました。どうやって遊ぼうかな?
識者のコメンテーターが出ていて「僕の周りのほとんどの人は、よくやったと言っています。95パーセント以上の人がよくやってくれた。」
でも、手には50人にインタビューしたフリップ。数字は26人が、よくやった。19人がおかしい。4人が真中。
また次のニュース番組では、「よくやった。」「やったことはよくないけれど、気持ちはわかる。」「公務員として、すべきではない。」と言う人たちのインタビューの後の、アンケートの円グラフに44%がよくやった。44%が気持ちがわかる。8%が懲罰すべき。
コメントは「ほとんどの人が、行為を肯定していますね。」
いつから、マスコミはこんな情報を報道番組として流すようになったのかな?
役割と権限が曖昧なまま、ずるずるすり抜けて事が進んでいくのは、気持ち悪い。
民主主義は、正しさを競うことでも、結果でもなく、話し合うプロセス。
と思っていたけれど、世の中には、あらゆる特例があるらしい。・・・ついてけない。
寒くなってきました。今日は、11時から梅田でレッスン。
10時前の京阪電車に乗ろうとしたら、車両故障のため13分遅れ。やっと来た電車に乗ったら、なかなか動かない。
車両故障ってなんだろう?どこが壊れたんだろう?もう、線路上にはないよなぁ。
なんていろいろ考えましたが、答えもわからず、なんとかレッスンに間に合いました。
今日は、エラートの16番再挑戦。
前回、注意されたフレーズの切り方に注意して演奏しました。
今度は、「リズムが出るように吹いたほうがいいんだよ。ここは長くとか、音を小さくして欲しいとか作者はそんなに細かくは書けないんだよ。だけど、本当は細かくいろいろ変えて欲しいところがあるはずなんだ、だから、それを読み取って、少し長い音や、他のところよりも強くとか、演奏しなくちゃ。全部同じ8分の11で吹くんじゃなくて、1.2.3.1.2.3.1.2とかいうリズムがはっきりわかるように、演奏するのが親切なんだよ。」
「楽器でも、『これからこんな曲吹くからね。』と言ってあげてる?」いいえ。
「それだけでも、不思議に音が違うんだよ。お客さんにも『これは、こんなリズムでこんなフレーズなんですよ。』とわかるように出してあげないと。『なんかわからんけど、むずかしそうだった』なんて演奏は良い演奏とはいえないよ。」なるほど。
「17番も同じだよ。」
「17番の最後は、不思議な感じだね。ドビュッシーみたいだねぇ。不思議な世界に入っていくような終わり方だね。少し上目のピッチがここには良いと思うよ。」
なるほど、そう吹くと、良い感じ。
ボザのアグレスティドは、まだこなれていない。
「アグレスティドの意味は田園風。どんな田園かイメージできたらいいねぇ。難しいけれど、広がる田園をイメージできるといいね。」
この曲はまだまだ、始まったばかりです。
朝早く、先生からメールで、「パウエルが、20万円代のフルートを出しました。今日、試してみましょう。」とあり、レッスン後、先生に連れられて、Tさんと一緒に試奏させてもらいました。
頭部管銀で、定価24万円。パウエルがこの価格体で出すのは、初めてのことです。
リングキーとカバードの3本あって、カバードはもう売れてしまったそうです。
台湾の楽器メーカーを買い取って、技術指導し、仕上げはアメリカの技術者がしているそうです。
パウエルから何かもらっているわけではありませんが、やっぱりパウエルの音がいいです。音程のバランスや、音質が全く違うのです。が、価格が高くて、なかなか気軽には手がでなかったのです。それが、この価格。
「安くなって、音質はどうかな?」と思いましたが、ちゃんとパウエルの音がします。
なかなかお買い得だと思いました。
管体銀も出荷を考えておられるそうです。それは10万位高くなる予定だそうです。私もセカンドフルートが欲しくなりました。
しばらく、京都方面に来ないうちに、御幸橋が完成していました。向こう側に旧橋がまだ架かっています。この写真を撮れるのは今だけと思って取りましたが、わかりにくい。車の中からでは無理があるなぁ。やっぱり。
