五井城のあったらしい八幡宮を望む。手前の池は、五井城のお堀だったようです。
長泉寺
五井城の近くに長泉寺というお寺があります。鎌倉時代からの古いお寺のようです。
長泉寺本堂
安達藤九郎盛長
ここに、安達藤九郎盛長という人の五輪塔がありました。
安達藤九郎盛長という人は、源頼朝の家臣だったようです。案内板によると、1192年安達藤九郎がこの三河の守護になったそうです。そして「三河七御堂」といわれる寺院を建立したそうです。三河七御堂とは、五井の長泉寺、吉良の金蓮寺、鳳来寺、豊橋の普門寺、財賀寺、法言寺、大塚の全福寺(廃寺)だそうです。これらの寺は、かなり古いということになります。
なお、案内板によると、この長泉寺は、行基の開基といわれているそうです。(724年~728年)すごく古いです。
長泉寺の由緒を伝える案内板
五井松平
五井松平は、松平信光より分家したものです。
(系図)
松平信光-(始祖)忠景-元心-信長-忠次-景忠-伊昌-忠実-伊耀
名前を見て、びっくりです。信長という人がいたのです。さらに、始祖忠景をひっくり返した景忠という人もいたのです。
さて、三河一向一揆のときは、景忠です。景忠は、一揆勢に与した上野城、酒井将監忠尚の娘婿だったようです。それでも景忠は、家康側について一揆勢と戦ったようです。奥さんは大変だったと思います。
五井松平氏のお墓
堀の跡
八幡宮の前にある池は堀の跡ということになっていますが、お隣の長泉寺の門の前も両側が深く溝状になっていて、堀っぽいので、写してきました。
長泉寺に向かって右側の様子。
同じく左側の様子。