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松平記p11
翻刻
(御)一門衆にあまり大名ハいやなる事也。蔵人殿今ハ殿へ御
如在ハなけれとも十郎三郎殿御死去の上ハ、御一人にて
末には多分岡崎をとらんと惣領を御心掛給ふべし。御隠
居も御果、十郎三郎殿も無御座、蔵人殿一人か様に大名に
て御座候事、気遣千万にて御座候間、何とそ追出申御知行
を此方へ取候ハんと評定し、其年正月廣忠御病気にて蔵
人殿廣忠の御名代に駿府へ御越候跡にて御屋鋪を追捕
し番衆を置、御帰候得共中々近所へ寄不申候。御知行も半
此方より代官を申付候間にせす。蔵人被申ハ是ハ何と申
たる事にて候哉、我等廣忠に少も御如在無之忠節ハ人に
現代語
松平御一門衆に、あまり大名がいることはよくないことだ。蔵人信孝殿、今は殿に手抜かりなく忠節をしているが、十郎三郎康孝殿が亡くなり、お一人でいくいく岡崎を乗っ取り、宗家をめざしている。御隠居松平長親も亡くなり、十郎三郎康孝殿も亡くなり、蔵人信孝殿一人がこのような大名になっていることは心配でならない。なんとか信孝を追出し、その知行地をこちら(廣忠)に取ってしまおうと相談した。其の年の正月廣忠は病気なので蔵人信孝殿が廣忠の名代として駿府へ行った後に、屋敷を襲い、見張り番を置き、信孝が帰ってきても中々近くには寄せ付けず、知行地も半分くらいはこちら(廣忠)から代官を派遣した。蔵人信孝が申されることには、これは何ということだ、我等廣忠に少しも手抜かりなく、忠節は人に(勝っている)
コメント
「大名」という言葉が出てきますが、名はこの場合、田んぼとか領地とかいう意味でしょうか。「大名」とは大地主のような意味だと思います。先回も廣忠の家臣たちが蔵人信孝の領地横領で、廣忠より大きな地主になっていることを憂慮しているという記事がありました。
今回も同じ記事があり、そこから信孝の領地を取り上げてしまおうという所に話が進んでいます。戦国時代にこういう話が実際あったとは思いますが、「何とそ追出申御知行を此方へ取候ハんと評定し」ということを記録として残していいものかどうか、疑問に思いました。というのも、これでは「信孝が横領した」と非難していることを、自分たちもやっていることになり、自分たちの正当性が失われるからです。
しかし、それは実行されます。姑息にも廣忠を病にし(多分仮病?)、その名代として信孝を駿河に向かわせたというのです。これは新年のあいさつでしょうか、なにか駿河に御機嫌を伺う必要があったのだと思います。本来は一門の当主が行うことになっていたのでしょう。(ということは、「松平記」の筆者は廣忠が当主であり、信孝はあくまでも代理ということを前提として話をしています)
信孝追放の具体的措置は、屋敷を抑える(見張り番を置く)、知行地(領地)に代官を派遣する(つまり横領)の二つでした。領地の農民はちょっとびっくりすると思います。年貢の納める先がコロコロ変わるわけですから。
信孝は、怒ります、これはどういうことかと。私は忠節をしっかりとつくしているんだと。
こうした弁解が通用するか、次回のお楽しみです。