先週は、わたしたちにとっては大きなことを、みっつ決めました。
マンハッタンで捕獲された、2匹の、そのうちの一匹は多分5週間、もう一方は多分3ヵ月の仔猫を、引き取ることにしました。
真っ白な毛が大半の三毛ブチ猫だったショーティとは全く対照的な、真っ黒クロ助くんと、縞の部分が少ない濃いグレーのサバトラくん、どちらも男の仔です。
彼らのことを教えてくれたのは、毎週レッスンを受けに来るミランダのお父さんテッドでした。
彼が家主をしている家に住むトレーシーが、レスキューのボランティアをしていて、その二匹の里親探しをしていたのです。
テッドは、大変な人見知りをするショーティが、珍しく懐いていた人で、
毎週来るたびに、ナアナア鳴きながら近づいていくショーティを、それはそれは嬉しそうに撫でてくれていたのでした。
なので、彼女が亡くなったことを、とても悲しんでくれていました。
だから、この二匹を紹介するにあたっては、急ぎ過ぎているかもしれないけれどと、わたしたちの気持ちを推し量ってくれました。
確かに、まだ少し迷うところがありました。
少しずつ、彼女が居ない毎日に慣れてきたところでしたし、半年にも満たない仔猫を育てるような元気がわたしたちの中にあるかどうか、などという不安も少しあります。
そんなことを考えながら、トレーシーとメールで連絡を取り合っているうちに、やっぱり会いに行こうという気持ちがどんどん強まってきました。
会いに行ったらもう、絶対に引き取りたくなることは分かっていましたが…。
車で30分ほど走った所にあるトレーシーの家の3階に、彼らはいました。
部屋に入ると、サイズが少し違うちっこい仔たちがくっついて、大きめのケージの中で眠っていました。
別々に捕獲された、見ず知らずの仲だった彼らですが、日に日に仲良くなってきているそうです。
ただ、ちっこい方のサバトラちゃんが、遊ぼ!遊ぼ!とノンストップで言ってくるので、真っ黒くろ助くんはいささか食傷気味だそうな。
恐がりのサバトラちゃんはひたすら隠れてしまい、触ることはできませんでしたが、クロ助くんの方は、ほんの少し撫でることができました。
さて、今回は、長年猫と暮らした経験者として、少しは上手に育てることができるでしょうか。
餌の種類、与え方など、ショーティを苦しませた腎不全と糖尿にならないよう、注意してできるでしょうか。
完全室内飼いという、今までやったことがない飼い方を、最後まで貫き通せるでしょうか。
多頭飼いというのも初めてで、これまたちゃんとやり通せるでしょうか。
ショーティに教えてもらったたくさんの教訓を、その折々に思い出しながら、彼らと一緒に暮らしていきたいと思います。
彼らは、レスキューをしてくれているマンハッタンの協会からの里親書類面接を通り、予防注射や健康診断、それから去勢などの手術費の計200ドルを支払った後、うちにやって来ます。
そして多分、彼らがやって来てすぐぐらいに、2階の浴室の改装が始まります。
築100年を超えるこの家の浴室は、リノリウムが剥がれ、それこそ数十年分のおしっこのシミが深くしみ込んでいる古い床板から、天気によってはかなりイヤな臭いが漂ってきます。
さらに、ずいぶん昔に流行った、その当時は「浴室というとコレだった」と誰もが言う、ピンクのタイル!
