ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

希望の党小池代表「選挙はテレビがやってくれるのよ」の銭ゲバっぷり!ど〜ん!

2017年10月06日 | 日本とわたし
これは、小池氏が知事選の際に提示した公約


そしてこれは、希望の党代表として提示した公約


『ゼロ』が好きなんですね。
「選挙はテレビがやってくれるのよ」
と言う小池氏らしいというか、公約というより希望的観測というか、
さすが知事選の公約を、ただの一つも実現できていない、実現しようとしている形跡もない人が代表なのですから、
“らしい”と言えば “らしい”のですが…。

こんな調子のいい公約を見て、なるほど、希望の党に期待しよう!なんて思える人がいるのでしょうか?
いたらいたで恐ろしい…。


さて今回、小池氏は、『ユリノミクス』という造語で、『アベノミクス』に対抗するようですが、

転載元:http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/05/yurinomics_a_23234462/

実はこの『ユリノミクス』、英語の単語として存在しています。
その意味はというと…。





いくらなんでも、これはちょっとまずいんじゃないでしょうか?


それに、経済のことを言う前にまず、トンデモな銭ゲバっぷりをさらけ出しているご自分と党のことを、きちんと説明すべきだと思います。

つい、こう思ってしまう
【まんがイラスト ぼうごなつこのページ】
http://bogonatsuko.blog45.fc2.com/blog-entry-1488.html




銭ゲバ・希望の党が候補者に、党への上納金500万円を要求!
民進党の政党交付金も自分たちのものに

【LITERA】2017年10月3日
http://lite-ra.com/2017/10/post-3487.html

小池百合子・希望の党代表が、公認候補予定者との“ツーショット写真”に、3万円を徴収したことが波紋を広げている。
政党の代表が候補者と写真を撮るのに、お金をせびるなんて聞いたことがないが、報道によれば、この異例の“撮影会”には、現金を握りしめた候補予定者が列をなしていたという。
まるでアイドルの「チェキ商法」みたいではないか。
 
もっとも、小池氏と希望の党の“銭ゲバ”ぶりは、アイドル商法とは段違いだ。
当初から、民進党議員の“引き抜き”は、金庫のカネ目当てだと指摘されてきたが、ここにきて極めてエゲツないカネ集めの実態が、次々露呈している。
 
たとえば、しんぶん赤旗9月30日付の記事によれば、
小池代表は、民進党を離党して希望の党の公認を希望する前議員に対し、公認申請料として300万円、それ以外に党への寄付金200万円の計500万円を振り込むよう求めていたという。

また、日本経済新聞(10月2日付)は、
1日に開かれた都内での候補予定者向けの会合で、側近の若狭勝氏が、「皆さんは公認内定者だが、今後の調整次第で内定取り消しもある」と述べ、
小選挙区と比例代表の重複立候補を望む新人に対し、供託金や党への寄付金など計700万円をすぐに用意するよう要求し、出席者からは困惑の声があがった〉と報じている。
 
つまり「公認をもらいたければカネを出せ」ということらしいが、立候補に必要な供託金や、選挙活動のための資金を自前で賄えというだけでなく、党への寄付金まで要求するとは、もはやヤクザの“みかじめ料”さながらである。
 
しかも、公認希望者がウン百万円もの大金を支払う意思を見せ、公認内定を水面下でもらっていても、本当に希望の党から出馬できるのかわからないというような、驚くべき状況すら起きているらしい。

毎日新聞9月30日付記事がある〈西日本の小選挙区で希望の党からの出馬を目指す男性〉のエピソードを報じている。
 
記事によると、この出馬希望者の男性は、9月16日に、若狭氏が主催する「日本ファーストの会」の政治塾・輝照塾に参加し、そのわずか3日後に電話で若狭氏から出馬を打診された
そのとき男性は、「供託金と新党事務費の計700万円を用意できるか」と聞かれたが、「全力でやります」と即答
その後、若狭氏からの連絡で「あなたが希望する選挙区で決まった。準備を始めてほしい」と告げられたという。
 
衆院選小選挙区の供託金は300万円だから、400万円が新党事務費、つまり、希望の党への“上納金”ということだ。


◾️希望の党が候補者に要求している上納金は400万円〜500万円

ところが、小池氏が希望の党の旗揚げを表明した9月25日の翌日ごろから突然、男性は若狭氏と連絡がとれなくなったというのだ。
 
すでに、この男性は、事務所スタッフや選挙カーの確保、のぼりなどの選挙用の備品も調達していたというが、
例の「供託金と新党事務費の計700万」のための振込用請求書すら届かない
そして、9月29日になってようやく、若狭氏から携帯電話に届いたメールには、無慈悲にも、公認について「調整中です」との文言が書かれていたという。
 
もし、この男性が希望の党から出馬できなければ、“公認するする詐欺”とでも呼ぶ他ないだろう。
いや、それ以前に、そもそも公認をちらつかせながら、「寄付金」や「公認申請料」、あるいは「新党事務費」等の名目で大金をふんだくるなんて、そんなあこぎなやり方が許されるのだろうか?
 
もともと、国政政党は、候補者の囲い込みの意味もあって、政党の金から供託金や選挙資金などを「公認料」などと称して候補者に与えることが多いが、もちろん「公認をカネで売る」というようなことはないわけではない。
たとえば、2012年衆院選の際の日本維新の会(大阪維新の会の国政進出)の場合、基本的に供託金と選挙資金は候補者の自己負担、ほか「広報費」名目で候補者から党が100万円を徴収していた。
だがそれでも、今回の希望の党のように、「寄付金」や「公認申請料」として500万円もの大金をせびるというのは、かなり特殊なケースと言っていいだろう。
 
希望の党は公認候補者について、表向きは「政策や理念で一致できる人」などと言っているが、結局、金を持っている人間しか立候補させないということだ。
 
これは、民進党との合流についても、まったく同じことがいえる。
 
小池代表は、9月29日の会見で、
「(民進党の)お金欲しさに(合流した)うんぬんと批判される方、それは全くの間違いでございます。今回、しがらみのない政治をやっていくためには、お金のしがらみからつくってはいけません」とうそぶいていたが、よく言えたものだ。
薄汚いほどの“カネ目当て”は、誰の目にも明らかだろう。
 
前述したとおり、民進党が持っている約150億円とも言われる、巨額の資産が目当てなのは間違いない。
実際、民進党はこれまで、候補者に「公認料」を渡してきたが、今回も、希望の党への合流組には、2日までに一人頭約2000万円の金が配られているという。
そして、読売新聞の報道によれば、民進からの希望合流組の人数は約130人。
ざっくり見積もって、30億円近くと思われる莫大なカネが、事実上、民進党の金庫から希望の党のフトコロに入るわけだ。


◾️政策協定書に「党の支持する金額を提供しろ」の文字が

しかも問題なのは、その民進党の金庫に収まっている金の多くが、政党交付金ということだろう。
政党交付金は、所属国会議員の人数などに応じて、国庫から支出されるもので、いわずもがな原資は国民の血税だ。
つまり、民進党には、16年度に約93億円、17年度もすでに半分の約44億円が交付されているが、そのほとんどが、民進党の合流というかたちで、希望の党に移されることになるのである。
 
総務省によれば、政党交付金の交付を受けた政党は、解散などによって政治団体でなくなった場合、総務大臣によって、その残額の国庫返還が命じられる(事実上の返還義務)。
逆に言えば、今回の総選挙にあたって、民進党を解党せずに、「民進党所属のまま希望の党の公認を得る」という奇天烈な形式にしたのは、希望の党が民進党の政党交付金を“略奪”するために他ならないのだ。
 
資金調達能力の有無で公認候補者を選別し、他党の政党交付金を抜け道的なやり口でまんまと手中に収める──結局のところ、こうした希望の党の“銭ゲバ”体質が意味するのは、
重要なのは、とにかくカネをかき集められるかどうかで、候補の政治家としての能力など二の次ということだ。
これがいま、メディアで注目を集めている、小池新党の偽らざるレベルなのである。
 
しかも、どうやら希望の党は、民進党からの合流希望者には、いま報じられているような500万円や700万円どころではなく、“言い値でカネを持ってくること”という条件までつけるらしい。

2日付の読売新聞が、合流組に署名をさせる「政策協定書」の、最終案の全文を報じている。

〈私は、希望の党の公認を受けて衆院選に立候補するに当たり、以下を順守すること、当選した場合には希望の党の所属する会派に所属して国会活動を行うこと、希望の党党員として政治活動を行うことを誓います〉
 
