ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

『フタバから遠く離れて』第二部を作り終えた、舩橋監督の思いを聞いて

2014年10月20日 | 日本とわたし
舩橋淳監督です。


ここは、マンハッタンのビルの8階にある、グローバス氏のお茶室。
あまりに見事なので、講演が始まるまでの間、お手洗いの中まで撮らせてもらいました。






ウォシュレットに座っていると見える風景(用を足しながら撮ったのではございません、あしからず…)。


この方がグローバス氏。南相馬に、震災後、2度訪れたとおっしゃっていました。


講演会が終った後は、日本酒とお寿司を振る舞ってくださいました。


本当に久しぶりに、カリフォルニア米の濁り酒をいただきました。檜の香りがする升酒は、ほんとに美味しかったです。



さて本題。

舩橋監督は今日、ボストンからやって来てくださいました。
ボストン・第4回日本映画祭で、 「フタバから遠く離れて」「放射能 Radioactive」の上映があったためです。
上映は、マサチューセッツ工科大学でも有名な、Laboratory for Nuclear Science (LNS)で行われたのだそうです。
監督のお父さんは、広島の原爆で被ばくされました。
なので、監督ご自身が、被曝2世なのです。
その自分がこうやって、原爆の発祥地ボストンに来て、MITの、それもLNSで、
原発事故によって苦しみを受けている方々の様子を、自身の手で撮った映画の上映をしているという運命を、苦笑いしながら語ってくださいました。

『フタバから遠く離れて』は、福島の原発事故で、避難を余儀なくされた福島県双葉町の人々を追ったドキュメンタリー映画です。
その映画の第二部を、2週間前に撮り終えたばかりの監督が、映画のこと、原発のこと、福島の現状についての話をしてくださいました。



聴衆の中におひとり、英語人の方がおられたので、講演と質疑応答はすべて、英語で行われました。
なのにわたしだけ、やっぱり気持ちをきちんと伝えたいと思い、日本語で質問をさせてもらい、それを監督が訳して答えてくださるというトホホな展開に…すみません。

講演の内容、そして質疑応答の答などを必死で書きとめたのですが、なかなかうまく整理できません。
そこで、少しズルをして、ディレクターノートに記されている言葉をここに、転載させていただきます。

フタバから遠く離れて【第二部】
http://nuclearnation.jp/jp/part2/

Director's Note

原発事故は、遠い昔の出来事だったかのように、風化が進んでいる。

その中で、原発避難民を映した映像は、メディアのここかしこに散見されるが、それはみな、「被害者」「かわいそうな人たち」というレッテルを張った描写である。

それを見て、「ああ、かわいそうだ」と思うもの、

「そんな話題、もう見たくもない」と思うもの、

こうした認知の在り方そのものが、僕はおかしいと思う。   

その認知全体をひっくり返し、見直したいと思う。

なぜか。

福島第一原発の電力は、ほぼ100%、関東圏に送られて来た。
僕たち東京の人間、都市部の人間が、使って来た電気である。

そして、60年代~日本の高度成長の中、「原子力 未来の明るいエネルギー」(双葉町に架かっている標語アーチ)として、
原子力のポジティブなイメージを支え、原子力にGOサインを出してきたのは、
僕たち日本人全員、日本社会そのものだからである。

元は、原爆と同じ核の毒であり、悪魔に魂を売ったゲーテのファウストのように、その大きなしっぺ返しを受けながら、
それが自分達に起因していることを、どうしても認めたくない。

そんなしっぺ返しの、強烈な<痛み>に対し、僕たちは、距離を置いて、直視を避けている。
他人のせいにする方が楽だから、国と東電を責める。

遠く離れることで、それを直接には感じなくなることで、
うやむやに過ぎ去ってゆくものが、この世の中にたくさんある、ということ。

原発避難民は、「かわいそう」なだけじゃない。

僕たちも、その加害の一端を担っているのだ。

正義の欠如に、僕たちも加担しているという、不都合な真実。

今の国の態度は、金と、権力と、歪んだ理屈で、ムリヤリで黙らせようという前近代的なやり方。
(それは、いまの首相にせよ、県知事にせよ、また、世界のあらゆる国で見られる、市民の弾圧である)

