町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

金色車体の富士急行6000系6701編成・開業90周年記念号

2024年12月11日 | 関東地方の中小私鉄

富士山へのアクセス路線として、馬車鉄道からスタートした現在の富士急行線は1929年6月29日、富士山麓電気鉄道により大月〜富士吉田(現在の富士山駅)間が開通し2019年で90周年を迎えました。それまでは富士電気軌道と称する軌道線であり更に遡ると1900年9月21日に開業し、下吉田〜籠坂峠を結ぶ都留馬車鉄道と1903年1月17日に開通し大月〜谷村本社前間が開通した富士馬車鉄道から始まり、両社は合併して軌道線による電車運転になるものの、併用軌道も存在する路面電車に近い形態であったたため急増する旅客の対応に難が出たことから新設の鉄道線への切り替えを行い、これが現在の富士急行線のうち大月線となりました。鉄道線に改められてからは所要時間が軌道線時代の2時間余から約1時間に短縮され、富士山麓が日帰り可能な観光地となっています。富士急行への社名変更は1960年5月30日、富士急行グループの分割に伴う新設の富士山麓電気鉄道への鉄道事業移管は2022年4月1日で、62年振りに開業時の社名に戻りますが旅客への案内は引き続き富士急行線の名称を使用しています。

2019年にも6000系が増備されますが、同年6月22日から運用入りした6701編成はJR東日本在籍時に先頭車化改造を受けた3000番台を種車とし開業90周年記念車両に指定、富士山の優美な姿を金で表現し市松柄と和モダンを強調した特別仕様になり、車内設備も木目と富士山柄を多様した本編成のみのオリジナル仕様とされています。また初めてキャリーケースを収納できる荷物棚も新設されました。

6701編成も何かしらのヘッドマークを掲出しての運転が多いですが、今年は11月16日で2004年の同日に開業した都留文科大学前駅が20周年を迎えたことから、記念ヘッドマークを掲出して運転しています。

オリジナル正面形状と田の字窓の6000番台との並び。6701編成は川越車両センター所属の3000番台をベースにしていますが、元は山手線に在籍していたトウ13編成のモハ205-37(→モハ205-3005→クモハ6701)+モハ204-307(モハ204-3004→モハ6801)+サハ205-29(クハ204-3005→クハ6751)で、両車は約14年振りに再会を果たしたことになります。

車内設備は引き続き木材を多様したオリジナル仕様で、ドアは黒系で塗装され化粧板も木目調になりカーテンや座席モケットは富士山の図柄をあしらった他編成にはないデザインです。車内案内表示装置はトーマスランド号に続いてLCD化されました。

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富士山へのアクセスを担う富士急行(富士山麓鉄道)6000系

2024年12月09日 | 関東地方の中小私鉄

富士急行線の普通列車は京王電鉄から初代5000系を譲り受け改造した1000系と自社発注車である5000系を運用していましたが、老朽化が進行していたため置き換えが検討されるようになり、JR東日本で運用していた205系を譲受し6000系として導入することになりました。会社規模の割に私鉄への通勤型電車の譲渡を行うことは比較的珍しく、民営化前の国鉄時代から秩父鉄道へ譲渡されていた101系に次いで2例目の移籍です。2012年より継続的に導入が続いていますが、複数の路線で使用されていた車両を少数ずつ導入しているため形態差があり、このうち6001・6002・6003編成は二段窓が特徴的な量産先行車であることが大きな特徴です。

2013年までに京葉車両センターから3本が導入された6000系6000番台。いずれも譲渡に際した3両化では余剰となるクハ205から切り出した前頭部を継ぐ形で先頭車化されています。写真の6002編成はケヨ26編成のうちモハ205-9(クモハ6002)+モハ204-9(モハ6102)+クハ204-3(クハ6052)が種車になっています。近年は何かしらでラッピングやヘッドマークを掲出していることが多く、ノーマルな姿を見ることは比較的難しくなりました。

河口湖駅で開催された1000系撮影会で並べられた6001編成。元ケヨ25編成のモハ205-6(クモハ6001)+モハ204-6(モハ6101)+クハ204-2(クハ6051)で、いずれも国鉄時代の1985年に山手線で初めて営業運転を開始した現存する205系列の車両の中で最古参のグループです(トップナンバーのクハ205-1はJR東日本が保管中)。

車内は富士山周辺への観光列車に相応しく大幅にリノベーションされ、デザインはJR九州の車両で実績のある水戸岡鋭治氏が手掛けました。床材や吊り手は木材を多様し、ドアは青色で塗装仕上げとするなどイメージは激変しました。寒冷地での運用になるため、暖房装置強化やドアの半自動機能追加も実施されています。

バリアフリー対策も兼ねてドア上にはLEDによる車内案内表示装置を千鳥配置として車内放送は自動化されています。JR東日本始め全国に普及し始めたお馴染みのドアチャイムが鳴動するようになりました。これらの改造のおかげで、約40年前の車両とは思えない程に印象を変えました。今後も6000系は1000系の完全置き換え用に更に追加での譲渡が予定されており、長く主力として活躍しそうです。