こう始まる「政策協定書」最終案には、順守すべきことのひとつとして、
〈本選挙に当たり、党の指示する金額を党に提供すること〉とある。

ようするに、希望の党が、「お前は10億円を貢げ」と言えば、合流希望者はその金額を差し出さねばならないのだ。
悪徳闇金融も真っ青な話だが、だいたい“言い値でカネを持ってくること”なんて、「政策」でもなんでもないだろう。
頭のネジがぶっ飛んでいるとしか言いようがない。


◾️政策協定書に「改憲」はあるのに「原発ゼロ」はなかった

しかも、読売が報じた「政策協定書」最終案には、他にもトンデモなことばかり書かれていた。
項目は全部で8つあるのだが、そのなかには、
〈限定的な集団的自衛権の行使を含め安全保障法制を基本的に容認し、現実的な安全保障政策を支持すること〉
〈憲法改正を支持すること〉など、リベラル派根絶のための“踏み絵”はもちろん、
さらには
〈外国人に対する地方参政権の付与については反対すること〉なるものまで含まれていた。
小池代表の本質たる極右排外主義が、にじみ出ていると評さざるをえない。
 
希望の党はそのあと、内容をややソフトに書き換えたものに差し替えたが、それでも本質は何も変わらない。
そして、もうひとつ注目すべきなのは、この「政策協定書」最終案でも、変更後のものにも、「原発ゼロ」が一文字も存在しないことだ。

小池代表は、希望の党の結党表明時に、「原発ゼロ」を目玉公約として打ち出し、安倍自民党との差別化をはかったが、
それからわずか一週間で、脱原発に本気で取り組む気などまったくないことを、さらけ出したわけである。
 
本サイトはもともと、希望の党が「原発ゼロ」をぶち上げたときから、小池氏がこれまで脱原発的スタンスをとったことが一度もなかったことや、
ましてや、過去の雑誌での対談のなかで、“東京への核ミサイル配備”まで賛意を示していたことなどを根拠に、「選挙のためだけのインチキだ」と指摘してきたが、
それにしても、こんな一瞬で本音が露見するとは驚きである。
 
しかし、これではっきりしただろう。
いずれにせよ、小池代表率いる希望の党の頭のなかは、どうやってカネを集めるかばかりで、
文字通りの“「原発ゼロ」白紙化”に象徴されるように、改憲や安保など、安倍自民党と瓜ふたつの政策の他は、たんなる選挙対策のハリボテにすぎないということだ。

「反安倍で野党の一本化」などという夢を見ている人は、たいがい目を醒ましたほうがいい。
安倍と小池という、独裁者気質のポピュリストによる“極右二大政党制”が誕生した暁に、この国がどこへ向かうのか。
現実的に考えるべきである。
(編集部)

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満月の夜の小確幸

2017年10月05日 | ひとりごと


トマトと紫豆のジャングルとかしてきた我が家の菜園。




細長のケールも巨大化に励んでいる。


一体いつになったら蕾ができてくるんだろうと思いながら待ってたら、いつの間にか背丈が1メートル以上にもなっちゃって…、
つい最近までほとんど諦めてたのに、やっとてっぺんにちっちゃな蕾を発見!
うわ、やっとできた!よっしゃ〜!と思ったけれど、もうちょっとおっきくなるまで待ってみよう、などと欲が出て、

あっという間にこんなことになってしまった…。


でもでも、めげてる場合ではない!
ビタミンA、B群、CにE、それから葉酸とカリウムという、すごい栄養素いっぱいの茎が食べ放題!


それにしても、今年の秋はとても変。
いつまでも蒸し暑い日が続いたと思ったら、いきなりコトンと気温が下がって、昨日までは湯たんぽを入れて寝てたのに、
今朝起きたらまたまた蒸し暑くて、明日から木曜日ぐらいまでは、雨が降ったり止んだりの暑い日が続くらしい。
こんなだから、紅葉の美しい季節だというのに、赤くならないまま茶色くなった葉っぱが、道にたくさん落ちている。

でもまあ、オレンジのかぼちゃはいつも通りに、町のあちこちで見かけるようになった。





さて今夜は、マンハッタンのチェルシーにある『MORIMOTO』で晩ご飯!
といっても、まさかうちの懐事情を考えると、こんなところで夕飯なんてとてもとても…。
夫の両親が、次男くんとわたしに起こったある事のお祝いのためにご馳走してくれるというので、仕事を早々に終え、電車に飛び乗ってマンハッタンに向かった。

地下鉄から地上に上がると、


チェルシーマーケットのいっちゃん好きなお店が見えてきた!


え?『MORIMOTO』はその隣だったのか…。


『MORIMOTO』というのは、知る人ぞ知る、料理の鉄人森本正治さんのお店。
自分たちには全く縁の無い場所だから、どこにあるのかも全く知らなかった。

お店の中が薄暗かったので、みんな暗〜い写真になっちゃったけど。

冷やし蕎麦の上に、湯葉と海苔となんだったっけな、何かを挟んだのを素揚げしたのを乗っけてある。


きゅうりとシソの葉を和えた酢の物、ピリ辛のソース、それとヨーグルトソースが、チキンカツにすごく合う。


次男くんは奢ってもらう側なのに、堂々とこんなものをオーダーする。


遠慮と恐れを知らない核ゲー&サラリーマンの次男くん。




お腹はもう食べんでくれ〜と悲鳴を上げていたが、こんなチャンスを逃すわけにはいかず、


2種類のチーズケーキなるものを5人で分けんこした。




生豆腐という名前のこの豆腐チーズケーキ、見た目は冷奴なんだけど、食べてびっくり、あっさりしてるけど味わい深いチーズケーキだった。
黒ごまペースト、紫蘇、黒蜜、アーモンドに生姜、もう何でも入れてやれ!みたいなのに、見事に調和している。

満月の夜の小確幸をしみじみと味わいながら、今夜のためにわざわざペンシルバニアからやって来てくれた両親と別れ、帰りの電車に間に合うよう地下鉄に飛び乗った。
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立憲主義ってなに?それは「国家権力が、私たちの権利や自由を侵害しないよう憲法で縛るシステム」です!

2017年10月04日 | 日本とわたし
10月3日有楽町前にて、立憲民主党・枝野代表が行なった演説より
































『立憲民主党』

この『立憲』という言葉を誤解して、デマを振りまいている人が少なからずいます。
立憲について、とてもわかりやすく説明してくださっている記事と、ぼうごなつこさんのまんがイラストを紹介させていただきます。

『まんがイラスト ぼうごなつこのページ』より
http://bogonatsuko.blog45.fc2.com


立憲主義とは(復習)
http://bogonatsuko.blog45.fc2.com/blog-entry-1487.html




小学生でもわかる憲法入門
http://bogonatsuko.blog45.fc2.com/blog-entry-1285.html



↓2年半前の記事ですが、こういう無知で無恥な権力者を縛り、無謀なことをさせないために憲法があるのですね。

首相、立憲主義を否定 解釈改憲「最高責任者は私」
【東京新聞】2014年2月13日
http://megalodon.jp/2014-0213-1258-47/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014021302000135.html

安倍晋三首相は12日の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更をめぐり、
「(政府の)最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と述べた。

憲法解釈に関する政府見解は、整合性が求められ、歴代内閣は、内閣法制局の議論の積み重ねを尊重してきた。
首相の発言は、それを覆して、自ら解釈改憲を進める考えを示したものだ。
首相主導で解釈改憲に踏み切れば、国民の自由や権利を守るため、政府を縛る憲法の立憲主義の否定になる。 
 
首相は、集団的自衛権の行使容認に向けて検討を進めている、政府の有識者会議について、
「(内閣法制局の議論の)積み上げのままで行くなら、そもそも会議を作る必要はない」と指摘した。

ー後略ー
 

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民主主義と立憲主義のはなし
【仙台市泉区のあやめ法律事務所】
http://www.ayame-law.jp/article/14288064.html

(文字の強調、色付けは、ブログ主であるわたしがしました)

ダイジェスト版「立憲主義って何?」
「立憲主義」って何でしょう?