住民説明会では、環境省が、中間貯蔵施設の補償を、東電が賠償の窓口とする、という縦割りが徹底され、
すべて、事務的な、補償<金目>の議論に落とし込まれている。

そもそも、誰が、このような犠牲を押し付けるのだろう?という問いは、議論されない。

そうすることで、国は、責任追及は免れる、
のではなく、「僕たち」が、責任を免れている。

巨大な責任回避装置を、私たち自体がサポートしている。

他人の痛みを思いやるだけじゃ、足りない。
自分の加害について、思いを馳せる。 

それが、ぬくぬくと電気を使いつづける、悪魔に魂を売り続ける、私たちが感じるべき、ささやかな倫理であると思う。


【中間貯蔵施設について】

中間貯蔵施設には、根本的な問題がある。

それは、放射性物資汚染を引き起こした加害者が、法的に特定されていないことであり、
この無責任な放置が、諸悪の弊害を生み出している。
その一つは、今まで、関東圏の電力のために利用されてきた、双葉町・大熊町が、
さらに「核のゴミ」を、なぜ被らなければいけないのか、という倫理的な矛盾である。

町は、交付金・雇用を得ていたのだから、「利用された」のではない。
関東圏とはイーブンな関係であり、いま、原発事故のリスクを背負うのは、受け入れた側の自業自得ではないか、という声もある。
しかし、そういう「リスク」(=町に、おそらく30年以上は帰還できず、土地・家・財産を失い、国・東電に賠償をケチられ、
それまでの人生が、あらゆる面でグレードダウンしなければいけないという、多大な損害。
まさしく、福井地裁の、大飯原発再稼働差し止め判決で出た、「人格権」の侵害である)を、
半世紀前、原発受け入れ・操業開始の時に、誰がちゃんと説明したというのだろう?
たかだか、40年間の町の繁栄のために、それまで1000年以上つづいていた町の歴史と、
3.11以後、ずっと続いていたであろう町の将来・家系の継承が、霧散してしまう巨大なリスクを、
地方に背負わせるのは、不公平ではないだろうか。

沖縄と福島に共通する、犠牲のシステムが、ここにある。
それは、自業自得ではなく、宗主国と植民地の関係に近い、利用するものと利用されるものの関係であった、と思う。

だから、利用してきたものの責任と罪を、明らかにせずに、ゴミだけを押し付けるのは、
新たに犠牲のシステムを生むことを、容認することになるのだ。
「金目」の条件交渉となる前に、話さなければいけないのは、上のような倫理の問題である。

僕たちは、双葉町を含む、福島避難区域の人々の「人格権の回復」を、何よりもまず、求めるべきと思う。

そんな正義の追求があってこそ、現実問題として、「核のゴミ」をどうするのか、を話し合う対等な立場になる。

対等で、フェアな立場で話し合うことを、互いに尊重するという、理性と倫理が、
住民説明会の現場で、求められているものなのだと思う。

そんなの、お花畑の理想論、という人もいるだろう。

しかし、そんなフェアな立場を獲得できなかったため、水俣病患者は、50年以上の年月、待ちぼうけにされ、疲弊させられ続けた。

国民と地方の市町村が一緒になって、この前近代的な、アンフェアな対話環境を、変えてゆく努力をしないと、
単なる金目の話に、落とし込まれてしまうのだ。

だから、正義の欠如については、ちゃんと主張をしてゆくべきだし、
二度と、「犠牲のシステム」を生んではならないと、
関東圏や、原子力の電力を使って来た僕らも、それを全力でサポートすべきなのだと思う。

なぜなら、ぼくらはみな、福島原発事故の当事者なのだから。




わたしが、このブログの書き方を変えたのもやはり、罪の意識からでした。
物心がついた頃から今までの間に、社会で起こっている理不尽な差別や犠牲の強制を、横目で見ながら無関係を装って生きてきたことを、強く恥じたからでした。

『犠牲のシステム』

これを繰り返さないこと。
そのために、日本全体が、自分自身のこととして捉え、考え、全力でサポートするべき。
なぜなら、ぼくらはみな、福島原発事故の当事者なのだから。


わたしはこの、舩橋監督の思いに強く共感し、この思いを日本中に、世界中に伝えていきたいと思います。
そうすることで、日本が、そして世界が、『犠牲のシステム』からの脱却に向かえると信じているからです。
そうしないと、日本の、そして世界の、さらに言えば地球の、未来はとても辛いものになってしまいます。
わたしはもちろん、その時には生きていませんが、だからといってどうでもいい、仕方がないなどと思えません。

一週間前に、日本外国特派員協会で会見した際に、監督が語られた言葉を抜粋して、載せさせていただきます。
引用元:http://news.ameba.jp/20141015-299/

石原伸晃環境相は『最後は金目』と言ったが、金だけの問題ではない。
双葉の町民は、それ以上のもの、歴史、コミュニティのつながり、世代を超えた文化などを、原発事故によって失った。