こんな感じです。
ピンク色から気が逸れるように、ちょっと柄を加えてみたりもしましたが…。
正直言うと、タイルの色は、慣れてしまえばもうあまり気にならなくなったのですが、
電気のコンセントが全く無いこと、パイプが古過ぎて排水が良く無いこと、それから、いずれ旦那が、2階の一室で治療をするようになった際には、患者さんが使うであろう、ということから、思い切って業者さんにお願いすることにしました。
旦那の患者さんの中に、とても優れたデザイナーさんがいて、その方にザッと図面を描いてもらい、
さらに、我々の経済状況を十分考慮してくれた、高価ではないけれども、性能の良い、そしてシンプルな小物やタイルを選んでもらいました。
どの業者さんが、そこそこ安くて、そこそこきちんとした仕事をしてくれるか、ここアメリカでは、その選択を誤ると、とんでもない結果になることが再三あります。
そこで、三つ四つの会社や個人業者に電話をかけて、見積もりをしてもらいました。
夏を挟んでしまったので、休暇に入ったり、せっせと仕事をする気がなかったりと、タイミングがズレにズレて、結局三つの会社からの見積もりが揃ったのは9月の終わりでした。
評判の高いところはやはり、目の玉と心臓が飛び出てしまうような価格を出してきて、
あんなちっちゃい、なんということもない、別に何かを移動するというのでもない浴室の改装に、こんなお金を使うことはできない!と即却下。
そして二番目の業者さんからは、20万円ほど安かったものの、そこに浴槽だのトイレだのシンクだの薬棚だのを買い足していくと、やっぱり払いたくない価格になって、少し勢いは衰えたものの却下。
う~ん…甘くないな…とあきらめかけていた時、ミリアムが紹介してくれた大工さんがなんと、一番高いとこの3分の1、次に高いとこの2分の1の価格を出してきてくれたのです。
やっほぉ~い!
ということで、もちろんお願いすることにしました。
工事を担当してくれる人が決まったところで、今度は、浴槽やトイレ、それから小物の数々を、自分たちで注文しに行かなければなりません。
在庫があるか、配達がいつになるか、工事の進行によって、タイミング良く搬入していかなければなりません。
そして何よりも先に、工事をすることを町に申請して、許可を得なければなりません。
なんと面倒くさいのでしょう?!
けれども、今回のこの改装にあたり、かねてからの夢を、叶えさせてもらえることになりました。
日本のような深くて小さめの浴槽と、ウォシュレットを入れます。
ただ、日本の浴室のように洗い場が無いので、浴槽の底を床下に埋め込むことができません。
なので、出入りの際に、大股で、多分手すりとかにギュウッとしがみつきながら、またがなければなりません。
老化防止に良い、などと言っていられる間はいいのですが、またげなくなったらどうしよう…と、ちょっと不安があったりもします。
いやはや…。
でも、本当に楽しみです。
こちらに来て14年。
ずっとずっと、寝る前のひとっ風呂、顎のあたりまでズブズブと、お湯につかってハァ~っと一息つく、という場面を夢見てきました。
それがとうとう叶いそうです。
そしてあともうひとつは、母の80才の誕生日を祝いに、日本に帰省することにしました。
といっても、まだ一ヵ月以上も先の、生徒の発表会が終ってからの話です。
この時期の旅費はやはり、かなり高くなることから、自分ひとりの運賃でもなかなか踏ん切りがつきませんでした。
その上に、今回は絶対に一緒に行きたいと、かねてから言っていた旦那が加わって、さらに深く食い込む打撃になりましたが、
誕生日だからといって、物を贈るのはもう絶対にやめて欲しいと、人生の仕舞い支度を始めた母からキツく言われているので、
では、有形ではなく無形で、ということになると、やはり姿を見せて直接「おめでとう」と言うのが一番だ、という気持ちになり、大決心したという次第です。
友人のレイチェルは、ピースボートに乗ったり要人の通訳をしたりと、大忙しの女性ですが、
11月の丸々一ヵ月間帰省して、「その間に、辺野古に行くの」と言っていました。
