舩橋淳監督です。
ここは、マンハッタンのビルの8階にある、グローバス氏のお茶室。
あまりに見事なので、講演が始まるまでの間、お手洗いの中まで撮らせてもらいました。
ウォシュレットに座っていると見える風景(用を足しながら撮ったのではございません、あしからず…)。
この方がグローバス氏。南相馬に、震災後、2度訪れたとおっしゃっていました。
講演会が終った後は、日本酒とお寿司を振る舞ってくださいました。
本当に久しぶりに、カリフォルニア米の濁り酒をいただきました。檜の香りがする升酒は、ほんとに美味しかったです。
さて本題。
舩橋監督は今日、ボストンからやって来てくださいました。
ボストン・第4回日本映画祭で、 「フタバから遠く離れて」「放射能 Radioactive」の上映があったためです。
上映は、マサチューセッツ工科大学でも有名な、Laboratory for Nuclear Science (LNS)で行われたのだそうです。
監督のお父さんは、広島の原爆で被ばくされました。
なので、監督ご自身が、被曝2世なのです。
その自分がこうやって、原爆の発祥地ボストンに来て、MITの、それもLNSで、
原発事故によって苦しみを受けている方々の様子を、自身の手で撮った映画の上映をしているという運命を、苦笑いしながら語ってくださいました。
『フタバから遠く離れて』は、福島の原発事故で、避難を余儀なくされた福島県双葉町の人々を追ったドキュメンタリー映画です。
その映画の第二部を、2週間前に撮り終えたばかりの監督が、映画のこと、原発のこと、福島の現状についての話をしてくださいました。
聴衆の中におひとり、英語人の方がおられたので、講演と質疑応答はすべて、英語で行われました。
なのにわたしだけ、やっぱり気持ちをきちんと伝えたいと思い、日本語で質問をさせてもらい、それを監督が訳して答えてくださるというトホホな展開に…すみません。
講演の内容、そして質疑応答の答などを必死で書きとめたのですが、なかなかうまく整理できません。
そこで、少しズルをして、ディレクターノートに記されている言葉をここに、転載させていただきます。
フタバから遠く離れて【第二部】
http://nuclearnation.jp/jp/part2/
Director's Note
原発事故は、遠い昔の出来事だったかのように、風化が進んでいる。
その中で、原発避難民を映した映像は、メディアのここかしこに散見されるが、それはみな、「被害者」「かわいそうな人たち」というレッテルを張った描写である。
それを見て、「ああ、かわいそうだ」と思うもの、
「そんな話題、もう見たくもない」と思うもの、
こうした認知の在り方そのものが、僕はおかしいと思う。
その認知全体をひっくり返し、見直したいと思う。
なぜか。
福島第一原発の電力は、ほぼ100%、関東圏に送られて来た。
僕たち東京の人間、都市部の人間が、使って来た電気である。
そして、60年代~日本の高度成長の中、「原子力 未来の明るいエネルギー」(双葉町に架かっている標語アーチ)として、
原子力のポジティブなイメージを支え、原子力にGOサインを出してきたのは、
僕たち日本人全員、日本社会そのものだからである。
元は、原爆と同じ核の毒であり、悪魔に魂を売ったゲーテのファウストのように、その大きなしっぺ返しを受けながら、
それが自分達に起因していることを、どうしても認めたくない。
そんなしっぺ返しの、強烈な<痛み>に対し、僕たちは、距離を置いて、直視を避けている。
他人のせいにする方が楽だから、国と東電を責める。
遠く離れることで、それを直接には感じなくなることで、
うやむやに過ぎ去ってゆくものが、この世の中にたくさんある、ということ。
原発避難民は、「かわいそう」なだけじゃない。
僕たちも、その加害の一端を担っているのだ。
正義の欠如に、僕たちも加担しているという、不都合な真実。
今の国の態度は、金と、権力と、歪んだ理屈で、ムリヤリで黙らせようという前近代的なやり方。