ひと言でいえば、権力の行使を憲法で縛る、コントロールすることです。

権力行使の主体は、国家です。
つまり、立憲主義とは、国家権力を憲法で縛るシステムのことです。
日本国憲法は、「立憲主義」をとっています

では、なぜ「立憲主義」がとられているのでしょう。

それは、一人ひとりが個人として、人として尊重されるという「個人の尊重」をまもるためです。
個人の基本的人権が保障され、個人の権利自由が侵害されないために、です。

侵害するって、いったい誰が侵害するというのでしょう。
これは、国家、権力なのです。

ここはピンとこないかも知れませんね。
国家は、いろいろと国民のために、何かをしてくれるものではないの?
国、行政には、もっといろいろと「やってほしい」。

そのとおり、普段は、国、行政は、いろいろとやってくれるありがたい存在です。
でも、強い力、国民を強制できる力をもつ、時に怖い存在です。

税金を取られたくなくても、国が決めた税金は、強制的に取られてしまいますし、犯罪を犯したとされれば、刑務所に強制的に入れられますし、時に命までとられます。

権力には、強い力があるから、好き勝手に行使されてしまうとたまったものではないですよね。
憲法は、国民の権利自由を保障するために、国家に対して、「国民の○○の自由を侵害してはならない」という書き方を基本にしています


「立憲主義」は、なぜ必要なのでしょう?
 
国家、権力によって、国家のためだとして、個人の基本的人権が侵害された歴史がありました。
権力によって、一人ひとりのことよりも国家、団体、公が重視されて、個人の権利自由が侵害されてきた過去がありました。
特に、戦争というのは、究極的に、個人よりも国家を優先させ、個人を、一人ひとりの人ではなく、国家のための「道具」としてみなしがちです。

ここで、民主主義国家、国民から選挙で、選ばれた人たちなら、権力の行使も適正に行われて、暴走することはないのでは?と思われるかも知れません。

いやいや、民主主義国家であっても、憲法の縛りがなければ、間違った方向に行くこともありうるのです。
逆に、国民から選ばれたんだと、謙虚さを忘れて、自分がやることは正しいのだと強気になってしまうかも知れない分、かえってやっかいです。

権力を持つものは、自らが誤りであることに気がつきづらいものです。
正しいと思っている。自信があります。
正しいと思っているので、反対する人たちの声に耳を傾けることなく、「妨害する人たち」として排除したくなるでしょう。
多数者から選ばれた人たちからなるために、少数者の人のことがわからないこともあるのです。
そして、権力を行使するのは神様ではなく人なのですから、間違ってしまうこともあります。

間違っても、大切な基本的人権の保障を侵害しないように、国家が守るべき約束を定めて、約束を破れば、国民がコントロールできるようにしているのが「憲法」です。

つまり、国家に権力を与えた国民が、権力行使を適正に行われるようにするため、国家をコントロールためのものが「憲法」なのです。
国家は、憲法に違反するような権力行使、すなわち、個人の基本的人権を侵害することはできないという縛りをうけています

逆にいえば、国民は、「憲法」を持っているのだから、国家が権力を濫用している場合、濫用しそうな場合に、しっかり国家を「憲法」をもとに、コントロールできるし、しなければならない、ということになるのですね。
「立憲主義」というのは、個人を尊重するために、一人ひとりを人として大切にするための、よくできたシステムだなあと思います。

ー中略ー

第3 憲法は、国家を縛る、コントロールする-立憲主義のはなし1-

前回まで「民主主義のはなし」をお伝えしてきました。
一人の人や特定の団体が権力を握って、物事を決めるのではなくて、みんなでよく話し合って決めた方がいいということだったね。

何のためにいいのか、それは、個人の幸せにとっていいという意味だ。

ところで、権力って何だろう?
権力って何のためにあるのだろう?

これは、ルールやきまり、法律が何のためにあるのかとつながっている。

ルールやきまり、法律は、何のためにあったのかな?
例えば、前に話した刑法で、人の物を盗んだら懲役10年以下の刑に処するという規定は、何のためにあったのでしょうか?

一人一人の安全を守り、安心してくらせるようにということだったね。
個人の幸せにつながることだね。

ルールやきまり、法律を、強制的に守らせる力、それが「権力」ということになる。
人の物を盗まないように、盗んだ人を裁判にかけて、法律に規定した処罰をあたえる。

盗んだ本人が、「そんなの嫌だ!刑務所なんか行きたくない!」と叫んでも、権力は、無理矢理逮捕し、裁判にかけ、刑務所に入れたりする。

他にも、自分は、税金を払いたくないと思っていても、法律上税金を払う義務がある場合には、法律の定めに従って、権力は、税金を強制的にとっていく。

そういった強制的にする力があるからこそ、一人ひとりの安全を守ったり、必要な道路や学校や病院をつくったりすることができるわけです。

もし、強制力がなければ、法律には「人の物を盗むのはいけない」と書いていても、盗んだ人を処罰することはできなくて、やはり盗むことが多い世界になるでしょう。

頑張って働いてお金をためて、欲しい物をようやく買ったのに、それが盗まれるなんて嫌だよね。
がっくりするよね。
人は弱いものだから、じゃあ別の人の物を盗ってやろうか、自分も盗られたんだしと、そんな風に思うかもしれない。

もし、税金が強制的にとれなかったら、多くの人は、できれば自分の税金はあまり払いたくないと思うだろうから、
必要な税収が確保できず、学校や病院、道路といった公共の施設をつくる費用や、警察官や消防士、役所で働く人々(公務員)の給料も払えなくなって、
学校や病院、必要な道路もつくれず、安全が確保できなかったり、大変不便な生活を強いられることになるだろう。

だから、国家に対して、権力が与えられている。
国家は権力を持っている。
時に、強制的に国民に何かをさせたり、禁止したりする力があるんだ。
国家が、国民を強制的に従わせる力を、「公権力」という。

とても強い、そして特別な力が、国家にはあるんだね。

社会の秩序を確保すること、他の人を害することや迷惑になることをやめさせること、
国が国民に対して、必要なサービスを実施するために必要なお金を確保するために、税金をとること、
それは必要で、とても大切なことなんだ。

でも、公権力の使い方が間違っていたり、度が過ぎていたらどうだろう。

権力を実際につかうのは、神様ではなくて、ロボットでもなくて、個々の生身の人間だ。
総理大臣も、国会議員も、警察官も、消防士さんも、裁判官も、税務署の職員さんも人間だね。

時に間違ったり、度が過ぎたりしてしまうことってあるかもしれない。
人間なのだから、どうしても間違うことはある。
完璧な人間なんていないし、そしてその人自身、社会生活を送り、感情を持つ人だから、どうしても間違ってしまうことはある。

強力な力を持つ人が、間違っていたり、度が過ぎていたら、どんなことになるだろう。

強い力だから、間違ったりすると、とても怖いことになる。

警察が、きちんと犯罪を犯した人を捕まえてくれるから、国民は安心して暮らせる。

でも、警察官が間違って逮捕して、検察官も間違って起訴して(裁判にかけて)、裁判官も間違って有罪判決をかけば、その人は、本当は何も悪いことはしていないのに、強制的に刑務所に入れられることもあるんだ。
怖いことですが、実際に、これまでそんなことが、あったんだよ(これをえん罪といいます)。

そして権力には、その強大な力に加え、独特な性質があると思う。

まず、権力をもつ人は、自分のやっていることをあれこれ批判されるのは、苦手だ。
自分のやっていることは「正義のため」で、間違いはないと思いがちになる。

できれば、批判されたくない。
国民には、自分のやっていることに素直に従順に従って欲しい、と考える傾向にある
そして、ときには、批判する人を排除したくなってしまう

「国の政治を批判してはならない、批判した者は処罰する」

こんな法律ってどう思う?
おかしいよね。

きっと、冷静なときには、多くの人がおかしいと思うだろう。
でも、実際、過去には、これと同じような法律があったんだ。
ナチスドイツ・ヒトラーもそうだし、かつて戦争につきすすんだ日本でも、そんな時代があったんだ。
今現在でも、世界には同じような法律があり、国民が、国の政治を自由に批判することができない国もある。

権力が暴走してしまって、独裁政治になっている国では、言論の自由が否定されます。

そして権力は、大きくなろう、強くなろうという性質がある。
国民を支配・コントールする力をもっとつけよう、という傾向がある
織田信長もチンギス・ハンも、領土を拡大しようとした。
強くなろうとした。
国内では権力者に都合のいい法律をつくって、国民を統制しようとしがちだ。

また権力は、一定の思想や道徳と結びつき、それを国民に強制する傾向がある
そして、異質の考えや少数派の思想を、排除しがちになる。
権力にとって、異質の考え方の人がいると統治しにくくなるから、みんな同じ考え方の方が望ましいんだ。

それから、人が権力の場に長くとどまっていると、権力者自身の権力保持や拡大に向かって、国民個人の権利自由をないがしろになりがちだ。
そして、国あっての個人なんだ、安全が守られるには個人は我慢しなければならないとかといって、
国(権力を持つ者)や公を強調し、個人は犠牲になることをいいがちになる


