自分で勝手に問題にした八ツ面山に行きました。
八ツ面山は、前方後円墳か
八ツ面山を地図で見ると大きく二つに分かてているのが分かります。西側が男山、東側が女山というそうです。つまり、男山は険しく、女山はなだらかなわけです。しかし、よく見るとこれはまるで前方後円墳のようでもあります。女山が前方で、男山が後円です。ますます疑問が膨らんでいきました。
和銅時代からある雲母坑
さて、タイトルの「雲母坑址」ですが、男山の北側の方にありました。
雲母坑を埋め立てたことをあらわす碑
雲母坑についての案内板
1基残したという雲母坑?(看板のすぐ左にありましたので、雲母坑の址だと思います)
驚きは、この雲母坑が713年(和銅6年)から存在していること、さらに事故のためにこの穴を埋めたときにその数が642箇所もあったということでした。
なぜ荒川義広は八ツ面山に城を築かなかったか
荒川義広がこの八ツ面山に城を築かなかったのは、この雲母坑のためではないかと想像しました。まず、ここに城を築けば、坑夫が自由に出入りできず、雲母坑での採掘に何らかの支障が出ます。そうすれば雲母での彼の収入が減ってしまいます。もったいない。つぎに、昭和の時代に642箇所もの穴があったということは、戦国時代、荒川氏の時代には、半分と見積もっても300個近くの穴があって、城を築けるような山ではなかったのではないかということです。あぶない。
八ツ面山から安城、岡崎、幸田が一望
男山の展望台からぐるっと見渡しましたが、素晴らしい眺望でした。ここからは、安城、岡崎、幸田が一望の下に見ることができました。ただ天気が悪くて遠くまで見えなかったのが残念です。北東の天井に案内板がありました。その案内板に野寺本證寺が記されていました。
野寺本證寺を記す案内板
二つある久麻久神社
ふもとには久麻久神社がありました。不思議なことに、荒川義広の墓のあった真成寺の近くに同じ名前の神社があります。
八ツ面山にある久麻久神社
真成寺の近くの久麻久神社
最後、この山は野良猫の天国でした。
女山の駐車場で休んでいる白い野良猫
八ツ面山は、前方後円墳か
八ツ面山を地図で見ると大きく二つに分かてているのが分かります。西側が男山、東側が女山というそうです。つまり、男山は険しく、女山はなだらかなわけです。しかし、よく見るとこれはまるで前方後円墳のようでもあります。女山が前方で、男山が後円です。ますます疑問が膨らんでいきました。
和銅時代からある雲母坑
さて、タイトルの「雲母坑址」ですが、男山の北側の方にありました。
雲母坑を埋め立てたことをあらわす碑
雲母坑についての案内板
1基残したという雲母坑?(看板のすぐ左にありましたので、雲母坑の址だと思います)
驚きは、この雲母坑が713年(和銅6年)から存在していること、さらに事故のためにこの穴を埋めたときにその数が642箇所もあったということでした。
なぜ荒川義広は八ツ面山に城を築かなかったか
荒川義広がこの八ツ面山に城を築かなかったのは、この雲母坑のためではないかと想像しました。まず、ここに城を築けば、坑夫が自由に出入りできず、雲母坑での採掘に何らかの支障が出ます。そうすれば雲母での彼の収入が減ってしまいます。もったいない。つぎに、昭和の時代に642箇所もの穴があったということは、戦国時代、荒川氏の時代には、半分と見積もっても300個近くの穴があって、城を築けるような山ではなかったのではないかということです。あぶない。
八ツ面山から安城、岡崎、幸田が一望
男山の展望台からぐるっと見渡しましたが、素晴らしい眺望でした。ここからは、安城、岡崎、幸田が一望の下に見ることができました。ただ天気が悪くて遠くまで見えなかったのが残念です。北東の天井に案内板がありました。その案内板に野寺本證寺が記されていました。
野寺本證寺を記す案内板
二つある久麻久神社
ふもとには久麻久神社がありました。不思議なことに、荒川義広の墓のあった真成寺の近くに同じ名前の神社があります。
八ツ面山にある久麻久神社
真成寺の近くの久麻久神社
最後、この山は野良猫の天国でした。
女山の駐車場で休んでいる白い野良猫