今日は子育てサロン。
校区の幼稚園のお遊戯室をお借りして、運動会。
朝早めに行って、今までサロンに来た子ども達が描いてくれた色とりどりの旗をお遊戯室に飾ります。そして、プログラム。
選手宣誓
準備体操(アビニヨンの橋で)
ボール回し
ボーリング
はいはいかけっこ
輪投げ
飛んでくぐって
玉いれ
何歳児が何人来るのか、当日になってみないとわからないので、どのプログラムも、歩ける子ども用、はいはいの子、抱っこ。と何本か立てで考えています。
今年のハイライトは、飛んでくぐって。
透明のビニールシートに海の絵を描いて、それをくぐり、幼稚園のソフトブロックを乗り越え、ダンボールで作ったトンネルをくぐって、ひもに吊った紙の魚を一匹づつとって、青いビニールシートでつくったボードに貼ってゴールです。
ビニールシートの絵は、Yさんの力作。トンネルは、ホームセンターで大物家電の箱をもらってきて、かわいいレジャーシートを貼り合わせて作りました。
お魚は、色紙をふっくらと魚の形に成形して、ホログラムのラッピングペーパーで包んで、目を書いてできあがり。一匹づつ手作りしました。
かけっこや、輪投げ、ボーリングなど、似たような感じのものがありますが、これが、初めての運動会と言う子も多く、「ボールを投げて」と言っても、手からボールが離れない子ども、「ヨーイドン!」といっても、ボーっと立ち尽くしていたり、スタートラインどころかお母さんにくっついたままの子どももいます。
それが、3歳のお兄さん、お姉さんが走ったり、投げたりしているのを見たり、同じような競技を何度か繰り返して経験していると、後半には、はいはいの子どもたちまで、「ここから、スタートだな。」とか、「あそこまで、いくんだな。」とわかるようで、楽しめるようになってきます。
用心深い子どもは、それでも、動かないときもありますが、その日に何もしなくても、大丈夫。
「ここでは、こうなんだな。」と言うことを必ず学んでいます。
お母さんたちも、「無理して合わせなくていいんだ。」と思ってくれれば、大成功。
今年は、この飛んでくぐっての頃には、ほとんどの子ども達が、楽しんでくれたように思います。
最後に、みんな手作りの動物金メダルをもらって、自分で作った旗と、お魚を持って帰りました。
このくらいの子ども達は、走り終わっても、ボールを投げても、お魚を獲っても、「できたよ。」と輝いています。
競争や、比較で、自分を測らない。このまま、まっすぐ育って欲しいと願います。

あまり大きな博物館ではないですが、ジオラマを使ったり、雷雨の演出があったり、工夫されています。おもしろかったのは、京大が長期に渡って芦生の森でしてきた生物の多様性の研究の報告があったこと。
昆虫の種類が減ったのを、鹿の食害のせいではないかと、鹿が入れない区域を作り、そこの虫の種類を数えて、その前と比べています。
10年にも渡って、何千種類を数える、気の遠くなる作業をわかりやすく解説されてあり興味深かったです。
夫は常設展示の京都の古地図が、ツボだったみたい。
鉄オタでもともと、廃線跡をめぐったりするのが、好きだったのが、「ブラタモリ」を見て、刺激され、今日のこの古地図。「これもって、京都歩いてみたい。」だって。
確かに、ちょっと惹かれます。
5世紀の石棺展示を見て、懐かしい気持ちになりました。
子どもの頃、よく遊んだ寝屋川の打上の石棺とそっくり。
その頃は調査もされていなくて、上にのぼったり、滑り降りて、中に入って、ま
まごとしたり。
お棺とは知りませんでした、お地蔵さんのようなものかと思ってた。
帰って、寝屋川市のHPで見たら、石宝殿古墳と言うそうです。
なんだか、おさななじみに再会したような気分になりました。
土曜日には、小学生向けの講習や、実験体験があるそうです。
12月12日まではこの展示はされているそうです。この週末、子どもと出かけて見るのは、いかが?