そして、権力は、間違ったとしても、間違いを認めません。認めたがりません
何か間違ったとき行き過ぎたときに、それを認め、反省して、自分の力で修正するということは、なかなか難しいことなんだ。
別の第三者からのチェックは、どうしても必要だ。

キミ達が学校でならった権力分立、三権分立は、
権力を立法権、行政権、司法権と分散させて、相互に抑制と均衡、チェックアンドバランスを図ることで、権力が暴走して、個人の権利自由を侵害しないようにした仕組みなんだ。

歴史を眺めてみて、そして弁護士になってからの先生の刑事弁護等の体験からすると、権力にはどうしてもそのような傾向、性質が本来的にあるような気がする。

国家(=権力)は、一人ひとりの国民にとって、大切なもの、必要なものだけど、
歴史から導かれる本来的な性質から、時に暴走し、間違いを起こし、そしてそうなってしまうと強大な力があるがために、取り返しのつかない痛みを国民にもたらすことになる。

そしてかつて、国家(=権力)は暴走していまい、権力にとって気に入らない人を排除し、ひいては戦争につきすすみ、多くの人が大切な命、自由、財産を失うことになった

人々は、二度とこんな悲しい目にあいたくないと思った。

二度とこんなことにならないようにしたいと思った。

そんなことにならないように、憲法を定め、国家(=権力)に縛り(しばり)をかけています。
権力が、暴走して、国民の権利自由を踏みにじることがないよう、権力を分解し、国民がコントールできる仕組みをつくった

憲法は、「国家(=権力)を縛るもの」

おそらくキミにとっては、初めて聞く言葉だと思う。

あれ?憲法って、法律で一番えらくて、国民が守るべきこと、道徳みたいな、何か大雑把なことが書かれているんじゃないの?

そう思っていなかったかな?
いやいや、実は私自身、大学で憲法を学ぶ前は、そう思っていたんだ。
それまで、日本国憲法の三原則は何?の穴埋め問題や、三権分立がどうのこうのとはか知っていましたが・・・。

でも、憲法は、国民を縛ったり、ある行動を要求したりするのではなく、国家(=権力)を縛るものということが、実は憲法を理解する上での大切なポイントなんだよ!

時に間違え、行き過ぎてしまう国家(=権力)におまかせにするのではなく、放っておくのではなく、権力に縛りをかけること、国民がコントロールできるようにしておくことが、憲法の本質なんだ。

私は、憲法は、国民の権利自由を確保するために、国家(=権力)を縛る、制限する、コントールするものだということをはじめて知って、「え?そうなの?」と驚きました。

憲法って、国に国民の大切な自由や権利を守るよう、国家に向けられたもの。国家に守らせようとするものなのか!と。

そして、この憲法の意味を知って、日本国憲法を眺めてみると、
憲法というのは、権力の怖さ、個人の尊厳を踏みにじってしまった過去の失敗に、ほとほと懲りまくり、深く学び、それを理性でくい止めようとする世界や日本の人々の「苦心」や「決意」が見えてきて、感動した。

この憲法で国家を縛るという考え方を、「立憲主義」(りっけんしゅぎ)という

ちょっと堅苦しそうなとっつきにくそうな言葉だけど、民主主義と並んでとても大切な考え方なんだ。
では立憲主義は、前に話した民主主義と、どのような関係にたつのだろうか?

憲法の条文で、立憲主義の考え方は、どのように反映されているだろうか?


第4 民主主義と立憲主義-多数決できめていいこと、いけないこと

文字数制限があるため、この部分は割愛させていただきました。
具体的で簡潔な説明が書かれていますので、ぜひ本文をお読みください!
http://www.ayame-law.jp/article/14288064.html


第5 民主主義と立憲主義2-表現の自由がない世界

前回、クラス会を題材にして、多数決で決めていけないこともあるんだよ、という話をした。

では、スケールを大きくして、国の場合、国会の場合はどうだろう。
国会では、法律は国会議員の多数決によって決められているが、多数決で決めるのなら、どんな法律であっても定めてもいいのだろうか

例えば、こんな法律はどうだろう?

「国の政治を批判した人は刑務所に入れる」

こんな法律を、みんなによって選ばれた代表者(国会議員)が、多数決で決めてよいのだろうか、多数決でも決めてはいけないことだろうか?

国会議員は、国民の選挙で選ばれた代表者ですから、その人達が、話し合って多数決で決めることなら、それが国民の意思じゃないの、国民の多数にそうものだから、何でも法律で決めていいんじゃないの?

そう思う人もいるかも知れないね。

王様や将軍のような特定の人が、勝手に決めた法律は問題だけど、国民の選挙によって選ばれた人なら、自分たちが選んだ人が、話し合って多数決で決める以上は、問題ないんじゃないの「正しい」んじゃないの。それが民主主義というものなんじゃないの?

総理大臣や、政府の人が
「私達の政権運営を批判する人がいる。
私達がやっている政治は、国民のためにやっているのに、正しいのに、それを邪魔するのはけしからん。
私達の政治を批判する人は、国家・国民の利益を損なう人でもあるから、処罰して、批判させないようにしよう。
そうすれば、正しく美しい政治が円滑にすすむ」


だなんて考えて、こんな法律を国会で作ろうとしています。
国会では、総理大臣の政治に賛同し、「総理の考える政治の流れを止めていけない」「反対派は、邪魔者だ」「政治を批判するような少数派は、つべこべ言わず、政府の考えに従っていればいいのだ」と考えている国会議員が多数でした

多数決でどんな法律も決められるのなら、こんな法案も成立してしまうかも知れませんね。

どうだろう?こんな法律をつくってもいいのかな?

まずいよね。困るよね。

国の政治をおかしいなと思っても、批判することができなくなる。
表現することの自由が奪われることになる。
怖くて言いたいことが言えなくなる。
監視の目を気にして、冗談も言えなくなってしまう


「表現の自由」は、憲法の世界では、とても重要な自由、大切な基本的人権とされている

政治を批判することができない、政治を批判的に論じることができない世界って、どんな世界だろう。
国家がやることに批判ができず、従順に従い、褒め称えるしかない世界ってどんな世界だろう。

「それって、おかしいんじゃない?」って声を出すことができない世界。
「私は、政府のやり方より、こうした方がいい」と言えない世界。
一体どんな世界なんでしょう。
人々はどんな暮らしをしているのでしょう。

少し想像力を働かせてみましょう。

表現の自由のない世界って、どんな世界なんだろう?

テレビや新聞は、国の政治をほめたたえる報道しかしません。
政治や権力にとって不都合な事実は報道しません。
国会議員や公務員の不祥事なんて、明るみにでません。


だから、国民は、生活は苦しくても、不自由な暮らしを送っても、国の政治に問題があるとは思わない
もし思っていても、国の政治に問題があるなんて言えない

学校の先生も、国の政治は素晴らしいと、子どもたちに教育する(そういう人しか学校の先生になれませんし、学校にいられません)。

暮らしに不満があっても、それは自分とは違う考え方の人たちのせい、どこかの国のせいだと思うかも知れません。

一見、統一化、画一化かされ、統制がととのった見た目はきれいな感じになるかも知れないね。
見た目は美しい。
一致団結。
統制のとれた集団。
そこでは、多様性は否定される。
異質なものは排除される。
少数者の利益は無視される。

そんな流れになってきそうだ。

画一化された人々は、国家からの情報をもとに、国家を中心に、きれいにまとまっていくことだろう。
実は、一人ひとりの幸せや良心は置き去りにされたことに、気がつかないままに・・・。

自分で自分の幸せを追求することの感覚がマヒしていく。
「これが国民の幸せなんだから、こうしなさい」と、幸せを国が教えてくれるから、「そうなのかなあ」って思い込むことだろう。

画一化され、多様性が否定され、ベクトルの方向が一つにまとまった時、その方向へ、ぐんぐん進んでいく。
加速していく。
暴走していく。

国民の多くも、気分は盛り上がってくるだろう。
「正義は我らにあり!」とか、「平和のために、敵をやっつけよう!」なんて、勇ましい気分になってくるだろう。

国家(=権力)も、自由にものが言えない世界で、つくりあげられた国民の多数=世論に乗っかって、どんどん加速していく。

こうして、国家(=権力)が暴走してしまっても、誰も止めることはできないだろう。
暴走してしまっている時に、内心で、「あれ、ちょっとこれは違うんじゃないかな」「一体何のために、私達は、人を傷つけ、人から傷つけられたりしているのかな」と疑問に思っても、止められいだろう。


