愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

小牧山城(3) 小牧市

2015年10月05日 10時58分48秒 | 小牧市
大手道
ぐるっとまわって大手道まで来ました。

大手道 中間から下のほう。発掘の結果、これよりも広く、幅5,4メートルあったことが分かったそうです。山麓より途中まで直線的に伸びています。

家臣の屋敷跡?
大手道の右側(東側)に広場がありました。何かイベントのようで人が集まっていました。この広場は、信長の家臣の屋敷跡ではないかと思います。「信長の城」では、山麓の大手道をわざと直線にしたといっています。直線にして防御性を弱くしたというのです。そして大手道が主郭に続く道は曲がりくねらせて、防御性を高めています。このことは、「個々の家臣の屋敷に独立した防御機能を発揮させないという、信長の強い意思の表れ」といいます。また、家臣の屋敷跡の堀や塀は山側に向かっては開かれていて、防御性を弱くしているといいます。

家臣の屋敷跡らしい広場

主郭への道
大手道はやがて細い曲がりくねった道になりました。

大手道2 主郭に繋がる大手道の入り口

主郭にたどり着く直前に曲輪らしいものが見えました。

主郭の直下ですから、守衛の曲輪なのかなと思いました。

主郭につきました。主郭は工事中です。小牧市のホームページによれば、主郭の虎口付近と東の虎口付近の発掘調査をしているとのことでした。また、行ってみて分かったことですが、資料館が10月15日までリニューアルのため閉館していました。残念。

主郭への虎口。奥に工事中の柵が見えます。

埋め戻した石垣
主郭では3段になっていたという石垣、信長が近くの山から運ばせたという花崗岩を見たかったのですが、ほとんどが工事中で見れませんでした。

主郭下の石垣の跡。もう少し発掘されているのですが、保存のために埋め戻したそうです。埋め戻すのは、保存のために致し方がありませんが、見学者が小牧山城の石垣を何らかの形で見ることができるようになっているとありがたいと思いました。


信長が運んだという花崗岩が台座になっている像。ブルーシートで覆われていて見えませんでした。

山麓の信長館跡
仕方なく下山し、信長館跡を見学しました。

この一帯だけ、周りに土塁が巡らされ、きれいになっていました。「信長の城」によれば、他の家臣と思われる曲輪は、山に向かっての堀や土塁などの防御装備が無いのですが、この曲輪だけは、四方を堀と土塁が巡らされているので、ほかの曲輪とは違い、信長の山麓の館ではないかといっていました。

初めて小牧山城を見学したのは、2013年でした。あの時は、「石垣の城の始まりとしての小牧山城」ということで認識していましたが、それだけではなく、家臣に対して絶対的な権力を持つ武将としての信長が築いた城ということが分かりました。

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