団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

「木綿のハンカチーフ」の曲を聞くと、高校時代の同級生の彼の事を思い出します。

2025-02-19 00:59:47 | 日記
 昨日録画していた名曲ベストテンを見ていましたら、下記の「木綿のハンカチーフ」の曲が流れてきました。

 この曲をきくと、高校時代の同級生の事を思い出します。

 彼は東京にある薬科大学へ行きました。

  当時は5年で卒業でした。

 彼には高校時代の恋人がいました。

 よく廊下で二人が喋っていましたが、お互いが生徒会委員だったので仲がいい程度だと思っていました。

 彼は東京の薬科大学へ行きましたが、彼女は彼の実家の近くにある多治見の銀行に勤めたようです。

 きっと1年ぐらいは仲良くやっていたと思います。

 ところがどうも東京の薬科大学で恋人が出来てしまったようです。

 そうなると多治見に帰る日数は減るでしょうね。

 夏季休暇でも、東京でアルバイトをしたりしたと思います。

 彼女には勉強で忙しいという理由でも言ったのでは?

 結局は高校時代の恋人と別れてしまったようです。

 いつも高校時代の同級生4〜5人で、朝の通勤電車に乗って名古屋へ向かいました。

 もちろん彼もこの仲間でした。

 座る席は空いてないので、立っていろんな話を大声で喋っていました。

 乗客には迷惑をかけたと思います。

 ある朝 同級生だった女の子が彼に擦り寄って来て、「彼女、今でもあなたを待っているよ」と、言いました。

 彼は黙っていたと思います。

 高校時代の彼女は、今でも彼を待っているようでした。

 でも心変わりした彼は、2度と戻らないでしょうね。

 彼は大学を卒業して、外資系のプロパーの仕事をしていました。

 給与は私の2倍ぐらいあったと思います。

 実家は薬局だったので、そのうちに東京の恋人が後を継ぐと思いました。

 この話は彼から直接聞いた訳ではないので、あくまで私の推測だという事をお断りしておきます。




木綿のハンカチーフ / 太田裕美 (歌詞入り)
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さゆって不味くて飲めないです。😅

2025-02-18 02:33:57 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「さゆの力 全身ポカポカ」というタイトルで、46歳の女性が投稿されていました。

 職場の同僚の勧めで、一日に何度もさゆを飲むようになった。

 お茶やコーヒーを好んで長年飲んできたが、さゆは胃腸の働きをとてもよくすると聞いて、昨年11月から、さゆに切り替えたのだ。

 起床すると、まず湯を沸かす。

 朝食を用意しつつ、私も含めた家族3人の各弁当の準備をしながら、さゆを少しずつ飲む。

 そうするうちに、自分の体が徐々に活性化されて行くのが手に取るように分かる。

 さゆを飲み始めた当初、味気なくて、強い眠気を覚えたものだ。

 ところが1週間もすれば、そんな生活にも慣れていった。

 胃腸の調子が良くなってきたと実感している。

 同時に食欲が増したようにも思える。

 継続的に飲むため、一日中、全身ポカポカ。

 今や、体が少し軽くなってきた。

 随分疲れにくくなった。

 さゆって、すごい!

 以上です。


 さゆが体にいいということは、昔から聞いています。

 でも、さゆって不味くて飲めないです。😅

 昔 子どもの頃、たまにやかんにさゆが入っていました。

 うちは、やかんに番茶が入っています。

 ところが番茶がなくなると、番茶が買われるまでさゆでした。

 不味くて飲めませんでした。

 そんな時は、水を飲んでいました。

 水の方が鉱物などが入っていて美味しかったです。

 急須でお茶を飲むようになったのは、結婚してからです。

 私は家に花が飾ってあり、急須でお茶を頂くのが夢でした。

 かみさんと結婚して、夢が叶いました。😄

 話は戻ってさゆを飲もうかなと思います。

 青汁よりはマシでしょう。

 投稿者さんの話では1週間もすれば慣れると書かれていますので、とりあえず1週間飲んでみます。

 食欲が増すのはまずいですが、一日中、全身がポカポカなら寒さ対策にもなると思います。😄




山口百恵 ( Yamaguchi Momoe) いい日旅立ち
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幼い子は、大人の思いつかない感性を持っていますね。

