終戦後の混乱期には、佐賀の唐津焼も、御飯茶碗窯が支えている状態で、茶陶などを造る雰囲気でも
なく、細々と作陶している有様でした。昭和30年代に入り所謂「陶芸ブーム」が広がり、中里窯も
十二代太郎右衛門を中心に、長男の忠夫(十三代)や他の兄弟の協力で、経営が軌道に乗り、大いに
繁栄してゆきます。
注: 十三代太郎右衛門については、本ブログの現代陶芸50(2012-2-19)を参照して下さい。
1) 中里 重利 (なかざと しげとし): 1930年(昭和5) ~
① 経歴
) 十二代中里太郎右衛門(古唐津の復興により、人間国宝)の三男として、佐賀県唐津市に
生まれます。轆轤技術は、父などから学びます。
1952年 日展で「刷毛目壺」が初入選し、以後入選を続けます。
1956年 第五回現代日本陶芸展(朝日新聞社主催)で、松坂屋賞を受賞し、以後11回まで入選を
繰り返します。
1960年 第八回日展で「三玄壺(さんげんつぼ)」が特選し、北斗賞を受賞します。
翌年からは、無審査となり「灰釉壺」が、外務省のお買い上げとなります。
1973年 唐津市神田山口に窯を築き、父親から独立します。(後年、三玄窯と名付けます。)
1975年 第十四回日本現代工芸美術展で、文部大臣賞を受賞します。
1977年 日展会員。1982年 日展審査員に成っています。
② 中里 重利氏の陶芸
1973年に独立してから、彼本来の作品を作る様に成りますが、その中心となる作品は、茶陶です。
彼は、唐津焼茶陶の第一人者と目されています。
尚、父の下では、轆轤職人として、同じ形で同じ寸法の茶碗や湯呑みなどの作品を、数多く造る
必要が有りましたが、茶陶は一つ一つ個性的に作る必要に迫られます。
その為、製作方法の違いで、独立後には苦労されたと思われます。
) 「朝鮮唐津」「絵唐津」の作品は、唐津焼の代表的な釉で、太郎右衛門氏も手掛けています。
a) 朝鮮唐津: 黒釉に藁灰釉の白濁色を流れる様に、掛け分けている作品です。
「朝鮮唐津水指」(高18 X 径21.5cm)(1981年)、「朝鮮唐津花入」(高24.3 X 径13.3cm)
(1981年)。
b) 絵唐津: 鉄絵の具で釉下に絵付けした作品で、茶碗、湯呑み、皿、鉢などの作品があります。
「絵唐津大皿」(高8.5 X 径38.3cm)(1980年)、「絵唐津茶碗」(高8 X 径13.3、高台径5.5)
(1979年)、「絵唐津茶碗」(高7.5 X 径12.5,、高台径5.8cm)(1982年).
) 皮鯨(かわくじら): 鉄絵の具で口縁を一周させ、長石質の白い釉を掛けた作品です。
「唐津皮鯨茶碗」(高7.4 X 径14、高台径6.3cm)(1982年)など。
) 唐津叩き:東洋では、古くからの製法で、壺などの大物や土を締め強度を増したり、薄くする為に
内側に鏝(こて)を当て、 外側から叩き板(棒)で強く叩き形作ります。
「唐津叩き壺」(高20.8 X 径33.7cm)(1981)、「唐津黒陶叩き花器」(高33.7 X 径19.1cm)
(1981年)、「唐津叩き壺」(高29.5 X 径31.8cm)(1981年)。
) その他の作品: 「唐津花黒陶花入」(高26 X 径13,6cm)(1973年)、「彫唐津茶碗」
(高8.8 X 径10.8、高台径6.3cm)(1981年)、「唐津粉引茶碗」 (高8 .4 X 径14.1、
高台径6cm)(1978年)、「唐津井戸茶碗」(高9 X 径15.5、高台径5.6cm)(1981年)。
・ 「技術は必要だが、技術を盛りすぎてもいけない。作品が硬くなってしまう」と彼は述べています。
次回(高橋楽斎)に続きます。