もうひとつ2月に登った山城があります。豊橋市の萩平山城址です。
萩平山城址の位置
萩平山城は愛知県の東の方です。
萩平山城はこの地の豪族西郷氏ゆかりの山城です。
西郷氏とはどんな武将でしょう。もちろん、薩摩の西郷隆盛とは関係ありません。
ウィキペディアによれば、室町時代、すでに愛知県の岡崎市や幸田町のあたりに有力な国人として存在していたようです。15世紀半ばには岡崎城を築城していました。しかし、松平清康(徳川家康の祖父)に屈し、岡崎城は松平清康に取られてしまいました。
また、豊橋市の東のあたりに勢力を持っていた西郷氏もありました。この西郷氏が萩平山城に関係する西郷氏です。他に月ヶ谷(わちがや)城、五本松城、西川城などを居城としていました。はじめ今川氏に属していましたが、松平清康が台頭すると、清康に属し、清康が守山崩れで死ぬと再び今川氏に属しました。
ところが永禄3年今川義元が桶狭間の戦いで戦死すると、今度は岡崎城に戻った徳川家康に属しました。その後は徳川方として今川や武田と戦いました。
ということで、今川、松平、武田という有力大名のせめぎあいの中でかなり翻弄された一族でした。
萩平山城全景
萩平山城址の近くに日吉神社がありましたので、そこに駐車させていただきました。
そこから戻るように山の麓の道沿いに行きますと、細い道が左の方に見えますので、細い道に沿って行きます。
萩平山城址への分かれ道
この細い道を少しのぼると左側に「トピー工業線NO5」という小さな標識が見えます。そこから登っていきます。
萩平山城址への登り口
萩平山城址イメージ図
ひたすら山道を登っていきますと、やがて堀切に出くわします。
堀切
堀切からⅡ郭を通り過ぎると、Ⅰ郭との境目の堀が見えます。
堀跡
Ⅰ郭では虎口の跡もあるということでしたが、はっきり確認することはできませんでした。
周りの腰曲輪は確認することができました。
腰曲輪
萩平山城址は標高156mの小高い山にあり、登るのは少しきつかったですが、地図で確認すると平野部に突出したように山があり、見張り台としての砦にはぴったりであると思いました。
萩平山城址の位置
萩平山城は愛知県の東の方です。
萩平山城はこの地の豪族西郷氏ゆかりの山城です。
西郷氏とはどんな武将でしょう。もちろん、薩摩の西郷隆盛とは関係ありません。
ウィキペディアによれば、室町時代、すでに愛知県の岡崎市や幸田町のあたりに有力な国人として存在していたようです。15世紀半ばには岡崎城を築城していました。しかし、松平清康(徳川家康の祖父)に屈し、岡崎城は松平清康に取られてしまいました。
また、豊橋市の東のあたりに勢力を持っていた西郷氏もありました。この西郷氏が萩平山城に関係する西郷氏です。他に月ヶ谷(わちがや)城、五本松城、西川城などを居城としていました。はじめ今川氏に属していましたが、松平清康が台頭すると、清康に属し、清康が守山崩れで死ぬと再び今川氏に属しました。
ところが永禄3年今川義元が桶狭間の戦いで戦死すると、今度は岡崎城に戻った徳川家康に属しました。その後は徳川方として今川や武田と戦いました。
ということで、今川、松平、武田という有力大名のせめぎあいの中でかなり翻弄された一族でした。
萩平山城全景
萩平山城址の近くに日吉神社がありましたので、そこに駐車させていただきました。
そこから戻るように山の麓の道沿いに行きますと、細い道が左の方に見えますので、細い道に沿って行きます。
萩平山城址への分かれ道
この細い道を少しのぼると左側に「トピー工業線NO5」という小さな標識が見えます。そこから登っていきます。
萩平山城址への登り口
萩平山城址イメージ図
ひたすら山道を登っていきますと、やがて堀切に出くわします。
堀切
堀切からⅡ郭を通り過ぎると、Ⅰ郭との境目の堀が見えます。
堀跡
Ⅰ郭では虎口の跡もあるということでしたが、はっきり確認することはできませんでした。
周りの腰曲輪は確認することができました。
腰曲輪
萩平山城址は標高156mの小高い山にあり、登るのは少しきつかったですが、地図で確認すると平野部に突出したように山があり、見張り台としての砦にはぴったりであると思いました。
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