(それは、いまの首相にせよ、県知事にせよ、また、世界のあらゆる国で見られる、市民の弾圧である)
住民説明会では、環境省が、中間貯蔵施設の補償を、東電が賠償の窓口とする、という縦割りが徹底され、
すべて、事務的な、補償<金目>の議論に落とし込まれている。
そもそも、誰が、このような犠牲を押し付けるのだろう?という問いは、議論されない。
そうすることで、国は、責任追及は免れる、
のではなく、「僕たち」が、責任を免れている。
巨大な責任回避装置を、私たち自体がサポートしている。
他人の痛みを思いやるだけじゃ、足りない。
自分の加害について、思いを馳せる。
それが、ぬくぬくと電気を使いつづける、悪魔に魂を売り続ける、私たちが感じるべき、ささやかな倫理であると思う。
【中間貯蔵施設について】
中間貯蔵施設には、根本的な問題がある。
それは、放射性物資汚染を引き起こした加害者が、法的に特定されていないことであり、
この無責任な放置が、諸悪の弊害を生み出している。
その一つは、今まで、関東圏の電力のために利用されてきた、双葉町・大熊町が、
さらに「核のゴミ」を、なぜ被らなければいけないのか、という倫理的な矛盾である。
町は、交付金・雇用を得ていたのだから、「利用された」のではない。
関東圏とはイーブンな関係であり、いま、原発事故のリスクを背負うのは、受け入れた側の自業自得ではないか、という声もある。
しかし、そういう「リスク」(=町に、おそらく30年以上は帰還できず、土地・家・財産を失い、国・東電に賠償をケチられ、
それまでの人生が、あらゆる面でグレードダウンしなければいけないという、多大な損害。
まさしく、福井地裁の、大飯原発再稼働差し止め判決で出た、「人格権」の侵害である)を、
半世紀前、原発受け入れ・操業開始の時に、誰がちゃんと説明したというのだろう?
たかだか、40年間の町の繁栄のために、それまで1000年以上つづいていた町の歴史と、
3.11以後、ずっと続いていたであろう町の将来・家系の継承が、霧散してしまう巨大なリスクを、
地方に背負わせるのは、不公平ではないだろうか。
沖縄と福島に共通する、犠牲のシステムが、ここにある。
それは、自業自得ではなく、宗主国と植民地の関係に近い、利用するものと利用されるものの関係であった、と思う。
だから、利用してきたものの責任と罪を、明らかにせずに、ゴミだけを押し付けるのは、
新たに犠牲のシステムを生むことを、容認することになるのだ。
「金目」の条件交渉となる前に、話さなければいけないのは、上のような倫理の問題である。
僕たちは、双葉町を含む、福島避難区域の人々の「人格権の回復」を、何よりもまず、求めるべきと思う。
そんな正義の追求があってこそ、現実問題として、「核のゴミ」をどうするのか、を話し合う対等な立場になる。
対等で、フェアな立場で話し合うことを、互いに尊重するという、理性と倫理が、
住民説明会の現場で、求められているものなのだと思う。
そんなの、お花畑の理想論、という人もいるだろう。
しかし、そんなフェアな立場を獲得できなかったため、水俣病患者は、50年以上の年月、待ちぼうけにされ、疲弊させられ続けた。
国民と地方の市町村が一緒になって、この前近代的な、アンフェアな対話環境を、変えてゆく努力をしないと、
単なる金目の話に、落とし込まれてしまうのだ。
だから、正義の欠如については、ちゃんと主張をしてゆくべきだし、
二度と、「犠牲のシステム」を生んではならないと、
関東圏や、原子力の電力を使って来た僕らも、それを全力でサポートすべきなのだと思う。
なぜなら、ぼくらはみな、福島原発事故の当事者なのだから。
わたしが、このブログの書き方を変えたのもやはり、罪の意識からでした。
物心がついた頃から今までの間に、社会で起こっている理不尽な差別や犠牲の強制を、横目で見ながら無関係を装って生きてきたことを、強く恥じたからでした。
『犠牲のシステム』
これを繰り返さないこと。
