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醍醐味

2007年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム
家で風呂に入る時は、一番最後に限る。

唐突に宣言する程の事ではないが、一番最後に風呂に入りたい。
各家庭でどうなっているか知らないが、我が家では
昔から風呂に入る順番は決まっている。

“男の年長者から順に入る”

昔ながらの、そして田舎ならまだこんな感じなのかも知れない。

僕が生まれた当時は、大人数の家庭だった。
じいさんや婆さんも居たし、小学6年生までは、“曾婆さん”までいた。

後に、“一番風呂は身体に良くない”って聞いた事があるが、
そんな事おかまいなぁ~しぃ!
じいさんは、颯爽と一番風呂を楽しんでいた。

僕が小学6年生の時に、今風で言えば家を“リフォーム”して
それまでの“五衛右門風呂”から最新式の風呂に代った。

一番風呂フリーク(?)のじいさんは、もちろんこの時も誰よりも早く
湯舟に浸かったが、あまりの嬉しさにその後、2度も風呂に入った。


そんな色んな思い出も詰まった風呂。
いまでも勿論、親父から入って、男性陣が入ってしまってから
女性陣が入るのである。

弟や妹が帰って来た時にも、同様である。

が、しかし、

最近では、徐々にそれも崩れつつある。
崩壊ではなく、利便性を取れば、その“慣習”に縛られていると、
無駄な時間が出てしまうのである。
それを無くすためには、柔軟性に飛んだ発想で、
入れるモノが入ったほうが、効率も断然よくなる。

で、「最後に入るに限る」となるわけだ。

必然的に、最後に風呂に入るようになったのは最近なわけだ。
今まででは発見出来なかった事を、初めて知った。

最後の風呂。

湯を落として出るのだが、僕は湯が全て流れ落ちるまで湯舟に
つかったままでいるのだ。
全て落ち終ったあと、シャワーで湯舟を改めて流すためだ。

で、大発見。

湯舟の水位が徐々に下がって行き、温まっていた身体が
反比例で徐々に冷えて行く。そのときである。

水位はもうすぐ“0センチ”にならんかとする、その時、
僕の“キャンタマ袋”から、その

水面

が離れていく時の、何とも言えないノスタルジー

切ないと言うか、何とも言えない感情が沸き上がる。


これを体感するには、一番最後に入る必要があるのだ。

 


コメント
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