 

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小田急5000形5055F・もころん号

2024年12月07日 | 小田急電鉄

小田急電鉄では、沿線地域と共に持続的な成長の実現を掲げ2021年11月より「子育て応援ポリシー」の施策により小児ICカード運賃50円均一化や一般車両の3号車を子育て応援車両に指定し、子育て中の世帯に向けて沿線価値向上の取り組みを実施して来ました。その一環として、2023年8月23日にウサギをモチーフにした子育て応援マスコットキャラクターの「もころん」を登場させています。近年の鉄道事業者では地域PRなどでお馴染みになった、ゆるキャラのようなマスコットが登場していますが小田急もその流れに遂に加わったことになりました。2023年11月29日〜2024年度5月31日には5000形5055Fの両先頭車前頭部にラッピングを施しもころん号として運転されますが、想定以上に好評だったため2代目もころん号として2024年6月4日より車体をフルラッピングとして期間を定めない形で営業運転入りしています。

藤子・F・不二雄ミュージアムのオープン時に運転された小田急F-train以来となるラッピング仕様の2代目もころん号。1〜5号車がオレンジ基調の夕暮れの空、6〜10号車が青空と新宿側と小田原側でデザインが異なるのが特徴です。両先頭車の乗務員室には前回に続き制服姿のもころんの縫いぐるみが置かれました。

先述のF-trainは東京都の広告条例に抵触したことから早期の中止とデザイン変更を余儀なくされ、それ以降は全体を変更するようなラッピングは見られなくなりますが、同じく新宿を起点とする京王電鉄や西武鉄道ではフルラッピング編成が営業運転を行なっており、もころん号の登場で小田急も社内の方針が見直されたことを感じます。今回は自社キャラクターですが、いずれはラッピングによるリバイバルカラーやテーマパークとのタイアップによる編成も期待できるかも知れません。

車内も特別仕様とされ、ドアステッカーもこの編成だけのもころん仕様とされました(ドアステッカーは左右共通かと思いきや、もころんの目が開く方向を向いています)。中吊り広告も偶数号車は四角形、奇数号車は雲をイメージした形状で袖仕切り・乗務員室仕切りは外観同様に新宿側が青、小田原側がオレンジで統一されています。

撮影は全て一般車両ですが、3号車の子育て応援車両ではフリースペース部までラッピングされ貫通扉にも、もころんが顔を覗かせるようなデザインとされています。内外ともにラッピングされている小田急では珍しい存在ということで、見ても乗っても楽しい車両として長く親しまれそうですね。

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緩やかに廃車が進行している京王7000系

2024年12月03日 | 京王電鉄(電車・バス)

京王電鉄は2024年5月10日に京王線用の新形式2000系の導入を発表し、2026年初頭に10両編成1本が運用開始、2027年までに4編成40両が増備されることが明らかになりました。2023年3月24日のニュースリリースでは車両代替新造による非貫通編成の解消が表面されており、7000系6両+4両と6両+2両、9000系8両+7000系2両の3種類の組成を廃止する方向を示しましたが、これらは2000系によって実施されることになります。編成単位で初の廃車は2017年12月の7706Fで、その後も5000系増備で緩やかながらも廃車が発生しており、現在110両が運用されていますが、本格的な置き換えがいよいよ見えて来ました。

2023年7月23日に運用を離脱した7705F。1984年に5両編成で新製され、1987年に中間車(デハ7155)を増備して6両編成化されました。新製配置から39年が経過しており、京王の車両としてはかなり長寿命でした。廃車になる直前の6月末までは「陣馬」のヘッドマーク掲出や、京王110周年記念撮影会にも登場するなど最後を飾るかのように注目を集めました。運用離脱後は若葉台で主要機器類の撤去と車体の切断を行い8月1日から搬出されています。

2024年6月24日にはビードプレス車体の後期車で4両編成の7804Fが廃車になり、マイナーチェンジを行った後期車で初の廃車発生になりました。行先表示器のフルカラー化や車内LED照明化も実施されましたが、非貫通編成解消のため廃車の順序は初期車・後期車も関係なくなったようです。新製は1993年で31年の活躍でした。7803Fと共に、車内案内表示器をLEDスクロール式からコイト電工の液晶画面である「パッとビジョン」に換装されているのが特徴でしたが、京王での採用は見送られ2023年にはLEDに再び戻されていました。写真は110周年記念ヘッドマークを取り付けて運転していた頃の姿です。

コルゲート車体の初期車(左)とビードプレス車体の後期車(右)の違いが良く分かる連結面。7000系も貫通扉を備えており、初期車には渡り板も設置されていましたが6000系とは違い幌で繋げられることはなく、非常用という位置付けでした。

戸袋にも窓が設けられ、6000系以来一時期の伝統だった角ばった窓のドアの組み合わせも7000系のみになりました。液晶画面や自動放送装置を備えた後期車の10両固定編成は2000系登場後もしばらく活躍すると思われますが、昭和の京王帝都時代から運用されている車両には確実に終焉が近付いて来ました。

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