そのために、日本全体が、自分自身のこととして捉え、考え、全力でサポートするべき。
なぜなら、ぼくらはみな、福島原発事故の当事者なのだから。
わたしはこの、舩橋監督の思いに強く共感し、この思いを日本中に、世界中に伝えていきたいと思います。
そうすることで、日本が、そして世界が、『犠牲のシステム』からの脱却に向かえると信じているからです。
そうしないと、日本の、そして世界の、さらに言えば地球の、未来はとても辛いものになってしまいます。
わたしはもちろん、その時には生きていませんが、だからといってどうでもいい、仕方がないなどと思えません。
一週間前に、日本外国特派員協会で会見した際に、監督が語られた言葉を抜粋して、載せさせていただきます。
引用元:http://news.ameba.jp/20141015-299/
石原伸晃環境相は『最後は金目』と言ったが、金だけの問題ではない。
双葉の町民は、それ以上のもの、歴史、コミュニティのつながり、世代を超えた文化などを、原発事故によって失った。
福島県内でも、意見は割れている。
原発事故について語ることに、辟易(へきえき)している人も多く、
中心部では、『原発事故は終わったこと。今すべきことは線量を計ることだけ』という意見もある。
(まうみ注:)
質疑応答で、福島県知事の選挙に、元双葉町長の井戸川氏が立候補を表明された時、監督が「複雑な気持ちです」と一言おっしゃったことについて伺ったところ、
今の知事選挙の最大の争点は、経済であり、事故や震災のことではなく、だから自民・公明が大々的に後押ししている候補が勝つだろう、という選挙に、
負けを覚悟で、それでも、そうやって候補者になることで、従来から訴え続けておられる福島からの脱却を、
少しでも公の場で伝えることができるからという、氏の思いを知っているからこその気持ちだったと、答えてくださいました。
東電が責任を持つべきところを、国民の税金で尻拭い。
失われているのは、“正義”だと思う。
まだ終わっていない。
映画は3、4と続くかも。
なぜ、このような人権の侵害、非人道的なことが続いているのかを、問い続けたい。
福島原発の電気を使っていたのは、我々東京の人々であり、映画監督として、作り続ける責務のようなものがあると思う。
そして最後に、本来は、サスペンスやラブストーリーなどのフィクション物語を元に映画を作ったりもする、映画監督のひとりであった自分が、
今ではこんなふうに、どのメディアも全く興味を示さず伝えようとしない、避難生活を強いられている双葉町の人たちの現状をコツコツと記録し続けている、
だから人は、僕のことを、人権活動に勤しむ映画監督か?などと思われたりするんですが…と苦笑いされていた監督の、
そういう監督だからこそ、フタバの方々の姿を間近に見、言葉を聞き、気持ちを受け取ってこられた人だからこその、この言葉が、本当に胸に刺さりました。
「避難計画ではだめなんです、避難生活計画がちゃんとできてないと。
だって、避難は一日や二日では終らないんですから。
三日四日、下手すりゃ一週間、さらには一ヵ月、どうやって暮らすか、どこで暮らすか、そんなことも考えてないままに再稼働なんてできない。
避難生活計画でも足りない。
避難生活後の人生設計を、どうサポートしていくのか、とことん話し合って詰めていく。
まずは何が必要なのか。
何が一番大切なのか。
それを、今の日本人は、完全に見失ってしまっています」
日本は今だに、年間20ミリシーベルトの数字を変えようとしません。
世界では、年間1ミリシーベルト、チェルノブイリでさえ、年間5ミリシーベルトとされているのに、
事故から3年半以上も経った今もなお、この20が変えられないままという異常さは、本当に恐ろしいです。
今夜の講演会では、広河隆一さんが、岡山大学教授の津田敏秀さんにインタビューをした報告を、紹介してくださいました。
特集『100ミリシーベルトのウソ』は、発売を開始した『DAYS』の10月号に、掲載されているそうです。
ぜひ読んでください!
