引き続き、昨日見た月9「流れ星」のことが頭から離れない。
う~ん、「Dr.コト-診療所」以来だなぁ、、、
一晩寝て、今朝、ふいに思った。
健吾は、もしかしたら、踏切で梨沙を救って「結婚してくれないか」と言った瞬間、自分の幸せに関わる全てを捨てたんじゃないかって。
「マリアが助かるなら、何でもする」というのは、「オレの人生はどうなってもかまわない」という覚悟を含んでいたのじゃないか、と。
だから、梨沙が良い子なのがわかって、彼女が自分にどんどん好意を寄せてくるのがわかっても、健吾は決してそれを受け入れなかった。
受け入れることはできなかったんだ。自分の幸せは放棄していたんだから。
健吾は、梨沙に癒されて彼女に引かれていく自分の気持ちにとまどい、その気持ちを殺すことだけに必死になっていたのかもしれない。
先週(第8話)で、健吾がついに梨沙への気持ちを抑えきれなくなって行動に出たのは、そう考えると、なんて切ないことなんだろうと思う。
普通に考えれば「自分の気持ちに正直になれよ!おせーよ!」と言うところだと思うけど、健吾はそれをしてはいけないとずっと自分に禁じてきて、それが自制できなくなって心のままに行動したんだ。彼にとっては大誤算だったんだと思う。
どれだけの想いと、どれだけの自縛と、それを振り切ったどうしようもない愛情と、、、
それは、マリアの「生きたい」という気持ちと同じ。人間の、本当の気持ちだ。
彼の葛藤を思うと、あの名場面からは、恋愛としての感動だけでなく、人間の哀しさが、愛しさが、溢れるほどに伝わってくる。
そう考えればこそ、第9話(今週)の冒頭で心を完全に開いた幸せな健吾が、新聞記事の件をきっかけになぜ黙って自分一人で責任をとろうとしたのか、理解できる。
彼は、最初からそのつもりだったんだ。
梨沙に惚れながら、梨沙と幸せになることを望まないように、努力し続けてきたんだ。
愛する人を守るために、引換に、運命に自分を捧げる、という覚悟。
最初はマリア。そして、今は、梨沙のためにも。
高倉健みたいだなぁ・・・こんな生き方、今のおいらたちにできるだろうか。
な~んてことを考えながら、ぼーっと通勤の車を走らせていた、今朝の危険なおいら。疲れてんのかな^-^;
家族、ってなんだろう。本当にね。
血の繋がっていないマリアを、一線を越えてまでも救おうとする岡田家のお母さんと、半分だけ血の繋がった妹のために契約結婚をしてまでドナーを見つけようとする健吾。
二人の愛情を疑わず、ひねくれず、信頼と愛情で返そうとするマリア。
赤の他人のマリアを可哀想だと思い、マリアの兄の思いに共感して、肝臓を提供しようとする梨沙。
どんなにダメでひどい兄でも完全には絆を断ち切れない、そんな矛盾した梨沙の想いもまた、家族なればこそ。
実際は、このドラマのような美しい心ばかりだけでなく、様々な社会上・経済上の弱みから偽装結婚のカモにされ、内臓までとられる、なんて悲劇的なケースもあるのかもしれないから、このドラマで「臓器売買も愛があれば美しきかな」とは言えないのだと思う。
ドラマスタッフは、丁寧に丁寧に人間の心のひだを描いて、ぼくらに考えさせてくれる。
ゆっくりと。優しいまなざしで。静かな声で。
「あなただったら、どうしますか」
ドラマの最初から繰り返し問われた問。
松田医師の答えと「矛盾してますね」は、深く、優しく、哀しかった。共感というのはそういうものなのだと思った。当事者でなければ、誰もわからない。代わりに背負うこともできない。それでも、松田医師が共感してくれたことは、健吾にとって救いだったと思う。
そして、海月の水槽の前にいた男の子。あの子に未来へのバトンを渡した、と思った時、健吾は「自分の人生は、これで十分だ」と、自分でこの件の決着をつける決心ができてしまったのだと思う。
そんな決心しなくてもいいのに。どこまでも誠実に生きようと思えば、罪を背負い未来を放棄するという恐怖にも耐えることができるのだろうか。
「あなただったら、どうしますか」
それは、糾弾ではない。是非を問うているのでもない。
その問が求めているのは、問を発した人の悲しみを、苦しみを共有し、それについて心を痛めながら考える、ということなのだ。
答えはYes/Noではない。
様々な登場人物達の姿が、全部、答えなんだ。
生きていくことは、正解を辿るようなテストじゃない。
間違いながら、探しながら、必死で前を向いて今を生きることなんだ。
そんなことを、このドラマから教えて貰った気がします。
火曜の夜半、ふたご座に流星が降る夜。雲の上で、星が瞬いていることを信じて、眠ります。
おやすみ。よい夢を。
(勇ましいようなこと書いてるけど、実際は崖っぷち、お手上げモード^-^;)
