ほんのひと昔前、わたしはコンピューターが恐かった。
きっとこれから先も縁のないブツやろうと思っていた。
アメリカに引っ越して、日本語がどこにも無くて(当たり前やがな)、運んできた古本だけがわたしの『ちゃんとした日本』になってしまった。
「パソコンで日本の新聞読んだらええやん」
旦那のその一言が、今のわたしの生みの親になった。
朝7時半、旦那とわたしはキッチンテーブルに向かい合わせに座り、
6年前に2階の屋根から飛び降りるぐらいの覚悟で買ったMacBookと、信じ難い太っ腹の友人からもらったMacBook、
その2台でネットニュースを読みながら、朝のひとときを過ごす。
今朝は、フレンチトースト3枚を2人で半分っこした。最後のピースを口に運ぼうとした時、急に、わたしの脳裏に灰色の疑惑の雲が漂った。
あれ?わたしって1枚半食べたっけ?もしかして旦那の奴、ズルして2枚食べたんちゃうか?
食い物にまつわる疑惑だけには、ものすごく鋭い察知力を発揮する旦那は、即、
「そ、そんなめっそうもない、3枚目を半分に分けてあんたの皿に置いたで」と断言した。
まったく……10年前のあの日、パソコンの画面に惚けて、自分が何をどれだけ食べたか分からんようになるなんてこと、想像もしてなんだよなあ。
あ、でも、普段はこんなことしてませんです、はい。
差し障りの無い話なんかをしながら(旦那はプラクティカルな話を食事時にするのを断固拒否する)、ふつーに食べてます。
オリンピックの開会式。そのことが頭にあったので、今日はその記事を見つけるべく、画面に見入っていたのだ。
この国は、オリンピックであろうがワールドカップであろうが、テレビ局がそのために番組のメニューを変更したりしない。
なので、うっかりしてると、まるでなんにも無かったかのように日が過ぎて、なにもかもが終わってしもてる、なんてことが簡単に起こる。
わたしは別にスポーツファンでもないし、ニッポンチャチャチャ派でもないけれど、
人の何倍も頑張ってしっかり鍛え上げた体と心を持つ選手達が、その一瞬にすべてをかける姿を観るのは好き。
どこの国の人も、みんなそれぞれに、これでいいのだと思える競技や演技ができますように。
きっとこれから先も縁のないブツやろうと思っていた。
アメリカに引っ越して、日本語がどこにも無くて(当たり前やがな)、運んできた古本だけがわたしの『ちゃんとした日本』になってしまった。
「パソコンで日本の新聞読んだらええやん」
旦那のその一言が、今のわたしの生みの親になった。
朝7時半、旦那とわたしはキッチンテーブルに向かい合わせに座り、
6年前に2階の屋根から飛び降りるぐらいの覚悟で買ったMacBookと、信じ難い太っ腹の友人からもらったMacBook、
その2台でネットニュースを読みながら、朝のひとときを過ごす。
今朝は、フレンチトースト3枚を2人で半分っこした。最後のピースを口に運ぼうとした時、急に、わたしの脳裏に灰色の疑惑の雲が漂った。
あれ?わたしって1枚半食べたっけ?もしかして旦那の奴、ズルして2枚食べたんちゃうか?
食い物にまつわる疑惑だけには、ものすごく鋭い察知力を発揮する旦那は、即、
「そ、そんなめっそうもない、3枚目を半分に分けてあんたの皿に置いたで」と断言した。
まったく……10年前のあの日、パソコンの画面に惚けて、自分が何をどれだけ食べたか分からんようになるなんてこと、想像もしてなんだよなあ。
あ、でも、普段はこんなことしてませんです、はい。
差し障りの無い話なんかをしながら(旦那はプラクティカルな話を食事時にするのを断固拒否する)、ふつーに食べてます。
オリンピックの開会式。そのことが頭にあったので、今日はその記事を見つけるべく、画面に見入っていたのだ。
この国は、オリンピックであろうがワールドカップであろうが、テレビ局がそのために番組のメニューを変更したりしない。
なので、うっかりしてると、まるでなんにも無かったかのように日が過ぎて、なにもかもが終わってしもてる、なんてことが簡単に起こる。
わたしは別にスポーツファンでもないし、ニッポンチャチャチャ派でもないけれど、
人の何倍も頑張ってしっかり鍛え上げた体と心を持つ選手達が、その一瞬にすべてをかける姿を観るのは好き。
どこの国の人も、みんなそれぞれに、これでいいのだと思える競技や演技ができますように。