中日新聞の連載で<わけあり記者がいく> 「人とのつながり良薬に よいことはカタツムリのように進む」というタイトルのエッセイが2023年1月18日に掲載されていました。

「わけあり記者」こと私、三浦耕喜(52)は、親しい友人・知人には、新聞記事の体裁をまねながら、近況を報告する年賀状を、入社以来、毎年出してきた。
ここ数年は両親のダブル介護でいとまがなく、その2人も相次いで死去するなど、年賀状より欠礼のはがきを出す方が多かった。
こちらがそのような事情なら、受け取る年賀状の数も激減する。
年賀状だけでかろうじてつながっている友人も少なくない。
俗に「金の切れ目が縁の切れ目」と言うが、年賀状の切れ目だって、人との縁を遠ざける。放置すれば、やがて切れていくだろう。
それでは寂しい。
パーキンソン病は、患者の精神状態が症状に反映されやすい病である。
一番いけないのは孤独だ。
友から離れていくことは、自分の命から大切な何かがはがれ落ちていくようなものだ。
滋賀県長浜市に住む、私にとってはパーキンソン病の大先輩、闘病歴25年の久保田容子さん(64)も、こんなことを言っていた。
「人と関わり、少しでも人の役に立つのなら、大きな喜びです。それが私のドーパミンになるのです」と。
ドーパミンとは、脳内で神経細胞間の伝令役を担う「神経伝達物質」と呼ばれるもののひとつだ。主に筋肉を動かす任に当たっており、これが脳内で生成されにくくなるために、体を動かしづらくなるのがパーキンソン病だ。
人体は巨大な製薬工場にも例えることができるというが、人との交流もまた、自分を癒やす良薬をつくるだろう。
コロナ対策で、直接人と会うことが制限されるようになった。
でも、あきらめるのは早い。手紙も人とつながる対話の手段だ。
手紙を書いている間、その人は心の中で相手を思い浮かべ、言葉を交わしている。
人に会い、語り、書き送る。その喜びと力を信じていなければ、新聞記者などやっていられない。
幸い、いろいろあったので、伝えたいことには事欠かない。まさに目の覚めるような、怒濤どとうの1年間だった。
何せ、パーキンソン病に反転攻勢をかけるべく、脳の手術「DBS」(脳深部刺激療法)を受けたのである。
ご無沙汰となった人間関係・友人関係にも反転攻勢を仕掛けるチャンスではないか。
それでも三浦は健在なり、どっこい生きている姿を示したいとの気持ちも強かった。
年賀とは言え、何も元旦に届けなくてはならないという決まりがあるわけでもない。
これまでは、はがきの1番上に、新年の日付、曜日を明記していたが、今年は「2023年(令和5年)初春」と書いた。
これなら、年が明けても、結構長く使えるのではないか。
それでもいぶかしげに問う人には、こう答えよう。「1年の計は元旦にあり。私は日々を元旦の決意で生きているのです」
相手は「何言っているんだ?」と理解不能に陥るかもしれないが、当たらずとも遠からずだ。
意識のあるまま、頭蓋骨に穴を開けるという大手術を終えた後、電極や体内に埋め込んだ機器を調整しながら、刺激を与えるベストポイントを慎重に探っている。
電流の強さも、1カ月以上の間を置き、0・2アンペアずつ上げてきた。
妻や同僚たちは「目に力が入り、表情が出てきた」とか、体が勝手に動く「ジスキネジア(不随意運動)」がなくなったと言ってくれるが、四六時中、自分と付き合っている私とすれば、変化がピンとこない。
「一喜一憂しないことです」と主治医。「よいことはカタツムリのように、ゆっくり進む」。私はガンジーの言葉を思い出していた。
みうら・こうき 1970年、岐阜県生まれ。92年、中日新聞社入社。政治部、ベルリン特派員などを経て現在、編集委員。42歳のとき過労で休職し、その後、両親が要介護に。自らもパーキンソン病を発病した。事情を抱えながら働く「わけあり人材」を自称。
パーキンソン病 脳内の神経伝達物質ドーパミンを作る細胞が壊れ、手足の震えや体のこわばりが起きる。多くが50代以上で発症し、国内の患者数は約16万人。厚生労働省の指定難病で、根治療法はなく、ドーパミンを補う服薬が治療の中心。服薬は長期にわたり、経済的負担も大きい。
以上です。
>「人と関わり、少しでも人の役に立つのなら、大きな喜びです。それが私のドーパミンになるのです」と。
人との関わりが、パーキンソン病に効果があるんですね。
私は仕事をやめてから、人との関わりがほとんどないです。
やばい状態かもしれないです。
テレサ・テン-别れの予感