曲がりくねった上半分の大手道を行くと、大きくえぐられて、壁になっているようなところに出ました。もともとは石垣が貼ってあり、大手道を登ってきた者に見せる目的で造らせたそうです。ここでも、「見せる」城の遺構がありました。
本丸に造られた石垣の壁の跡
本丸の頂上の方に登っていきますと、模擬天守への階段の脇に石垣の跡がありました。裏込石がそのまま見えています。
露出している石垣の跡
模擬天守の入口に銅像がありますが、その下の大きな石は、花崗岩だそうです。他の石垣の石は、小牧山にあるものを切り出していますが、花崗岩は小牧山にないので、どこかから運んできたものと考えられています。どのようにして運んできたのか、謎になっているそうです。現在は、二つに割られています。
2つに割られている花崗岩
模擬天守ですが、モデルにした建造物は、京都の西本願寺飛雲閣だそうです。名古屋市在住の平松茂(故人)が私財を投じて建設したのだそうです。ので、瓦に平松さんの紋が彫ってあるそうです。
模擬天守瓦の平松氏紋
模擬天守を後にして、下っていきました。途中徳川家康による竪堀がありました。かなり深くえぐってありました。
小牧山中腹の竪堀
また、石垣のために使った石の石切り場もありました。
石切り場
この後、「れきしるこまき」の展示物を見て、見学会は解散しました。
小牧城は、現在発掘調査が継続中で、特に信長の遺構が多く見つかっています。以前は、岐阜攻めの砦のような位置づけでしたが、今は、本格的な城下町をめざしていたこと、また岐阜、安土につながる城づくりの原点であることが判明しつつあるそうです。小牧山城は、目が離せません。
本丸に造られた石垣の壁の跡
本丸の頂上の方に登っていきますと、模擬天守への階段の脇に石垣の跡がありました。裏込石がそのまま見えています。
露出している石垣の跡
模擬天守の入口に銅像がありますが、その下の大きな石は、花崗岩だそうです。他の石垣の石は、小牧山にあるものを切り出していますが、花崗岩は小牧山にないので、どこかから運んできたものと考えられています。どのようにして運んできたのか、謎になっているそうです。現在は、二つに割られています。
2つに割られている花崗岩
模擬天守ですが、モデルにした建造物は、京都の西本願寺飛雲閣だそうです。名古屋市在住の平松茂(故人)が私財を投じて建設したのだそうです。ので、瓦に平松さんの紋が彫ってあるそうです。
模擬天守瓦の平松氏紋
模擬天守を後にして、下っていきました。途中徳川家康による竪堀がありました。かなり深くえぐってありました。
小牧山中腹の竪堀
また、石垣のために使った石の石切り場もありました。
石切り場
この後、「れきしるこまき」の展示物を見て、見学会は解散しました。
小牧城は、現在発掘調査が継続中で、特に信長の遺構が多く見つかっています。以前は、岐阜攻めの砦のような位置づけでしたが、今は、本格的な城下町をめざしていたこと、また岐阜、安土につながる城づくりの原点であることが判明しつつあるそうです。小牧山城は、目が離せません。
新しく、城内の一部に展示館ができたそうですが、かつての市役所の跡地ですか。
何が建つんだろうかと、いつも見学の時に気になっていたのですが、展示館ができたとは。是非、一度見に行きたいですね。
コメントありがとうございます。
新しくできた展示館は、「れきしるこまき」と言います。まあ、「小牧の歴史を知ろう」という意味でしょうか。
http://komakiyama.com/rekishiru/
こちらに、ホームページがあります。小牧市民文化財団という所のサイトです。
愛知県にお越しの際は、一度お立ち寄りください。入館料は、山の上の博物館と合わせて、100円という超お得な設定です。