2025-02-17 01:13:25 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「曇り空の穴」というタイトルで、68歳の女性が投稿されていました。

 休日に用事ができた息子夫婦に頼まれて、4歳の孫娘と遊ぶ事になったある日。

 アンパンマンのお菓子を持って喜々としてやって来た。

 早速おやつを食べ、空き箱で工作したり、台所の鍋やボウルでままごとをしたりした。

 そのうちに家の前の公園で遊びたいと言い出した。

 その日はどんよりとした曇り空でとても寒かったが、遊びのリーダーの言うことに従うことにした。

 誰もいない公園は、自分1人の世界だ。

 すべり台に何度も挑戦して、上手にすべれるようになってご満悦。

 すべってきてから大の字になって嬉しそうだ。

 ふと空を見上げると、一面グレーの分厚い雲の一部分だけ、ポッカリと穴があいて青空が見え、そこからキラキラと太陽の日差しが見えた。

 「神様が降りてくるみたいだね」と孫娘。

 「えっ!? 本当だ!」。

 私は思わず「ちーちゃんが、ずっと楽しく元気に過ごせますように」と手を合わせた。

 すると「じっじとおばあちゃんもね」と、孫娘がニコニコ顔で立っていた。

 この感性はどこで育まれたんだろう。

 保育園の先生方のおかげだろうか。

 これからも、この子らにいろいろな可能性が広がっているに違いない。

 ずっと争いのない平和が続きますようにと、光が差し降りてくる曇り空の穴に向かって改めて祈った。

 以上です。

 幼い子は、大人の思いつかない感性を持っていますね。

 うちの孫の次男坊が幼いころ「どうして月は歩いてもついてくるの」と、言った事があります。

 さあ、答えに窮しました。

 ネットで調べますと、
 「地球と月の距離は38万kmもあるので、数km地球上で移動しても月の見みえる方角や大きさにはほとんど影響がないのです」。

 なるほど、納得です。

 幼い子どもの感性は、大人が当たり前だと思っていることを新たに気付かせてくれますね。




天地真理 ☆ 若葉のささやき
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40年ぶりに会う同窓会は、思いがけない事が起こるんですね。

2025-02-16 02:09:24 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「遠き春のころ」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。

 女友だちYさんの話。

 ーふるさとで中学の時の同級会があった。

 大昔の卒業以来だったからぜひ出席したかったが、体調を崩して行けなかった。

 数日後、元同級生のMちゃんから電話があった。

 「あなたに会いたくて私、出席したのよ。どうしてもあなたにお礼を言いたかったから」

 多感な思春期には精神的な悩みが尽きない。

 Mちゃんも重い悩みを抱えていた。

 そんな時、Mちゃんの話をじっと聞き、励ましてくれたYさんに、同級会であったら心からお礼を言いたかったというのだ。

 全く記憶にないYさんは、懐かしい思いでMちゃんの声を聞くばかりだった。

 そして、彼女が長い間教員を務めたことを知ったMちゃんが「あなたに教わった子どもは私と同様、きっとあなたに感謝しているはずよ」と言った。

 Yさんは電話口で涙がふきこぼれた、という。

 少女の頃の”善行”は、年を経ても感謝の念を保ち続けるらしい。

 おじさんの場合、数年前に開かれた小学校の同級会で、双子の女性から「いじめられた」と糾弾された。

 昔の”悪行”の恨みもまた消えない。

 O姉妹、ごめんなさい。

 以上です。

 55歳の時に、初めて小・中学校の同窓会が開かれました。

 同級生がママさんをやっているバーを借り切って、2次会が行われました。

 友人がママさんを紹介してくれて「ママさんを覚えているか?」と、聞きましたので「覚えている」と、言いました。
 友人がママさんに「こいつ覚えている?」と聞いたところ「覚えている」との返答でした。

 覚えていなくても、覚えているというでしょうね。バーのママさんをやっているような女性なんだから。苦笑

 小学校6年の頃恐れていた女性に会いました。「その頃、そちらを避けていてごめん!」と、言いましたら「そんなこといいわ」との返答。一度離婚して今は2度目の男性と幸せそうでした。彼女は薬局の娘さんでした。薬剤師になったかな?と、思いました。