う~ん、「Dr.コト-診療所」以来だなぁ、、、
一晩寝て、今朝、ふいに思った。
健吾は、もしかしたら、踏切で梨沙を救って「結婚してくれないか」と言った瞬間、自分の幸せに関わる全てを捨てたんじゃないかって。
「マリアが助かるなら、何でもする」というのは、「オレの人生はどうなってもかまわない」という覚悟を含んでいたのじゃないか、と。
だから、梨沙が良い子なのがわかって、彼女が自分にどんどん好意を寄せてくるのがわかっても、健吾は決してそれを受け入れなかった。
受け入れることはできなかったんだ。自分の幸せは放棄していたんだから。
健吾は、梨沙に癒されて彼女に引かれていく自分の気持ちにとまどい、その気持ちを殺すことだけに必死になっていたのかもしれない。
先週(第8話)で、健吾がついに梨沙への気持ちを抑えきれなくなって行動に出たのは、そう考えると、なんて切ないことなんだろうと思う。
普通に考えれば「自分の気持ちに正直になれよ!おせーよ!」と言うところだと思うけど、健吾はそれをしてはいけないとずっと自分に禁じてきて、それが自制できなくなって心のままに行動したんだ。彼にとっては大誤算だったんだと思う。
どれだけの想いと、どれだけの自縛と、それを振り切ったどうしようもない愛情と、、、
それは、マリアの「生きたい」という気持ちと同じ。人間の、本当の気持ちだ。
彼の葛藤を思うと、あの名場面からは、恋愛としての感動だけでなく、人間の哀しさが、愛しさが、溢れるほどに伝わってくる。
そう考えればこそ、第9話(今週)の冒頭で心を完全に開いた幸せな健吾が、新聞記事の件をきっかけになぜ黙って自分一人で責任をとろうとしたのか、理解できる。
彼は、最初からそのつもりだったんだ。
梨沙に惚れながら、梨沙と幸せになることを望まないように、努力し続けてきたんだ。
愛する人を守るために、引換に、運命に自分を捧げる、という覚悟。
最初はマリア。そして、今は、梨沙のためにも。
高倉健みたいだなぁ・・・こんな生き方、今のおいらたちにできるだろうか。
な~んてことを考えながら、ぼーっと通勤の車を走らせていた、今朝の危険なおいら。疲れてんのかな^-^;
家族、ってなんだろう。本当にね。
血の繋がっていないマリアを、一線を越えてまでも救おうとする岡田家のお母さんと、半分だけ血の繋がった妹のために契約結婚をしてまでドナーを見つけようとする健吾。
二人の愛情を疑わず、ひねくれず、信頼と愛情で返そうとするマリア。
赤の他人のマリアを可哀想だと思い、マリアの兄の思いに共感して、肝臓を提供しようとする梨沙。
どんなにダメでひどい兄でも完全には絆を断ち切れない、そんな矛盾した梨沙の想いもまた、家族なればこそ。
実際は、このドラマのような美しい心ばかりだけでなく、様々な社会上・経済上の弱みから偽装結婚のカモにされ、内臓までとられる、なんて悲劇的なケースもあるのかもしれないから、このドラマで「臓器売買も愛があれば美しきかな」とは言えないのだと思う。
ドラマスタッフは、丁寧に丁寧に人間の心のひだを描いて、ぼくらに考えさせてくれる。
ゆっくりと。優しいまなざしで。静かな声で。
「あなただったら、どうしますか」
ドラマの最初から繰り返し問われた問。
松田医師の答えと「矛盾してますね」は、深く、優しく、哀しかった。共感というのはそういうものなのだと思った。当事者でなければ、誰もわからない。代わりに背負うこともできない。それでも、松田医師が共感してくれたことは、健吾にとって救いだったと思う。
そして、海月の水槽の前にいた男の子。あの子に未来へのバトンを渡した、と思った時、健吾は「自分の人生は、これで十分だ」と、自分でこの件の決着をつける決心ができてしまったのだと思う。
そんな決心しなくてもいいのに。どこまでも誠実に生きようと思えば、罪を背負い未来を放棄するという恐怖にも耐えることができるのだろうか。
「あなただったら、どうしますか」
それは、糾弾ではない。是非を問うているのでもない。
その問が求めているのは、問を発した人の悲しみを、苦しみを共有し、それについて心を痛めながら考える、ということなのだ。
答えはYes/Noではない。
様々な登場人物達の姿が、全部、答えなんだ。
生きていくことは、正解を辿るようなテストじゃない。
間違いながら、探しながら、必死で前を向いて今を生きることなんだ。
そんなことを、このドラマから教えて貰った気がします。
火曜の夜半、ふたご座に流星が降る夜。雲の上で、星が瞬いていることを信じて、眠ります。
おやすみ。よい夢を。
(勇ましいようなこと書いてるけど、実際は崖っぷち、お手上げモード^-^;)