政府部内(菅政権)でも、2011年11月に、「避難地域を5ミリシーベルトにする」という議論があったにもかかわらず、
それを阻止しようとする組織や人間が居たことを、朝日新聞がスクープとして伝えましたが、スクープにならなかったのですね。
何もかもが、原発ムラの意向通りに進んでしまっています。
何とかして、この間違ったシステムを、日本から締め出してしまいたい、締め出さなければいけないと、
今夜また新たに、心に強く思いながら、家に戻ってきたのでした。
ここは、マンハッタンのビルの8階にある、グローバス氏のお茶室。
あまりに見事なので、講演が始まるまでの間、お手洗いの中まで撮らせてもらいました。
ウォシュレットに座っていると見える風景(用を足しながら撮ったのではございません、あしからず…)。
この方がグローバス氏。南相馬に、震災後、2度訪れたとおっしゃっていました。
講演会が終った後は、日本酒とお寿司を振る舞ってくださいました。
本当に久しぶりに、カリフォルニア米の濁り酒をいただきました。檜の香りがする升酒は、ほんとに美味しかったです。
さて本題。
舩橋監督は今日、ボストンからやって来てくださいました。
ボストン・第4回日本映画祭で、 「フタバから遠く離れて」「放射能 Radioactive」の上映があったためです。
上映は、マサチューセッツ工科大学でも有名な、Laboratory for Nuclear Science (LNS)で行われたのだそうです。
監督のお父さんは、広島の原爆で被ばくされました。
なので、監督ご自身が、被曝2世なのです。
その自分がこうやって、原爆の発祥地ボストンに来て、MITの、それもLNSで、
原発事故によって苦しみを受けている方々の様子を、自身の手で撮った映画の上映をしているという運命を、苦笑いしながら語ってくださいました。
『フタバから遠く離れて』は、福島の原発事故で、避難を余儀なくされた福島県双葉町の人々を追ったドキュメンタリー映画です。
その映画の第二部を、2週間前に撮り終えたばかりの監督が、映画のこと、原発のこと、福島の現状についての話をしてくださいました。
聴衆の中におひとり、英語人の方がおられたので、講演と質疑応答はすべて、英語で行われました。
なのにわたしだけ、やっぱり気持ちをきちんと伝えたいと思い、日本語で質問をさせてもらい、それを監督が訳して答えてくださるというトホホな展開に…すみません。
講演の内容、そして質疑応答の答などを必死で書きとめたのですが、なかなかうまく整理できません。
そこで、少しズルをして、ディレクターノートに記されている言葉をここに、転載させていただきます。
フタバから遠く離れて【第二部】
http://nuclearnation.jp/jp/part2/
Director's Note
原発事故は、遠い昔の出来事だったかのように、風化が進んでいる。
その中で、原発避難民を映した映像は、メディアのここかしこに散見されるが、それはみな、「被害者」「かわいそうな人たち」というレッテルを張った描写である。
それを見て、「ああ、かわいそうだ」と思うもの、
「そんな話題、もう見たくもない」と思うもの、
こうした認知の在り方そのものが、僕はおかしいと思う。
その認知全体をひっくり返し、見直したいと思う。
なぜか。
福島第一原発の電力は、ほぼ100%、関東圏に送られて来た。
僕たち東京の人間、都市部の人間が、使って来た電気である。
そして、60年代~日本の高度成長の中、「原子力 未来の明るいエネルギー」(双葉町に架かっている標語アーチ)として、
原子力のポジティブなイメージを支え、原子力にGOサインを出してきたのは、
僕たち日本人全員、日本社会そのものだからである。
元は、原爆と同じ核の毒であり、悪魔に魂を売ったゲーテのファウストのように、その大きなしっぺ返しを受けながら、
それが自分達に起因していることを、どうしても認めたくない。
そんなしっぺ返しの、強烈な<痛み>に対し、僕たちは、距離を置いて、直視を避けている。
他人のせいにする方が楽だから、国と東電を責める。
遠く離れることで、それを直接には感じなくなることで、
うやむやに過ぎ去ってゆくものが、この世の中にたくさんある、ということ。
原発避難民は、「かわいそう」なだけじゃない。
僕たちも、その加害の一端を担っているのだ。