民主的に、平和的に問題を解決しようと思うと、葛藤を起さないことが、第一だと私も考えていました。
葛藤は、なるべく起さないようにするのが一番ですが、それを目的にすると、問題を先送りにし、後で、もっと大きな問題に発展することもあります。
争うのではなく、葛藤する。
本当に考えていることを、相手に伝え合う。それが、葛藤を起すかもしれない。と思っても。つきあえば、相手を傷つけないと言うことはあり得ない。最大限の注意と配慮を払って伝える言葉を捜したほうが良いと考えるようになったのです。
お互い歩みよれないところは、必ずあるのです。
そういう問題は、すぐに解決しなくてもいいのです。
それは、棚上げにして、付き合うためには、何が必要かと言う論議を早急に、しなくてはならないと思います。
無理矢理相手をねじ伏せて、自分の思い通りにすると、必ず、恨みが残り、隙あらば復讐してやろうという、気持ちを育ててしまいます。
有利なカード、金、相手の急所、法律。全て、相手をやっつけようとして使うと、同じものを手にして、こちらもいづれどこかで、やり込められてしまいます。
グループを抱えていたりするともっと解決は困難になってしまいます。
相手よりも、仲間同士の結束を優先してしまいがちだからです。
子ども達の縄張り争いでは、決して「縄張りをどこにするか?」と言う議論に加わりません。
話合いの場をつくることに終始します。
「大きな声で、どならない。」「何人もで、一斉に同じ事を話さない。」
「相手の言葉を最後まで聴きましょう。」「話す時間を、独占しない。」
「意見を言いたくなかったら、言わなくてもいいです。でも、わかってもらえないということを、自分で引き受けてね。」
「脅し、力をひけらかすこと、言葉の暴力は、禁止。」
結構大人でも守れません。
「考え方や、意見は違っても、自分でされたら嫌なことは、相手にも、しない。」と言うところに、持っていかないと、考え方も、バックボーンも違う子ども達を長い時間、同じ場所には、預かれません。
誰かを特別扱いするのも厳禁ですが、ハンディは保障しなくてはなりません。
力が無いように見えたり、泣いている子どもが必ずしも、弱いとも限りません。
力があるように見える方が、逆にハンディがあるほうかもしれません。
状況や、場面によって変るので、気をつけないと行きません。
ハンディを保障する場合も、特別扱いとの違いを、はっきり自分でも、子ども同志もわかるように、しなくてはなりません。
平和と民主主義は、知恵を絞ることだと私は思います。
人であろうと、国であろうと。
ご近所の、Mさんが「おはぎを作ったから。」と届けてくれました。
「ちょっと、餡を2種類つかったら、固いところと、柔らかいところができて、ブツブツするかもしれないけど。食べてくれる?」
「もちろん!」
と言うわけで、12個のきなこおはぎが家に来て、家族でおいしく頂きました。
本当にいつもありがとうございます。
おはぎと一緒に、今市子さんの「百鬼夜行抄」19巻も貸してくれました。
知る人ぞ知る怪奇漫画。
妖魔が見える大学生飯島律の日々のお話です。
妖魔は、怖いというより、人間と、関わることで、変化していきます。
妖魔も顔負けの人の心のおそろしさ。飯島家の3代の家族のそれぞれの、妖魔との関わり方もおもしろいです。
強い能力をもった祖父、感じながら絶対にその存在を認めないその長男、能力がありすぎるために、何十年も人生を奪われる次男。見えないのに、妖魔を怖れさせる力を持つ末っ子の律の母。それぞれに力を持ついとこ達。
ドロドロした田舎の怨念劇や、都会に潜む孤独につけいる魔。
私達の社会が切り捨ててきた闇や、切り捨てることのできない人の心の不可解な機微をゆっくり丁寧に触られた気がして、読み終わるとなんだか癒されています。
一日、こもって練習。
朝はソノリテ。課題1身体を動かしながら、音が生まれてから、おわりまで、どれくらい滑らかに出ているかに注意して行いました。
片足ずつ、かかと、足の側面、内側、外側、指の方、親指から小指まで、体重を移動させながら、ゆっくり長く行いました。
「どの辺で、どんな音がでるか?」と考えながらやっていると、おもしろくてあっという間に1時間。後は、跳躍の練習全部。
エラートの16番から30番まで2回ずつ。
今日はウジェーヌ・ボザ(1905年~1991年)の「アグレスティド」1942年を練習するので、その前に、ボザの「アラベスク」(1960年)の14曲を全て演奏してみようと決めていました。
「夏山の一日」や、「イマージュ」などの曲に一部が使われていたりしますが、「アグレスティド」もかなり入っています。
探しながら演奏していると、1番4番5番9番10番11番12番13番14番にも少しとか、モティーフだったりなどが入っていて、7番などはアンダンティーノからプリュ レントすっかりそのまま、無伴奏で書かれています。よっぽど気に入ってたんだろうなぁ。
ボザ独特の調性。長調にも短調入らない。スケールもたくさんでてきて、さっぱり訳がわからなかったのが、段々耳慣れてきて、ボザの感じていた美しさが、少しなりとも感じられるようになってきました。
エラートはどんなに意外性にみちていても、全音階、半音階、調性はきっちりと守っていましたが、ボザは、あっさり無視。見つけた美しいスケールを、何度もいろんな形で使ってみて、楽しんでいるように思えます。
吹奏楽や、管楽器のアンサンブルを多く残したボザですが、ピアノや弦楽器のアルペジオのような形を、管楽器だけでも再現することにも挑戦しているような気もします。
それにしても1stインプレッション、まだまだ、ぎこちない演奏です。これから、深く掘り下げて行きたいです。