国民が、政治の批判も含めて、言いたいことを言える自由がなかったとしたら、とても怖い世界になりそうだね。

実際、戦争につきすすんだ昔の日本では、これと似たような法律があって、国の政治を批判した人達が捕まり、批判することがおさえつけらたんだ。

また、独裁国家では、これとにたような法律がある。
権力を掌握し、権力を維持、拡大する者にとっては、国民の「政治を批判すること」こそ苦々しいものはないからね。
従順にロボットのように従ってくれる国民こそ、「よい国民」だろう。

権力をもつ者は、その性質上、批判されるのが苦手なんだ。
できれば批判されたくない。
そんな世界では、一人ひとりの幸せは、大切にされない
多くの人と違うこと、多くの人の考えと違うことは、嫌がられる。「そんなのわがままだ。」と一蹴されそうだ。

みんなと同じ考え、みんなと同じ価値観、みんなと同じ好み、そうなるよう圧力がかかってくる
そしてみんな=国の考えとなっていく。

自分の幸せは自分で決め、求めていく。
自分のなりたい人になる。
好きなことを仕事にする。
やりたいことをやる。
そして、自分の良心に従って生きる。

そんなことは夢物語になるのかも知れないね。

かつて、言いたいことがいえないことがあり、それで戦争につきすすんでしまった、戦争で多くの人々が悲惨な目にあったことをふまえて、日本国憲法は「表現の自由」を大切な人権として、定めた

憲法第21条
集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。


先に、国家(=権力)はとても大切なものであるが、間違ったり、暴走して、国民個人の自由や権利を侵害してしまうものなので、憲法で、国家=権力を縛る、コントロールするという話をした。

国家(=権力)を縛るという意味で、表現の自由は、とても重要な意味をもっているんだ。

国の政治や、総理や国会議員の発言について、ありのままに報道し、国民に情報を与えること。
そして、国民が国の政治について意見を言い、「これはまずい」「こうした方がいい」と言えること。
こうしてはじめて、国民が、国家=権力をコントロールすることが可能になってくる

国家からの一方通行ではなく、国家と国民の双方通行が成り立つ。

国家(=権力)の間違いや行き過ぎに、ブレーキをかけることが可能になってくるんだ。

そして、表現の自由は、民主主義を支える自由として大切なんだ。

みんなが言いたいことが言える、批判したりできることで、話し合いの場で、いろいろな意見がでてくる。
多数派の人だけでなく、少数派の人も、どうしてそう考えるのか、自分の意見を言うことができる。
少数派の人の意見を聞くことで、多数派の人の意見も変わるかもしれない。
また、少数派の人の意見をふまえた、ルールを作ることができるかもしれない。

言いたいことを言える自由、表現の自由があってこそ、「みんなのことは、みんなで話し合って決める」という民主主義が実現される。

みんなが自由に意見が言えない状況で、安易に多数決で決めるというのでは、本当の民主主義は実現されない

表現の自由は、こんなにも大切な人権だから、憲法は、国家(=権力)に対して「これは、大切な人権だから、侵害してはダメですよ。守りなさいよ。」と縛りをかけているんだ。

憲法は、
「あなた(国家=権力)は、放っておくと、すぐ人々の表現の自由を制約しがちで、実際にも昔、言論を抑圧して、人々がとんでもない目になったことがあるでしょ。だから特に気をつけなさいよ!」と、国家に、この表現の自由を「侵害しちゃダメだよ!」と縛りをかけて
いるんだね。

国家は、法律を作るときに、国民の表現の自由を侵害する法律を作ることは、許されない。
もし間違ってそんな作ってしまっても、「無効」とすると憲法は、国家を縛っている。


それは、国民一人ひとりの表現の自由を守るために
そして、国民一人ひとりの存在を大切にするために

ですから、「国の政治を批判した人は刑務所に入れる」というような法律を、国会で作ってはいけません。
憲法に違反することになります。



第6 民主主義と立憲主義3-どちらも個人の尊厳をまもるために

法律は、国民から選挙で選ばれた国会議員によって、議論され、多数決によってきまるもので、民主的な基盤がそこにある。

そんな民主的な基盤があっても、民主主義にそっていても、
「国の政治を批判した人を刑務所に入れる」というような、表現の自由を侵害するような法律は決めてはいけない、多数決でも決められない
ということだった。

憲法は、この「表現の自由は大切なものだから、国家は制限してはいけないよ!」と、国家に縛りをかけているんだね。

国家に縛りをかけるという考え方を立憲主義といいますが、国民の代表者からなる国会で、多数決で決められないこともあるということは、立憲主義が民主主義を制限しているという関係に立つといえそうだ。

民主主義の目的は、国民一人ひとりを大切にするために、みんなの意見を反映させるということでしたが、
いろいろな人がいて、どうしても多数派と少数派と別れてしまうこともありえます。

そして、多数決の場面で、多数派の意思にもとづいて、国家や団体の意思決定がなされることになります。

そんな時、特定の少数の人に、一方的な不利益を与えてしまうかも知れません。
負担を押しつけてしまうかも知れません。

多数派の人は、往々にして、少数派の気持ちは分からないものです。

そして、気持ちが分からないまま、多数決によって、少数者の人の大切な自由を奪ってしまうかも知れません。

ナチスドイツのヒトラーって知っているかな。
ユダヤ人の大虐殺とか、他国の侵略をした独裁者だね。

ヒトラーは、突然独裁者になったわけではなく、国民の大多数の指示を受けて、権力者の地位につき、その政策を推し進めました
民主主義にのっかっていたわけなんだ。

でも、あのように、自国民も他国の人にも、大きな犠牲がでる結果となった

民主主義は絶対ではない
それだけでは間違ってしまうこともある
そして、間違ってしまったとき、大変悲惨な結果も起こりうる。

そんなことがないように、憲法は、多数決でも奪ってはいけない人権のリストをかかげた
表現の自由、信教の自由等の人権は、人が人として生きていくのに大切なものだから、多数決=法律でも、侵害することを決めてはいけないことにした
民主主義に制限をかけた

憲法は、民主的な基盤をもつ国家(=権力)に対しても、「この権利、自由は、人権、つまり人が人として生きていくために大切なものだから、侵害しないように注意せよ」と縛りをかけているのだね。

そうすることによって、時に、多数決によって侵害されることもある個人、特に少数者の人権を守ろうとしている

キミは、「民主主義」って聞くと、正しいもの、いいもの、間違いないものって感じがしないかな?

「民意」とか「世論」というのはどうだろう?
それには当然従わなくちゃいけないって感じにならないかな?

でも、与えられた情報とか、なんとなくといったムードとかで、「あの国(あの団体)感じ悪い、怖い、気に入らない」といったような雰囲気が生まれ、多数意見が形成される可能性は否定できないだろう。

そして、ナチスドイツや、戦争につきすすんだ過去の日本の経験も踏まえて、「民主主義は絶対ではない」としたところに、憲法の大きな意味があるんだ。

おそらく、「民主主義=正義、絶対」となりがちなところだと思うので、実は、そうではないんだ、限界もあるんだということを是非知っておいて欲しい

日本国憲法の究極的な目的は、個人の尊重(個人の尊厳)、つまり一人ひとりをかけがえのない存在として、個人として大切にすること、にある

憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。
生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


では、個人の尊重を確保するために、どうすればよいか?