そんな活動的な彼女に比べると、なんともトホホな気持ちになりますが、
わたしの帰省は今回も、母や弟との時間、そして、もうここ5年ぐらい会っていない親類や友だちに会うぐらいで、精一杯になってしまうと思います。
昨日の日曜日に、旦那が作ってくれた、ラム肉とほうれん草のカレーと、まなっちゃんが作ってくれたサラダです。
旦那は今回、圧力鍋クッキングデビュー。
使用説明書を失くしてしまい、全くの適当な料理でしたが、それはそれはお肉が柔らかな、とてもコクのある美味しいカレーになりました。
サラダの野菜はすべて自家製です。
家の畑からもぎ穫ってきた野菜を使い、家の台所で作った料理。
それを家族で囲み、パクパクと食べることができる幸せを、どんなに感謝してもし足りることはないなあと思いながらいただきました。
マンハッタンで捕獲された、2匹の、そのうちの一匹は多分5週間、もう一方は多分3ヵ月の仔猫を、引き取ることにしました。
真っ白な毛が大半の三毛ブチ猫だったショーティとは全く対照的な、真っ黒クロ助くんと、縞の部分が少ない濃いグレーのサバトラくん、どちらも男の仔です。
彼らのことを教えてくれたのは、毎週レッスンを受けに来るミランダのお父さんテッドでした。
彼が家主をしている家に住むトレーシーが、レスキューのボランティアをしていて、その二匹の里親探しをしていたのです。
テッドは、大変な人見知りをするショーティが、珍しく懐いていた人で、
毎週来るたびに、ナアナア鳴きながら近づいていくショーティを、それはそれは嬉しそうに撫でてくれていたのでした。
なので、彼女が亡くなったことを、とても悲しんでくれていました。
だから、この二匹を紹介するにあたっては、急ぎ過ぎているかもしれないけれどと、わたしたちの気持ちを推し量ってくれました。
確かに、まだ少し迷うところがありました。
少しずつ、彼女が居ない毎日に慣れてきたところでしたし、半年にも満たない仔猫を育てるような元気がわたしたちの中にあるかどうか、などという不安も少しあります。
そんなことを考えながら、トレーシーとメールで連絡を取り合っているうちに、やっぱり会いに行こうという気持ちがどんどん強まってきました。
会いに行ったらもう、絶対に引き取りたくなることは分かっていましたが…。
車で30分ほど走った所にあるトレーシーの家の3階に、彼らはいました。
部屋に入ると、サイズが少し違うちっこい仔たちがくっついて、大きめのケージの中で眠っていました。
別々に捕獲された、見ず知らずの仲だった彼らですが、日に日に仲良くなってきているそうです。
ただ、ちっこい方のサバトラちゃんが、遊ぼ!遊ぼ!とノンストップで言ってくるので、真っ黒くろ助くんはいささか食傷気味だそうな。
恐がりのサバトラちゃんはひたすら隠れてしまい、触ることはできませんでしたが、クロ助くんの方は、ほんの少し撫でることができました。
さて、今回は、長年猫と暮らした経験者として、少しは上手に育てることができるでしょうか。
餌の種類、与え方など、ショーティを苦しませた腎不全と糖尿にならないよう、注意してできるでしょうか。
完全室内飼いという、今までやったことがない飼い方を、最後まで貫き通せるでしょうか。
多頭飼いというのも初めてで、これまたちゃんとやり通せるでしょうか。
ショーティに教えてもらったたくさんの教訓を、その折々に思い出しながら、彼らと一緒に暮らしていきたいと思います。
彼らは、レスキューをしてくれているマンハッタンの協会からの里親書類面接を通り、予防注射や健康診断、それから去勢などの手術費の計200ドルを支払った後、うちにやって来ます。
そして多分、彼らがやって来てすぐぐらいに、2階の浴室の改装が始まります。
築100年を超えるこの家の浴室は、リノリウムが剥がれ、それこそ数十年分のおしっこのシミが深くしみ込んでいる古い床板から、天気によってはかなりイヤな臭いが漂ってきます。
さらに、ずいぶん昔に流行った、その当時は「浴室というとコレだった」と誰もが言う、ピンクのタイル!
