団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

お父様にとって、ご子息が答辞を読むことになった事が自慢であり、うれしかったんでしょうね。

2019-03-19 03:19:22 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「毛筆の答辞 父の思い出」というタイトルで74歳の男性が投稿されていました。



 間もなく孫娘が私と同じ小学校を巣立ちます。
62年前の自分の姿を重ねつつ、亡き父との思い出がよみがえってきます。

 小学校卒業を控えたある日のことです。
担任の先生から答辞を朗読するように言われました。
その晩から父は私のために原稿を一生懸命考えました。
学校と児童との間では答辞を任されるということは家ぐるみで考えるのが暗黙のルールとなっていました。
ところが仕上がった父の原稿を見て驚きました。
小学生の私には読み取れない旧仮名遣いだったのです。
しかも崩し文字で書かれていました。

 やむなく近所の書道家に代筆を頼んで新仮名遣いの楷書に改めてもらいました。

 父は27年前に91歳でなくなりました。
実家の仏壇の引き出しを整理していたら巻紙に毛筆で書かれた
あの答辞の原稿があったのです。
私はそれを幾度も読み返しました。

 亡き父から受け継いだ唯一の形見です。
私の大切な宝物になり、わが家の金庫にしまってあります。


 以上です。


>実家の仏壇の引き出しを整理していたら巻紙に毛筆で書かれた
あの答辞の原稿があったのです。


 お父様にとって、ご子息が答辞を読むことになった事が自慢であり、うれしかったんでしょうね。
仏壇の引き出しに大切にされていたお気持ちがわかります。


>学校と児童との間では答辞を任されるということは家ぐるみで考えるのが暗黙のルールとなっていました。

へぇ〜、そうなんだ。
地域によって違うんですね。
私は先生と答辞を読む生徒との共同作業かなと思っていました。(笑)

 
>やむなく近所の書道家に代筆を頼んで新仮名遣いの楷書に改めてもらいました。

 どうしてお父様に書き直していただかなかったのかな?
それを頼めないような権威を持ったお父様だったのかな?







「無敵のライフルマン~The Riflemanより~」小坂一也さん
コメント (6)
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