歴史上、個人の尊重を踏みにじってしまったのは、国家(=権力)だった。

国家(=権力)は、安全を確保したり、社会秩序を維持したり、人と人との自由を調整したり、国民一人ひとりにとって大切なもので、必要なものだ。

だけれども、国家(=権力)は、その性質上、強大な権限、強制力があり、また強くなろう、大きくなろう、批判されたくないといった性質があるために、
歴史上、間違ったり、行き過ぎたりして、個人の尊重を踏みにじってしまったこともあった
んだ。

いや、本当のところは、現在もいろいろなところで、間違い行き過ぎは起きているのだろう。
例えば、無実の人が刑務所に入れられてしまうという「えん罪事件」はまだ起きている。

だから、憲法は、国家(=権力)に対して向けられている

国家(=権力)が、一人ひとりの個人の尊重を害さないように、国家が奪えない権利自由を人権のリストとして、憲法に掲げているのだね。

立憲主義は、民主主義を制限するものということだが、他方で、立憲主義と民主主義は、いずれも、個人の尊重確保のためのものといえる

つまり民主主義は、国家権力自体を、国民の意思が反映され、国民がコントロールできるようなシステム、権力に民意を反映するシステムによって、権力による人権侵害をおさえようとしている

国民自らが、権力について、影響を与え、批判を加え、権力側に参加する道もあるということで、自らの権利自由を制限しないようなルールをつくっていけることになる。

王様のような特定の人が決めるのと、国民の選挙によって選ばれた代表者が話し合って決めるのとでは、どちらが国民個人の権利や自由にとって、よい法律が作られるかどうかを考えてみると分かるだろう。

少数派の人達も、議論の中で自分の意見をいい、多数派の人達も少数派の人達の意見をよく聞くことで、
個人の尊重、少数者の人権を無視するような法律やルールを作ることを、一定限度は防ぐことができる
だろう。

この点で、民主主義は、立憲主義と相携えながら、車の両輪のように、個人の尊重確保を支えていると言える。

それに、前回、お話しましたが、表現の自由は、民主主義を支えるものなんだ。
自由な情報の流通があり、国政への批判も含めて、自由に話し合いができるからこそ、民主主義が維持できる

だから、表現の自由をふくめた、人として大切な権利・自由をまもろうとする立憲主義は、民主主義を支えるという関係にも立つのだね。

まとめると

「立憲主義は民主主義を支え、しかし、時に制限する。そして、立憲主義と民主主義は、ともに個人の尊重をまもるための車の両輪である」
ということなんだ。


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カケカクシ解散の今日までの顛末を考えてみた

2017年10月01日 | 日本とわたし
小池劇場が始まろうとしていたとき、わたしはこのツイートを流しました。
今から5日前のことです。





そしたら翌日に、『民進党代表の前原氏は希望の党と連携へ、小沢氏との3者会談、調整難航』というニュースが目に入ってきました。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2017/09/27/kiji/20170927s00042000095000c.html

それからはもう、ツイッターから目が離せなくなり、今に至っているのですが…。
その間の、LINEで友人に聞いてもらったわたしの思いや愚痴を、ちょっとだけ聞いてください。
(緑字は友人)

なんやのんコレ?!
ふて寝したる。

これはちょっとニュアンスが違う。
民進・自由、合流へ調整=希望と連携模索
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017092700618&g=pol

前原はホンマは小池とだけ組みたいねん。
小池の方が考え方が近いからやねん。
小沢は保険やねん。
小沢は寝技師やから、誰とでもええさかい組んで、勢力を大きくして自民党を倒したいねん。
それ以降のことは後で考えたらええ思てんねん。

小池はタヌキやさかい、公明の中に都知事と国政二足のわらじを批判する声があるのを知って、公明に媚び売っとんねん。
ホンマは自分が女性初の首相になったろと思てんねん。


民進党をバラバラにしてまで、っつか消してしまうんやな。
ほんで、極右の絶望の党に吸収されて…日本会議やら神道政治連盟は、今頃腹抱えて大笑いしてるわ

希望者はどんどん小池のとこから立候補してええねんて。
完全な合流やな。
小池はホンマは公明を自民からひっぱがして味方につけたかってんけどあかなんだ。
しゃあないさかい民進で辛抱したるわ言うてるねん。
こうなったらなんでもええさかいいっぺん安倍のアホを辞めさすとこまで持っていったらええんちゃう。
あとのことはあとのこととして。


憲法が弄り回されてまう。

前原が無所属で出る言うてる。

安倍は消せるけど、ズル賢こうて安倍より右の人が日本の長になるのは嫌や。

******* ******* ******* *******

日が経つにつれて、バックで操っていると思っていた小沢氏が、実は操るどころか、小池氏にまんまと引っかかった前原氏に騙されていたんではないかというふうに思えてきました。

それからは…、

そやからもう民進党は解消ってことちゃうん?
わたしが前原に直接聞きたいぐらいや。

そのうち安倍えげつなさと醜さは、この女に比べたら可愛らしいもんやったって思う日が来るわ。

小池は安倍を助けるんやで。
もう自民が勝ち負けとちゃうんやで。
希望の党は自民が名前変えて続いていくための党やで。

安倍さえ倒せたらっていう人らを、これでまんまと騙せた。
全てが後手後手。ノロノロうだうだしてるからや。

安倍がけったいなこと言うてたやろ。
今の議席減らしてでもって。
こうなることが最初っからわかっててん。

野党共闘潰し大成功。

安倍さえ落とせたらって言う人らの票をもろて、一気に憲法壊すねん。
どっちになっても一緒。
絶望の党に乗っ取られた。
さよなら憲法や。

と、ヤケっぱちになりかけ…、

憲法いらうの嫌なもんは入れたらん言うてるのが小池やねんさかい、もう避けようがないわ。

なんでこんなことになってしもたんやろ、たった一晩で。

改革保守やのリセットやの、適当に言葉並べて好きなように楽しんで言うてる小池やらに、なんのツッコミもせんとハイハイ言うて書き取ってるだけの記者ばっかやから、みんな丸め込まれんねん
ほんで気がついたら戦争に巻き込まれて痛い目に遭うねん

徳永みちおさんのツイート
立候補する時の所属党名は何でもよいという利点を生かして、野党の候補者は、今所属している党を離党する必要もなく、
例えば、「希望の党」という名前で野党全員が立候補届けを出せば、野党は比例議席で自民党以上の議席が取れ、選挙終了後は本来の所属党に戻ればよい。(オリーブの木構想)


民進党「解党」で、安倍首相落選? 進次郎都知事説も飛び交う「永田町カオス」
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamaguchikazuomi/20170928-00076287/

あとは野となれ山となれって思うにはやっぱり恐ろしすぎる…。

小沢の執念と小池の欲と前原の共産潰しが一気に叶う、変形オリーブの木。

あかん、やっぱり怖い。
対立軸を明確に打ち出したって言うけど、そんなん嘘まみれや。
わたしはやっぱりしゃあないとか、ええやんかとか、そういう風には思えんわ。
安倍憎しが先に立って、結局安倍(極右の連中、小池も含めて)が作りたかった社会が出来上がるのを、黙って眺めてることはできひんわ。

もちろんモリカケも強姦魔も、徹底的に追求して投獄せなあかんと思てるよ。
でもそれって、今のとんでもない方向に舵を切られようとしてることと、天秤にかけるほどのことやろか?
後でもできることちゃうやろか?
小池はさっそく、民進党議員に、安保法制についての批判的な考えをリセットできるかどうかがポイントやって言うてる。
まずは議員に、それから一般の人間に、そんな世の中になってしもたら、安倍の悪事やら山口の強姦やら、それこそどーでもいい昔のことにされてしまうんとちゃうの?

今はこんなことにどうのこうの言うてる場合ちゃいます、核武装を真剣に考える時が来ましたとかなんとか言うて。

安倍が今回の解散でボロボロになるのはもちろん大歓迎やけど、先に待ってるもんを考えたら、若い子らが可哀想過ぎてたまらん気持ちになる。

小池はただ、金と人とちゃんと出来上がってる組織が欲しいだけやねん、自分の野望を叶えるために。
都議選の時は公明党、ほんで国選の今は民進党。

こうなったら、残った民進党議員、自由党議員、社民党議員と市民連合で、一つの党を作ったらええと思うねん。
公約は、原発即刻ゼロ、特別会計廃止、消費税5パーセント食品は除外、私物化の罰則強化、安倍政権の断罪とかさ。

選挙があるたんびに、市民による政党ができんもんかなあって思てきたけど、今回もまた無理やろな。
供託金がこんなバカげた金額では、いつまで経っても叶わんわ。
まずはここから変えていかなあかんな。
けどもし万が一、そういう動きが出てきたら、募金するつもり。
出てけえへんかなあ…。

今迷てる人たちは皆、同じようなとこで苦しんでるんやろと思うけど、あの希望の党みたいなとこで、いくら内部で抵抗しても、絶対にうまいこといかんと思うわ。
もうすでにえげつない選別してるような、人を人とも思わんようなとこ。

******* ******* ******* *******



そして、小池氏のツイートの内容が、単なるネトウヨのような内容だというまとめができました。




















そしてこういうことも。





彼女自身の姿勢なのか、それともあまりにも周りに、しかも自分にとって役に立ちそうな人間や組織に、そういう思想の人が多いからか、差別と偏見、そして憲法軽視が言葉になって表されています。

