中日新聞の日曜版 「おじさん図鑑」エッセイスト 飛島 圭介さんが
「欠食児童」ということで、コラムを書かれていました。
戦争に負けた日本は、深刻な食糧不足に悩まされ、
国民全体が食べることに困窮した。
一番のしわ寄せを受けたのは食べ盛りの子供たちだった。
「欠食児童」という言葉は現実のものとしてあった。
全ての国民が貧しかった時代だが、極貧家庭の子供たちは
文字通り「欠食児童」で、栄養失調で命を失った者も多数に上ったであろう。
戦後70年余を経て、まさかこの飢餓状態が子供たちを襲うなど、
おじさんは想像だにしなかった。
しかし今、子供たちの貧困率が16%を上回り(厚生労働省)、
実際に1日3食をきちんと取れない子供たちが6人に1人いるという。
「食えない」ことほどつらいことはない。
日本の「戦後」はいまだに続いているのか。
飽食の時代といわれたのはいったいいつのことだったろう。
ボランティアで子どもたちに食事させる「子ども食堂」を作って、
善意の努力をしている人たちもいると聞く。
しかしこれは本来、行政の仕事だ。
子どもの貧困は「政治の責任」以外の何ものでもない。
おじさんは、現代の「欠食児童」に済まないと思うと同時に、
肥え太った政治家たちに満身の怒りを覚えるのだった。
以上です。
お袋が私の子どもの頃よく「戦争中は芋の葉などを食べていて、お米なんてたべれなかった」と、
よくこぼしていました。
今、まさか6人に1人の子どもが、貧しくて1日3食きちんと食べることが出来ない時代に
なっているなんて思いもしませんでした。
まだまだ飽食の時代で、賞味期限が過ぎたコンビニ弁当などが捨てられている時代が続いていると
思っていました。
回転ずしやモスバーガーなどのファーストフードへ行けば、子どもたちが美味しそうに
おすしやバーガーを食べていますが、それはまだ恵まれている子どもたちなんですね。
私のあくまで想像なんですが、子どもたちの毎日の食事より
携帯電話代の支払いの方が優先されているのでは。
親としては、まずは子どもたちに食べさせることが1番重要だと思うのですが。
お金がなくて3食食べさせるのが無理なんでしょうか?
いろんな家庭の事情があるでしょうが、そこまで日本が貧困になっているとは、
思いもしませんでした。
Please please me英語日本語歌詞
「欠食児童」ということで、コラムを書かれていました。
戦争に負けた日本は、深刻な食糧不足に悩まされ、
国民全体が食べることに困窮した。
一番のしわ寄せを受けたのは食べ盛りの子供たちだった。
「欠食児童」という言葉は現実のものとしてあった。
全ての国民が貧しかった時代だが、極貧家庭の子供たちは
文字通り「欠食児童」で、栄養失調で命を失った者も多数に上ったであろう。
戦後70年余を経て、まさかこの飢餓状態が子供たちを襲うなど、
おじさんは想像だにしなかった。
しかし今、子供たちの貧困率が16%を上回り(厚生労働省)、
実際に1日3食をきちんと取れない子供たちが6人に1人いるという。
「食えない」ことほどつらいことはない。
日本の「戦後」はいまだに続いているのか。
飽食の時代といわれたのはいったいいつのことだったろう。
ボランティアで子どもたちに食事させる「子ども食堂」を作って、
善意の努力をしている人たちもいると聞く。
しかしこれは本来、行政の仕事だ。
子どもの貧困は「政治の責任」以外の何ものでもない。
おじさんは、現代の「欠食児童」に済まないと思うと同時に、
肥え太った政治家たちに満身の怒りを覚えるのだった。
以上です。
お袋が私の子どもの頃よく「戦争中は芋の葉などを食べていて、お米なんてたべれなかった」と、
よくこぼしていました。
今、まさか6人に1人の子どもが、貧しくて1日3食きちんと食べることが出来ない時代に
なっているなんて思いもしませんでした。
まだまだ飽食の時代で、賞味期限が過ぎたコンビニ弁当などが捨てられている時代が続いていると
思っていました。
回転ずしやモスバーガーなどのファーストフードへ行けば、子どもたちが美味しそうに
おすしやバーガーを食べていますが、それはまだ恵まれている子どもたちなんですね。
私のあくまで想像なんですが、子どもたちの毎日の食事より
携帯電話代の支払いの方が優先されているのでは。
親としては、まずは子どもたちに食べさせることが1番重要だと思うのですが。
お金がなくて3食食べさせるのが無理なんでしょうか?
いろんな家庭の事情があるでしょうが、そこまで日本が貧困になっているとは、
思いもしませんでした。
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