福島県内でも、意見は割れている。
原発事故について語ることに、辟易(へきえき)している人も多く、
中心部では、『原発事故は終わったこと。今すべきことは線量を計ることだけ』という意見もある。
(まうみ注:)
質疑応答で、福島県知事の選挙に、元双葉町長の井戸川氏が立候補を表明された時、監督が「複雑な気持ちです」と一言おっしゃったことについて伺ったところ、
今の知事選挙の最大の争点は、経済であり、事故や震災のことではなく、だから自民・公明が大々的に後押ししている候補が勝つだろう、という選挙に、
負けを覚悟で、それでも、そうやって候補者になることで、従来から訴え続けておられる福島からの脱却を、
少しでも公の場で伝えることができるからという、氏の思いを知っているからこその気持ちだったと、答えてくださいました。


東電が責任を持つべきところを、国民の税金で尻拭い。
失われているのは、“正義”だと思う。

まだ終わっていない。
映画は3、4と続くかも。
なぜ、このような人権の侵害、非人道的なことが続いているのかを、問い続けたい。
福島原発の電気を使っていたのは、我々東京の人々であり、映画監督として、作り続ける責務のようなものがあると思う。



そして最後に、本来は、サスペンスやラブストーリーなどのフィクション物語を元に映画を作ったりもする、映画監督のひとりであった自分が、
今ではこんなふうに、どのメディアも全く興味を示さず伝えようとしない、避難生活を強いられている双葉町の人たちの現状をコツコツと記録し続けている、
だから人は、僕のことを、人権活動に勤しむ映画監督か?などと思われたりするんですが…と苦笑いされていた監督の、
そういう監督だからこそ、フタバの方々の姿を間近に見、言葉を聞き、気持ちを受け取ってこられた人だからこその、この言葉が、本当に胸に刺さりました。 

「避難計画ではだめなんです、避難生活計画がちゃんとできてないと。
だって、避難は一日や二日では終らないんですから。
三日四日、下手すりゃ一週間、さらには一ヵ月、どうやって暮らすか、どこで暮らすか、そんなことも考えてないままに再稼働なんてできない。
避難生活計画でも足りない。
避難生活後の人生設計を、どうサポートしていくのか、とことん話し合って詰めていく。
まずは何が必要なのか。
何が一番大切なのか。
それを、今の日本人は、完全に見失ってしまっています」



日本は今だに、年間20ミリシーベルトの数字を変えようとしません。
世界では、年間1ミリシーベルト、チェルノブイリでさえ、年間5ミリシーベルトとされているのに、
事故から3年半以上も経った今もなお、この20が変えられないままという異常さは、本当に恐ろしいです。

今夜の講演会では、広河隆一さんが、岡山大学教授の津田敏秀さんにインタビューをした報告を、紹介してくださいました。
特集『100ミリシーベルトのウソ』は、発売を開始した『DAYS』の10月号に、掲載されているそうです。
ぜひ読んでください!

政府部内(菅政権)でも、2011年11月に、「避難地域を5ミリシーベルトにする」という議論があったにもかかわらず、
それを阻止しようとする組織や人間が居たことを、朝日新聞がスクープとして伝えましたが、スクープにならなかったのですね。
何もかもが、原発ムラの意向通りに進んでしまっています。

何とかして、この間違ったシステムを、日本から締め出してしまいたい、締め出さなければいけないと、
今夜また新たに、心に強く思いながら、家に戻ってきたのでした。
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ふと考えること

2014年10月20日 | 友達とわたし
米国人夫と暮らし始めて22年、こちらに移り住んで14年、15回目のハロウィーンが近づいてきました。


この数年は、ハロウィーン、そして生徒の発表会があり、次に感謝祭がやってくる、というパターンが続いていますが、
今年は長年連れ添ったショーティが居ない代わりに、この仔たちが加わってくれます。


毎日走り回り、飛びつき合いながら、日に日におっきくなってきました。



一昨日の土曜日は、朝のレッスンを終えてからはずっと、懐かしい友人や、初めて会う人たちと、話して話して話し続けるという一日でした。
まずは、南フランス在住のイギリス人ジルが、カリフォルニア在住の友人夫婦と一緒にマンハッタンに来るというので、会いに行ってきました。
ジルは、20年もの間京都に住んでいました。
日本で居た頃に、ほんの数回会っただけでしたが、とても素敵な女性で、いっぺんに好きになった人です。