そんな彼女に近づいて行った、あるいは彼女が近づいて行った人たちの中に、特区利権疑惑の竹中平蔵氏の名前が挙がってきました。
彼は、小池氏と橋下氏をつなげ、維新との仲介をしたと報じられています。
竹中氏は、労働法制を派遣会社の言うがままに作り替え、その利益をまんまと手中に収めた「大手人材派遣会社パソナ」に、「会長」として天下った「貧困犯罪人」です。
日本のデフレを長期化させた張本人とも言えます。
そんな人間が仲介をしたという小池氏と橋下氏、そして維新…あからさまといえばあからさま。





そしてこの竹中氏、安倍氏と小池氏の3人は、9月5日に、何食わぬ顔(多分)で、国家戦略特区諮問会議なるものを開き、出席していたのです。



『踏み絵』に『排除』そして『金よこせ』、そして『お前らは入れてやるリスト』。





一体この男は、どうしてこんなみっともない話を、こんなに楽しげに話してるんでしょう。
政治家としての資質が著しく欠けているし、何より人を人として考えられない、とても危険な、偏執的な見方を持つ人のようです。












まあ、それはこの代表にも言えることなのですけれども。









人に向かって『排除』という言葉を使う。
この神経の恐ろしさ…これだけでも十分、この人が代表を務める党などに、政権を取らせるようなことがあってはならないと思います。


さてこれは、その女帝、小池百合子代表宛の『政策協定書』です。

限定的な集団的自衛権の行使を含め、安全保障法制を基本的に容認し、現実的な安全保障政策を支持すること。

憲法改正を支持すること。

外国人に対する地方参政権の付与については反対すること。

政党支部において企業団体献金を受け取らないこと。

本選挙に当たり、党の指示する金額を党に提供すること。

そして民進党から流れてきた議員には、民進党から支給された政党交付金などの提供を指示しています。




実際に、落選して政界から離れていた近畿地方の元民主党衆院議員にも、新党側から「調査票を送って、600万円を振り込んでほしい。自動的に公認する」という、立候補の打診があったそうです。



党の指示する金額については、
この、世界でも稀に見る高額さと言われている(だから一般の有志が出られず、世襲や金持ちが簡単に政治家になってしまっているのです)供託金、
これは、選挙に出る際に、立候補者が法務局に支払話なければならないお金なのですが、それがなんと300万円?!比例にも出る場合は別にまた300万円?!
ということで、300万円または600万円(供託金)プラス選挙資金(300万〜600万円)を、候補者には支払わせるというのです。
これだけで済むのかどうかもわかりません。
党の指示する金額と書いてあるだけで、上限が明記されていないからです。
わたしなら、というより普通の常識を持った大人なら、こんな危なっかしい書類にハンコなんて押しません。

加えて、小池代表とのツーショットに3万円?!
もうなんというか、カルト宗教の教祖か?と思えるほどの奇行です。




また、憲法改正を支持するというのも条件の一つでしたが、一体どのような改正であるのか、その内容が全く記させれていません。
そんなあやふやな書き方で、憲法改正についての支持を問うこと自体が、憲法をいかにいい加減に考えているかがわかります。



自民党の草案の最も恐ろしいところは、国体の復活を実現するための、随所に見える細かい変更と削除です。




とにかく、結論としては、希望の党は自公がコケた時の補充政党です。
維新とも組みました。
維新は、自民党とも組みたいと明言しています。




昨日、枝野氏による『立憲民主党』が立ち上げられました。
立ち上げに際し行われた記者会見での、枝野氏の言葉と質疑応答の内容です。

枝野幸男氏:
みなさんにお集まりをいただき、ありがとうございます。
枝野幸男でございます。
私は、日本の国民の生活の安心、立憲主義、民主主義、自由な社会、それをしっかりと守っていくために、立憲民主党を結成することを決意をいたしました。
この場を借りて、みなさんにご報告をさせていただきますとともに、この立憲民主党をお集いをいただいて、
この総選挙で、安倍政権の暴走に歯止めをかける、安倍政権をストップさせる、そのための大きな役割を果たす。
そうした力を国民のみなさんに与えていただく、そんな戦いを進めてまいりたいというふうに、みなさんにお呼びかけをしたいと思います。

日本の国民生活は、1億総中流と言われた時代から、格差が拡大し貧困が増大し、そのことによって社会が分断をされ、世界一安全と言われていた治安にまで、
そして、お互い様という言葉に象徴されていた人と人とのつながりが、どんどんどんどん壊れていってしまっています。

近代国家の大前提である立憲主義が破壊をされ、法の支配すら脅かされています。
みんなで議論をし、納得をして物事を進めていくという、民主主義がおろそかにされています。
共謀罪に象徴されるように、自由な社会というものにも、さまざまな危機が迫っています。

こうした状況を変えていく責任、役割を果たしていかなければならない。
そして、安心できる、当たり前のことだけれども、立憲主義や法の支配が、民主主義が、
自由なその中で、社会の構成員がお互い様に支え合い、お互いに認め合える、そんな社会を作っていかなければならない。

そんな想いで、私は、24年国会で仕事をしてまいりました。
民主党から民進党へという流れの中で、志を同じくする多くのみなさんと議論をし、目指すべき社会像、理念、政策を積み重ねてまいりました。

今般の総選挙を前にして、さまざまな提起がなされ、動きがございました。
結論として、残念ながら、希望の党の理念や政策というものは、私が、そして私たちが、積み重ねてきた私たちの目指す理念や政策の方向性とは、異なるものだと判断をせざるを得ません。

政治家にとって、理念や政策は、何事にも変えがたい、譲ってはならない筋であります。
そしてこれまで、この総選挙を目指して、地域の中で、仲間のみなさんと協力しながら、準備を進めてきた多くの仲間が、
今回どうしても選挙に出るなら、無所属で出なさい。
あるいは、残念ながら私から見れば、理念や政策が私たちと異なる政党から出なさい。
そのことを余儀なくされています。

結果的に、何よりも大事なことですが、さまざまなプロセスの中で、いろいろなご批判をいただきながらも、
私たちの目指すべき社会のあり方、私たちの理念や政策の方向性について、期待をして応援をしていただいたみなさん、
期待をしたいという思いを持ちながら、見守ってきていただいたみなさんにとって、選択肢がないという状況になってしまっています。
この間、多くの国民のみなさんから、「枝野が立て!その選択肢をしっかりと作れ!」という激励をいただきました。
選挙に備えてきたのに、残念ながら、このままではたたかえない。
ともに作り上げてきた理念・政策を掲げてたたかいたい。
そうした仲間のみなさんからも、さまざまな期待の声をいただきました。

私は、こうした声に応え、しっかりとした、これまで「民主党」から「民進党」へと積み重ねてきた理念と、政策の方向性を、さらにブラッシュアップしながら、国民のみなさんにお訴えをし、国民のみなさんの声を受け止める。
そんな「立憲民主党」を結成することを、決意した次第であります。

この場を借りて、多くのみなさんに、「立憲民主党」での、ともに衆議院選挙を戦うことを、お呼びかけをさせていただきます。

選挙は、もうまもなくです。
残された時間は多くはありませんが、私たちは国民のみなさんに、自信を持って政策と理念を訴えて、みなさんの期待にお応えをしていく決意であります。
ぜひ、多くの仲間のみなさん、そして、国民のみなさんのご理解とご支援を、お願いを申し上げます。
私からは、冒頭以上であります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

記者1:
ニコニコ動画の七尾と申します。
よろしくお願いします。
質問の前に確認が1つございますが、立憲民主党の略称なんですが、「民主」となるんでしょうか? 
これちょっと確認させてください。

枝野氏:
略称は「民主党」ということで考えております。

記者1:
わかりました。
質問です。
希望の党に行った元民進党の議員が、枝野新党、立憲民主党から出たいといった場合、受け入れるんでしょうか?
あるいはそういう話があれば、何人ぐらい現状でありますか? 
逆に受け入れられないとしたら、その理由について教えてください。

枝野氏:
私はこれまで民主党の中で、同じ綱領の下で、共通する理念・政策の方向性の下で、この総選挙に向けて準備をしてきた仲間であるならば、
私が今日お呼びかけをしたお呼びかけにもとづいて、一緒に戦える仲間だと思っておりますので、
そうした方から一緒にやりたいという声があれば、どなたであれ、排除することなく、ともに戦わせていただきたいと思っています。

記者2:
テレビ東京の大江と申します。
よろしくお願いします。
まず、立憲民主党という名前になった理由をうかがいたいんですけれども、この名前にはどんな思いが込められているのか? 
また、どのようにして決めたものなのでしょうか?
それからもう1つなんですけれども、先週、民進党の両院議員総会で、希望の党を全力で支援すると決まったと思いますけれども、
この先、民進党に、人ですとか組織ですとか資金、こういったものは、求めていくお考えというのはあるんでしょうか?お願いします。