こんな感じです。
ピンク色から気が逸れるように、ちょっと柄を加えてみたりもしましたが…。
正直言うと、タイルの色は、慣れてしまえばもうあまり気にならなくなったのですが、
電気のコンセントが全く無いこと、パイプが古過ぎて排水が良く無いこと、それから、いずれ旦那が、2階の一室で治療をするようになった際には、患者さんが使うであろう、ということから、思い切って業者さんにお願いすることにしました。
旦那の患者さんの中に、とても優れたデザイナーさんがいて、その方にザッと図面を描いてもらい、
さらに、我々の経済状況を十分考慮してくれた、高価ではないけれども、性能の良い、そしてシンプルな小物やタイルを選んでもらいました。
どの業者さんが、そこそこ安くて、そこそこきちんとした仕事をしてくれるか、ここアメリカでは、その選択を誤ると、とんでもない結果になることが再三あります。
そこで、三つ四つの会社や個人業者に電話をかけて、見積もりをしてもらいました。
夏を挟んでしまったので、休暇に入ったり、せっせと仕事をする気がなかったりと、タイミングがズレにズレて、結局三つの会社からの見積もりが揃ったのは9月の終わりでした。
評判の高いところはやはり、目の玉と心臓が飛び出てしまうような価格を出してきて、
あんなちっちゃい、なんということもない、別に何かを移動するというのでもない浴室の改装に、こんなお金を使うことはできない!と即却下。
そして二番目の業者さんからは、20万円ほど安かったものの、そこに浴槽だのトイレだのシンクだの薬棚だのを買い足していくと、やっぱり払いたくない価格になって、少し勢いは衰えたものの却下。
う~ん…甘くないな…とあきらめかけていた時、ミリアムが紹介してくれた大工さんがなんと、一番高いとこの3分の1、次に高いとこの2分の1の価格を出してきてくれたのです。
やっほぉ~い!
ということで、もちろんお願いすることにしました。
工事を担当してくれる人が決まったところで、今度は、浴槽やトイレ、それから小物の数々を、自分たちで注文しに行かなければなりません。
在庫があるか、配達がいつになるか、工事の進行によって、タイミング良く搬入していかなければなりません。
そして何よりも先に、工事をすることを町に申請して、許可を得なければなりません。
なんと面倒くさいのでしょう?!
けれども、今回のこの改装にあたり、かねてからの夢を、叶えさせてもらえることになりました。
日本のような深くて小さめの浴槽と、ウォシュレットを入れます。
ただ、日本の浴室のように洗い場が無いので、浴槽の底を床下に埋め込むことができません。
なので、出入りの際に、大股で、多分手すりとかにギュウッとしがみつきながら、またがなければなりません。
老化防止に良い、などと言っていられる間はいいのですが、またげなくなったらどうしよう…と、ちょっと不安があったりもします。
いやはや…。
でも、本当に楽しみです。
こちらに来て14年。
ずっとずっと、寝る前のひとっ風呂、顎のあたりまでズブズブと、お湯につかってハァ~っと一息つく、という場面を夢見てきました。
それがとうとう叶いそうです。
そしてあともうひとつは、母の80才の誕生日を祝いに、日本に帰省することにしました。
といっても、まだ一ヵ月以上も先の、生徒の発表会が終ってからの話です。
この時期の旅費はやはり、かなり高くなることから、自分ひとりの運賃でもなかなか踏ん切りがつきませんでした。
その上に、今回は絶対に一緒に行きたいと、かねてから言っていた旦那が加わって、さらに深く食い込む打撃になりましたが、
誕生日だからといって、物を贈るのはもう絶対にやめて欲しいと、人生の仕舞い支度を始めた母からキツく言われているので、
では、有形ではなく無形で、ということになると、やはり姿を見せて直接「おめでとう」と言うのが一番だ、という気持ちになり、大決心したという次第です。
友人のレイチェルは、ピースボートに乗ったり要人の通訳をしたりと、大忙しの女性ですが、
11月の丸々一ヵ月間帰省して、「その間に、辺野古に行くの」と言っていました。
そんな活動的な彼女に比べると、なんともトホホな気持ちになりますが、
わたしの帰省は今回も、母や弟との時間、そして、もうここ5年ぐらい会っていない親類や友だちに会うぐらいで、精一杯になってしまうと思います。
昨日の日曜日に、旦那が作ってくれた、ラム肉とほうれん草のカレーと、まなっちゃんが作ってくれたサラダです。
旦那は今回、圧力鍋クッキングデビュー。
使用説明書を失くしてしまい、全くの適当な料理でしたが、それはそれはお肉が柔らかな、とてもコクのある美味しいカレーになりました。
サラダの野菜はすべて自家製です。
家の畑からもぎ穫ってきた野菜を使い、家の台所で作った料理。
それを家族で囲み、パクパクと食べることができる幸せを、どんなに感謝してもし足りることはないなあと思いながらいただきました。