 中学校の同級生だった女の子が「ご主人から暴力を受けていた時、あなたの顔が浮かんだ。あなたとだったらこんな目に遭わなかったのに」と言われ、びっくりです。

 彼女と何年の時、一緒だったんだろう? 彼女の中学校時代の姿が思い浮かびません。

 私のような目立たない男に好意を持っていてくれたなんて信じられないです。

 当時告白されていれば、OKしたのに。全く女性にモテなかったのにと思いました。

 彼女はがんを患っていると言いました。次の同窓会には出席しませんでした。

 40年ぶりに会う同窓会は、思いがけない事が起こるんですね。

 子どもの頃近所に住んでいて遊んだ事がある女性が話しかけて来ないですし。

 同窓会に出席しないと、悪口を言われる事があります。

 小学校の頃プールで、スリムで泳ぎも達者な女の子が出席しませんでした。
 今は横浜に住んでいるという事なので、やむ得ないと思いますが。

 男性達に、人気がありました。
 男どものひとりが「Hを見かけた、顔がひどくなっていたのでびっくりした」と、言ってました。

 お前らも年を取ればそれなりにひどくなっているだろうと思いました。

 バーから帰る時、幹事の男性のひとりから握手を求められました「よく来てくれた」と、言って。

 小学校の時、一緒に帰ったこともある男らしいリーダーの素質を持った男でした。

 相変わらずリーダーらしいなと思いました。

 次の同窓会では、亡くなっていました。まだ60歳という年齢でしたので早過ぎると思いました。



真里ちゃん、可愛かったです。彼女がテレビの画面に出ると、世の中明るくなったように思いました。
天地真理 ☆ 水色の恋
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ハゲ隠しの為に外出時は帽子をかぶっています。

2025-02-15 02:30:57 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「散らかす」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。

 「はげ散らかす」という言葉は誰が創ったのか。

 言い得て妙いうか、実に的確にその実態を捉えている。

 しかもユーモラスだ。

 先日、おじさんが某所で行われた自分の講演のビデオを怖いもの見たさで再生したら、見事に「はげ散らかした」自分の姿が目の前に飛び込んできた。

 己の顔はもちろん頭髪の状態も、合わせ鏡にでも映さないと見ることはできない。

 ビデオは鏡以上に自分の全部を映像にして見せてくれる。

 おじさんの頭の回りはまあまあ普通に髪が生えているのだが、頭頂部の広い面積が荒凉たる状態になっている。

 つまり「はげ散らかして」いたことを目の当たりにしたのだ。

 だいぶ薄くなってきていることを自覚はしていた。

 しかし、これほど無残なことになっているとは思わなかった。

 得意げに壇上で演説していたのが恥ずかしい限りではないか。

 知らぬが仏とはこのことだろう。

 「はげる」のなら、ちゃんとはげてほしい。

 「はげ散らかす」のは自尊心が許さないのだ。

  妻に「かつらをかぶろうかな」と言ったら「それこそみっともないわよ」と叱られた。

 丸刈りでも「はげ散らかし」はごまかせず、結局このまま生きるしかない。

 以上です。

 私は50代になってから、てっぺんハゲに気付きました。

 親父は、若い頃からつるっぱげでした。

 親父から子供の頃「俺は髪がふさふさあった、ところが28歳の時につるっぱげになった」と脅かされていました。

 28歳までには結婚しなければと思ったものでした。

 高校生時代からヘアートニックを使っていました。

 出来るだけハゲないように。

 私は飛島圭介さんと同じくてっぺんハゲです、どうせ禿げるならひたいから徐々に後退して欲しかったです。

 牧師さんのようなてっぺんハゲは気に入らないです。

 息子の結婚式の模様をビデオで見ていますと、私の後頭部のハゲがよく分かりました。

 「はげ散らかす」という言葉は知りませんでしたが、まさに「はげ散らかす」状態でした。

 かみさんは「私は父親も兄もハゲているので気にならない」と言いますが、私は気になります。

 ハゲ隠しの為に外出時は帽子をかぶっています。

 今は丸坊主ですが、それでも帽子をかぶっています。




今は幸せかい 佐川満男
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