枝野氏:
立憲民主党という名称でございますが、私が今、冒頭申し上げたお話のとおり、国民生活を守るということは、政治にとっての共通のテーマだと思いますが、
そのうえで、私たちが大事にしなければならないのは、近代国家であれば当然の前提である立憲主義。
やはり、権力というのは、なんでも自由にできるものではない。
憲法というルールにもとづいて、権力というのは認められているんだと。
そうした姿勢を大事にする、そうした政治のあり方でなければならない。
そして民主主義。
民主主義とは、単純な多数決ではなくて、みんなで話し合って、できるだけみんなが納得できるようにものを決めていこう、という考え方だと思います。
これが疎かになっている。
この立憲主義と民主主義こそが、我が国の政治が、そして政治を通じて、国民生活が立ち直っていくための大きな柱であると。
したがいまして、その2つの言葉をつなげて、「立憲民主党」という党名とさせていただきました。
これは、後ほど質問出るかもしれませんが、お呼びかけをさせていただいた今の時点では、私は1人でございますが、
お呼びかけをさせていただく以上は、呼びかけをさせていただいたら、一緒に参加していただけるという内諾をいただいている方が、何人かいらっしゃいますので、
そうしたみなさんとご相談をさせていただいた上で、最終的には、「お前が呼びかけるならば、お前に任せる」ということで、私が決めさせていただきました。

記者2:
すいません、2問目についてお答えお願いします。

枝野氏:
2問目についてでございますが、これについては、私どもとしては、ともに民進党で今まで活動してきて、この選挙に向けても、ともに準備をしてきたメンバーであります。
これまでも、希望の党から立候補する場合であっても、無所属であっても、というようなことでさせていただいてきました。
ただ、残念ながら、それを決めた両院総会での前提とは異なる状況のなかで、やむなく民進党では戦えないと、
民進党からは候補者は出さないということのなかで、こうしたプロセスを踏んでおりますので、一定の範囲でご協力をいただけるものと思っております。

記者3:
ビジネスジャーナルの今井と申します。
以前、前原代表は、「全員受け入れられるよう努力する」と申し上げてました。
一方、小池代表も、「寛容な保守」というかたちで、いろいろと広い範囲で受け入れらえるような姿勢を示しておられましたけれども、今となってはリベラル全排除となっております。
このお2人に、申し上げたいことは何かございますでしょうか。
前原代表と小池代表、双方にです。

枝野氏:
これまでのプロセスについては、さまざまな受け止めはございますが、
そうしたプロセスを経て、残念ながら、「希望の党」の理念・政策というのは、私たちが積み重ねてきたものとは違うものだと判断せざるを得ない、という結論になったわけでございます。
そして、前向きに新たに、であるならば、より私たちの理念・政策をブラッシュアップし、よりクリアに国民のみなさんに訴えて、
それに対してのご理解を求めて、呼びかけを決意させていただいた、結成を決意させていただいたということでございます。
それまでのプロセスについて、今なにか申し上げるつもりはありません。

記者4:
フジテレビの田中と申します。
理念に関して言いますと、先週の両院議員総会の段階で、ある程度わかっていたはずだとは思うんですけれども、なぜ一旦、両院議員総会の内容を呑んでしまったのか。
率直な思いとして、今はお話しないとありましたけれども、正直今になってみて、前原代表を含めて、「話が違うじゃないか、騙された」という思いはありますでしょうか。

枝野氏:
先ほどの話を繰り返させていただきます。
いろんなプロセスがございました。
そして、前原代表からは、「我が党の理念と政策を、新しい器で実現をしていくんだ」という、両院総会でも、そうした趣旨のお話がございました。
残念ながら、方向が違うと、私は判断せざると得ないということで、今日の決断に至ったわけでございます。

記者4: 
両院議員総会で、全会一致で決めたときは、なぜそれを呑まれたんでしょうか。

枝野氏:
前原代表は、「我が党の理念・政策を新しい器の中で実現をしていく」ためだと。
その目的について、力強くご説明をされましたので、私だけではなくて、多くの仲間がそれならばということで、判断をされたのではないかと思います。

記者4: 
今の「民進党」は、そういった器ではなくなってしまったので、新党を立ち上げようという思いでいらっしゃいますか。

枝野氏: 
「民進党は」ではなくて、「民進党」では、そうしたことを掲げて国民のみなさんに信を問うことが、許されないということでありますので、
それならばよりクリアに、私たちの「民進党」で積み重ねてきた理念と政策を掲げて、闘わせていただきたいということです。

記者4: 
ありがとうございます。

記者5: 
朝日新聞のミナミです。
先ほど枝野さんが、「目指していく政策や理念の方向性が違う」とおっしゃられたと思いますが、具体的には安全保障政策とか、いろいろあろうかと思いますが、そのへんを具体的に教えていただきたいことが1点。
あと、前原代表と、最終的に「立憲民主党」を立ち上げることを、いつ・どのようなかたちで、お伝えになられたのか、その2点をお願いします。

枝野氏: 
具体的に、細かいことについては、実は現時点でも、「希望の党」さんの具体的な政策の中身であるとか、そうしたことが明らかになっておりません。
また、いわゆる綱領として発表された、抽象度の高い部分については、それほど大きな違いがあるとは、思っておりませんでしたが。
この間の、とくに小池代表ご自身のお話であるとか、あるいはさまざま両党間で、調整をされたようなお話などを合わせると、方向性が違うなと判断せざるを得ないと。
これが、総選挙を目前にしてとかという時期でなければ、「もうちょっとどうなんだ」とあったかもしれませんが、
それは、どなたも限られた時間の中で判断をしなきゃならない以上は、「より明確に、わかるようにしてください」と、一昨日、前原代表に申し上げました。
残念ながら、「方向性が一緒ですね」という理解ができるような材料は、なかったということでございます。
2点目はなんでしたか。

記者5: 
2点目は、最終的に「立憲民主党」を立ち上げること、前原代表に、どのようなかたちで進めたでしょうか。

枝野氏: 
この会見の2時間ぐらい前に、電話でお伝えさせていただきました。

記者5: 
簡単にどのようなやりとりだったか、教えていただけますか。

枝野氏: 
これは結論として、「残念だけれども、新しい党を立ち上げる」ということについて、お伝えしたということで、それ以上の詳細は、避けさせていただきたいと思います。

記者5: 
どのように言われたかを、一言お願いしたいんですが。

枝野氏: 
僕、これは普段からそうなんですが、私がどなたかとお話をした相手方のお話については、事前に了解を得ていない場合にお伝えをすると、伝聞で間違ったことをお伝えする可能性があるので、
もしどうしてもということであれば、前原代表にお尋ねいただければと思います。

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希望の党は、この立憲民主党に、早くもプレッシャーをかけてきています。



それに対し連合は、希望を支援しないと明言しました。

連合、希望を支援せず 政党本位の支持見送り
【日本経済新聞】2017年10月3日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21806840S7A001C1PP8000/

民進党最大の支持団体である連合は、衆院選で特定の政党とは政策協定は結ばず、民進党出身者を個別に支援する方針だ。

新党「希望の党」は、政党としては支持しないが、民進党からの合流組を中心に支援する。
細野豪志元環境相ら、民進党を飛び出し、希望に加わった前議員への支援は見送る
無所属で出馬する民進党出身者は支援する

民進党前議員は、希望への合流組と、リベラル系中心の新党「立憲民主党」、野田佳彦前首相ら無所属出馬組に分かれた
こうした状況を踏まえ、政党本位ではなく、候補者ごとの支援という、異例の判断となった。

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とにかく、自民党・公明党・希望の党・維新、この4つの党に力を与えない、投票しない。
このことを、この選挙では強く訴えていきたいと思います。
希望の党が最初に公言した『原発ゼロ』も、いつの間にか姿を消してしまっています。
言うことがコロコロ変わり、化かすことに必死な人間に、政治などをさせてはいけません。

そしてこれ、こっそり進んでます。
この選挙を隠れ蓑にして、どんどん進んでしまっています。
これの追求と中止も、自公、希望、維新では、絶対に行われません。



そして何より、日本会議や神道政治連盟などの、極右カルト集団による政治支配を、この選挙で少しでも軽減することも大切です。
さらには、軍産複合体に牛耳られている米国支配からの脱出も。

今回の選挙は本当に大切です。
投票に行ってください!
そして、自民、公明、希望、維新以外の党を記入して、投票箱に入れてください!
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