西郷氏のもう一つのお城に行きました。月ヶ谷城です。月ヶ谷城跡は豊橋市にあります。五葉城跡が新城市にあって、二つの市にまたがっていますが、昔は西郷氏が統治していた一つの地域だったのだと思います。
月ヶ谷城への登城口
国道362号線から北に入ると(これが実は難しいのですが)、小さな道の右側に、写真のような小さな案内標識があります。
月ヶ谷城跡の案内標識
この標識に従って山を登っていきます。登山道は、下の写真のように赤い矢印の標識が要所要所に立てられていますので、それに従って登っていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/f7/2680ce42ea2cbad715f9927885e0bfa3.jpg)
月ヶ谷城跡への道案内
しばらく登っていきますと、月ヶ谷城の本丸に登りつきます。
本丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/1d/5fed97f1384bfe4b88ecb67d674bef60.jpg)
月ヶ谷城跡の碑
本丸の中央付近に月ヶ谷城跡の碑が立っていました。本丸には石垣の跡を思わせる石がたくさん散在していました。
本丸に散在していた石
虎口
本丸は丸い形で南と西に内枡形状の虎口がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/6b/e34c8d9a9922bbea2fe64301af75904b.jpg)
本丸南虎口
また、南虎口を下っていくとけっこう深い井戸の跡がありました。
井戸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/b5/7dd3ddd7c74e852ea671d3891ea84168.jpg)
井戸跡
月ヶ谷城は西郷氏の拠点として使用されていましたが、「愛知の山城ベスト50」では虎口が進化したものであることなどから、天正期に大きく改変されたのではないかと説明していました。
月ヶ谷城への登城口
国道362号線から北に入ると(これが実は難しいのですが)、小さな道の右側に、写真のような小さな案内標識があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/2e/dc98be4878d665de935e450d4c053428.jpg)
月ヶ谷城跡の案内標識
この標識に従って山を登っていきます。登山道は、下の写真のように赤い矢印の標識が要所要所に立てられていますので、それに従って登っていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/f7/2680ce42ea2cbad715f9927885e0bfa3.jpg)
月ヶ谷城跡への道案内
しばらく登っていきますと、月ヶ谷城の本丸に登りつきます。
本丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/1d/5fed97f1384bfe4b88ecb67d674bef60.jpg)
月ヶ谷城跡の碑
本丸の中央付近に月ヶ谷城跡の碑が立っていました。本丸には石垣の跡を思わせる石がたくさん散在していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/28/316af66d5025e1d5a8ebb63d0dbba321.jpg)
本丸に散在していた石
虎口
本丸は丸い形で南と西に内枡形状の虎口がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/6b/e34c8d9a9922bbea2fe64301af75904b.jpg)
本丸南虎口
また、南虎口を下っていくとけっこう深い井戸の跡がありました。
井戸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/b5/7dd3ddd7c74e852ea671d3891ea84168.jpg)
井戸跡
月ヶ谷城は西郷氏の拠点として使用されていましたが、「愛知の山城ベスト50」では虎口が進化したものであることなどから、天正期に大きく改変されたのではないかと説明していました。