待ち合わせ場所の『チェルシー・マーケット』へ。


なんとなく、船場センタービルを思い出してしまった…。


真向かえには『Google』ビルが。

 
中はすっかりハロウィーン仕様。


延々と続きます。




あまりに人が多いので、場所を変えてランチを食べ、それから空中公園『THE HIGH LINE』へ。




やっぱり夜の方が見応えのある、このどこまでも真っ直ぐなマンハッタンの通り。



名残惜しいし話は尽きないけれども、夜はプリンストンの友人夫婦んちに行かなければならないのでお別れし、
旦那とわたしだけで、またまたチェルシー・マーケットへ後もどり。
家の改築完成祝いのパーティなので、お祝いを買わなければなりません。

時間が無いので、いろんな面白いお店を素通りしなければならず、けれどもこれだけは撮らせてもらったスパイス屋さんの店頭。



一旦家に戻り、夜遅くまで戻ってこられないので、餌を余分に置いて、またまた出発。



前回行った時にもほぼ完成していた彼らのお家。
友人夫婦のスコットとバニースのふたりはともに、旦那の大学時代からの友人で、会えば必ず昔話に花が咲きます。
スコットは巨大企業の重役、バニースは優れた建築家、ということで、この家が完成しました。

居間の窓の向こうには、プール付きの広い庭とゲストルームがあります。


洗濯室のベンチに惚れた…。


なにやら興味深い楽器が潜んでいるような…。


主寝室のバスルーム。床暖房とスチームサウナがご自慢。


熱帯魚の水槽の前で、なにやら怪しげな話(うそうそ)をする男たち。(右からスコット、旦那、アイルランド人のケビン)


話し疲れたので、あちこちに潜入して。










外に出ると、
 





完成間近のゲストハウス。


さっきの楽器を近くから。


もうちょいズーム。


中では激しい縄張り争いが続いているという水槽。



なにからなにまで素敵で、ため息が出るのだけれども、まあこんな世界もある、というようなきっぱりとした諦めを感じながら、
けれども、そこに居る初対面の人たちとは、なんらかの会話を楽しまなければならないので、脳ミソはフルに回転し続けていて、
パーティのお開きとともに車に戻った頃には、もうとんでもなく疲れてしまっていました。

夜中に家に戻ると、仔猫たちが餌の食べ過ぎから下痢をしていて、自分の都合で考えが足りないことをしてしまったことを大後悔!
とにかく眠ろうとしたのですが、どうも疲れ過ぎていたのか、朝方まで眠れず、翌日の日曜日はもう、心身ともにクタクタになってしまいました。

日曜日は、まずは水のような下痢が続いている海ちゃんのために、生後5週間の仔猫用の食事に変えました。
二匹の、しかも生後の日数が違う仔猫を育てたことが無いわたしたちは、いい加減な世話をして、すっかりお腹の調子を壊させてしまいました。
少しの量を何回かに分けて食べる空ちゃんは、生後3ヵ月半。
イッキ食いをして、お腹がいっぱいになってもかまわず食べ続ける海ちゃんは、生後4週間。
そんな二匹の食事が、同じで良いはずがなかったのだけども、考えが足りずに可哀相なことをしてしまいました。

で、その罰として、猫のトイレは悲惨なことに…。
朝から総替えをしたり、箱全部を洗剤で洗ったり、床の汚れを拭き取ったりで、一日が過ぎてしまいました。
そしてわたしはというと、土曜日の英会話疲れが出たのか、酷い立ちくらみとめまいでフラフラ…。
やはり無理はいけません。
もうすっかり慣れた、と思っていた英会話社交ですが、やっぱり体は一番正直にモノを言ってくれるようです。

家族や友人、それも遠い昔から知っている友だちや仲間と話す旦那を見ていると、たまーに、なんというか、 
言い様の無い、けれどもジメジメとはしていない、カラリとした寂しさを感じることがあります。
いったいわたしはこんな所で、なんで居るんだろう、なにをしているんだろう、と思って、コクッと首を傾げる、そんな感じです。

でもそれは、日本で居ても、同じような乾いた感情を持つことがあったので、別にここだから、ということでもありません。

いわゆる複雑な家庭に育ち、波瀾万丈な人生を生き、そして自分が大人になってからは、複雑な人生を自ら選んだのですから、
そういう感情とともに、これからも生き続けていくのは仕方がないことだし、そのことを悔やんでもいません。

などという思いをつらつらと書けるほどに、今日は回復しました。


今夜は、ドキュメンタリー映画『フタバから遠く離れて」の舩橋淳監督がマンハッタンに来て、今の日本の原発行政、原発避難について話をしてくれます。
会いに行って、しっかりと話を聞いて来ようと思います。
コメント (4)
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