正義の欠如に、僕たちも加担しているという、不都合な真実。
今の国の態度は、金と、権力と、歪んだ理屈で、ムリヤリで黙らせようという前近代的なやり方。
(それは、いまの首相にせよ、県知事にせよ、また、世界のあらゆる国で見られる、市民の弾圧である)
住民説明会では、環境省が、中間貯蔵施設の補償を、東電が賠償の窓口とする、という縦割りが徹底され、
すべて、事務的な、補償<金目>の議論に落とし込まれている。
そもそも、誰が、このような犠牲を押し付けるのだろう?という問いは、議論されない。
そうすることで、国は、責任追及は免れる、
のではなく、「僕たち」が、責任を免れている。
巨大な責任回避装置を、私たち自体がサポートしている。
他人の痛みを思いやるだけじゃ、足りない。
自分の加害について、思いを馳せる。
それが、ぬくぬくと電気を使いつづける、悪魔に魂を売り続ける、私たちが感じるべき、ささやかな倫理であると思う。
【中間貯蔵施設について】
中間貯蔵施設には、根本的な問題がある。
それは、放射性物資汚染を引き起こした加害者が、法的に特定されていないことであり、
この無責任な放置が、諸悪の弊害を生み出している。
その一つは、今まで、関東圏の電力のために利用されてきた、双葉町・大熊町が、
さらに「核のゴミ」を、なぜ被らなければいけないのか、という倫理的な矛盾である。
町は、交付金・雇用を得ていたのだから、「利用された」のではない。
関東圏とはイーブンな関係であり、いま、原発事故のリスクを背負うのは、受け入れた側の自業自得ではないか、という声もある。
しかし、そういう「リスク」(=町に、おそらく30年以上は帰還できず、土地・家・財産を失い、国・東電に賠償をケチられ、
それまでの人生が、あらゆる面でグレードダウンしなければいけないという、多大な損害。
まさしく、福井地裁の、大飯原発再稼働差し止め判決で出た、「人格権」の侵害である)を、
半世紀前、原発受け入れ・操業開始の時に、誰がちゃんと説明したというのだろう?
たかだか、40年間の町の繁栄のために、それまで1000年以上つづいていた町の歴史と、
3.11以後、ずっと続いていたであろう町の将来・家系の継承が、霧散してしまう巨大なリスクを、
地方に背負わせるのは、不公平ではないだろうか。
沖縄と福島に共通する、犠牲のシステムが、ここにある。
それは、自業自得ではなく、宗主国と植民地の関係に近い、利用するものと利用されるものの関係であった、と思う。
だから、利用してきたものの責任と罪を、明らかにせずに、ゴミだけを押し付けるのは、
新たに犠牲のシステムを生むことを、容認することになるのだ。
「金目」の条件交渉となる前に、話さなければいけないのは、上のような倫理の問題である。
僕たちは、双葉町を含む、福島避難区域の人々の「人格権の回復」を、何よりもまず、求めるべきと思う。
そんな正義の追求があってこそ、現実問題として、「核のゴミ」をどうするのか、を話し合う対等な立場になる。
対等で、フェアな立場で話し合うことを、互いに尊重するという、理性と倫理が、
住民説明会の現場で、求められているものなのだと思う。
そんなの、お花畑の理想論、という人もいるだろう。
しかし、そんなフェアな立場を獲得できなかったため、水俣病患者は、50年以上の年月、待ちぼうけにされ、疲弊させられ続けた。
国民と地方の市町村が一緒になって、この前近代的な、アンフェアな対話環境を、変えてゆく努力をしないと、
単なる金目の話に、落とし込まれてしまうのだ。
だから、正義の欠如については、ちゃんと主張をしてゆくべきだし、
二度と、「犠牲のシステム」を生んではならないと、
関東圏や、原子力の電力を使って来た僕らも、それを全力でサポートすべきなのだと思う。
なぜなら、ぼくらはみな、福島原発事故の当事者なのだから。
わたしが、このブログの書き方を変えたのもやはり、罪の意識からでした。
物心がついた頃から今までの間に、社会で起こっている理不尽な差別や犠牲の強制を、横目で見ながら無関係を装って生きてきたことを、強く恥じたからでした。
『犠牲のシステム』
これを繰り返さないこと。
そのために、日本全体が、自分自身のこととして捉え、考え、全力でサポートするべき。
なぜなら、ぼくらはみな、福島原発事故の当事者なのだから。
