丸ノ内線は1954年の開通から長きに渡り初代車両の300形を筆頭に真っ赤な車体の電車が走る路線として親しまれてきましたが1988年より現在の02系へ置き換えが開始され、本線である池袋〜荻窪間は1995年に、方南町支線には仕様を簡素化した80番台3両編成が導入され1996年に完了しています。その後2004年に東京メトロに移行してからはホームドア設置によるワンマン運転の開始や初期車両への大規模更新工事など比較的目立つ動きが見られましたが、02系による6両編成53本・3両編成6本の体制は変化することなく運用されて来ました。しかし東京メトロでは新形式の2000系電車を2019年初頭より運行開始することを発表。初期車も更新工事を受け全編成のVVVF化を達成し、これまで安泰だと思われてきた02系が全編成置き換えられることになり、中野坂上~方南町間の支線で運用している3両も消滅することになってしまいました。
唯一丸ノ内線の列車を直線で撮影できる後楽園駅で7次車の50編成を捉えました。この編成は1994年から残存する旧型車の500形を完全に置き換える為、6両編成19本が製造された本線向けの最終増備グループです。5次車である19編成までは高周波分巻チョッパ制御でしたが、20編成以降はIGBTによるVVVFインバーター制御に変更され、当然7次車もそれを踏襲しました。スカーレットの帯に細い白を加えていますが、これは丸みのある前頭部とともに初代車両の300形の面影を残すため、このようなデザインになりました。なお旧型車(300・400・500形)では編成によって東京都中野区の中野検車区と文京区の小石川検車区に所属が分かれていましたが、02系は全車両が中野に所属しています。
JR東日本の中央線・総武線と交差し雑誌などでもお馴染みの大手町~御茶ノ水間で神田川を渡るため地上に顔を出した02系29編成(6次車)。丸ノ内線は第三軌条の地下鉄路線ながら比較的地上区間が多く、太陽の下を走行する電車の姿を容易に見ることが出来ます。写真の29編成は2019年7月に廃車になり、1993年の新製から26年の活躍でした。大規模修繕工事の関係で、経年の新しい後期車グループから続々廃車が進行するとは、他社でも類似した事例があるとはいえ何とも皮肉です。
車内設備は暖色系で、床を2色にすることで着席時の足の投げ出しを抑止する効果を狙っています。歪曲した手すりは後年設置されました。座席と同じモケットが巻き付けられた手摺りは1990年代の営団地下鉄車特有の仕様です。
ドア上の車内案内表示は登場時は路線図式で、その後一部がLEDスクロール式に交換されましたが、初期車両の修繕が進むにつれ、後期の製造組もコイト電工の“パッとビジョン”に更新されるようになりました。ただしドアチャイムは旧来の営団地下鉄タイプのまま存置されています。
兄弟的存在な銀座線の01系が架線集電式に改造され熊本電鉄に譲渡された為、18メートル車体の3ドア車という事で02系も地方私鉄からの打診が期待されましたが、第三軌条集電の改造は手間が掛かるのか国内譲渡は発生せず、フィリピンのFEATI大学に02-151+02-251の2両が教材として寄贈されたのが唯一の事例になりました。後期製造組は間もなく置き換えが完了してしまいますが、国内でも何らかの形で活用される事を期待したいですね。
※2018年の記事を修正