わたしはこの、舩橋監督の思いに強く共感し、この思いを日本中に、世界中に伝えていきたいと思います。
そうすることで、日本が、そして世界が、『犠牲のシステム』からの脱却に向かえると信じているからです。
そうしないと、日本の、そして世界の、さらに言えば地球の、未来はとても辛いものになってしまいます。
わたしはもちろん、その時には生きていませんが、だからといってどうでもいい、仕方がないなどと思えません。
一週間前に、日本外国特派員協会で会見した際に、監督が語られた言葉を抜粋して、載せさせていただきます。
引用元:http://news.ameba.jp/20141015-299/
石原伸晃環境相は『最後は金目』と言ったが、金だけの問題ではない。
双葉の町民は、それ以上のもの、歴史、コミュニティのつながり、世代を超えた文化などを、原発事故によって失った。
福島県内でも、意見は割れている。
原発事故について語ることに、辟易(へきえき)している人も多く、
中心部では、『原発事故は終わったこと。今すべきことは線量を計ることだけ』という意見もある。
(まうみ注:)
質疑応答で、福島県知事の選挙に、元双葉町長の井戸川氏が立候補を表明された時、監督が「複雑な気持ちです」と一言おっしゃったことについて伺ったところ、
今の知事選挙の最大の争点は、経済であり、事故や震災のことではなく、だから自民・公明が大々的に後押ししている候補が勝つだろう、という選挙に、
負けを覚悟で、それでも、そうやって候補者になることで、従来から訴え続けておられる福島からの脱却を、
少しでも公の場で伝えることができるからという、氏の思いを知っているからこその気持ちだったと、答えてくださいました。
東電が責任を持つべきところを、国民の税金で尻拭い。
失われているのは、“正義”だと思う。
まだ終わっていない。
映画は3、4と続くかも。
なぜ、このような人権の侵害、非人道的なことが続いているのかを、問い続けたい。
福島原発の電気を使っていたのは、我々東京の人々であり、映画監督として、作り続ける責務のようなものがあると思う。
そして最後に、本来は、サスペンスやラブストーリーなどのフィクション物語を元に映画を作ったりもする、映画監督のひとりであった自分が、
今ではこんなふうに、どのメディアも全く興味を示さず伝えようとしない、避難生活を強いられている双葉町の人たちの現状をコツコツと記録し続けている、
だから人は、僕のことを、人権活動に勤しむ映画監督か?などと思われたりするんですが…と苦笑いされていた監督の、
そういう監督だからこそ、フタバの方々の姿を間近に見、言葉を聞き、気持ちを受け取ってこられた人だからこその、この言葉が、本当に胸に刺さりました。
「避難計画ではだめなんです、避難生活計画がちゃんとできてないと。
だって、避難は一日や二日では終らないんですから。
三日四日、下手すりゃ一週間、さらには一ヵ月、どうやって暮らすか、どこで暮らすか、そんなことも考えてないままに再稼働なんてできない。
避難生活計画でも足りない。
避難生活後の人生設計を、どうサポートしていくのか、とことん話し合って詰めていく。
まずは何が必要なのか。
何が一番大切なのか。
それを、今の日本人は、完全に見失ってしまっています」
日本は今だに、年間20ミリシーベルトの数字を変えようとしません。
世界では、年間1ミリシーベルト、チェルノブイリでさえ、年間5ミリシーベルトとされているのに、
事故から3年半以上も経った今もなお、この20が変えられないままという異常さは、本当に恐ろしいです。
今夜の講演会では、広河隆一さんが、岡山大学教授の津田敏秀さんにインタビューをした報告を、紹介してくださいました。
特集『100ミリシーベルトのウソ』は、発売を開始した『DAYS』の10月号に、掲載されているそうです。
ぜひ読んでください!
政府部内(菅政権)でも、2011年11月に、「避難地域を5ミリシーベルトにする」という議論があったにもかかわらず、
それを阻止しようとする組織や人間が居たことを、朝日新聞がスクープとして伝えましたが、スクープにならなかったのですね。
何もかもが、原発ムラの意向通りに進んでしまっています。
何とかして、この間違ったシステムを、日本から締め出してしまいたい、締め出さなければいけないと、
今夜また新たに、心に強く思いながら、家に戻ってきたのでした。