おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

200Q

2009年08月27日 | 本と雑誌
久太郎には毎日愉しみにしている時間があった。
それは、自分自身で見つけ出したモノであったが
それは与えられた時間だと、それなりに理解もしていた。
 
あらかじめ決められたルールに従って行動することは、
久太郎にとって、苦痛ではなかったし、
出来ることなら、毎日の時間は決まって欲しいと思っていた。
同居している父親は、日課の晩酌を済ませ、
テレビを一通り見た後、就寝時間まで横になることが多い。
テレビから漏れる雑踏の中で、睡魔に身を委ねる心地よさは
誰もが経験したことのある、平和なひと時だ
だが、久太郎にとっては、少々困ることでもあった。
 
決まった時間
親父が寝室に移動する時間は、日によって違っている。
久太郎も、それに関しては行動を起こさない。
 
「仕方がない」
 
久太郎はひとりで言い聞かせるように呟く。
平和なひと時は、自分で区切りをつけるものだと・・・・
しかし、久太郎の時間(ひとりで過ごせる時間)は
全ての音を消し去ることから始まる。
テレビの音も勿論消す。
親父の眠りにとっては適度な雑音が、久太郎には
無用の、まさに雑音にしかならない。
それは、音楽が流れることさえ拒む。
静けさの中から、久太郎の世界が始まる。
 
最初から無音を好んだわけでもない。
幼い時には馴染みの無かった音楽も、
成長するにつれ、友達の影響もあり選んで聴くようになった。
最初に耳にしたよ洋楽は、ポール・モーリアだったか?
カセットテープがあった。
ビリー・ジョエルも聴き漁った。いや、一時期の流行りか?
名前は思い出せるが、その旋律は蘇えってこない。
 
ニホンゴの歌詞は、読書の時には馴染まない。
目が文書を追いながら、耳は時折、メロディに流される。
それはたとえ、ASIAN KUNG-FU GENERATIONであっても
GOING UNDER GROUNDだとしても
同じだった。
 
とにかく、無音が何よりの条件なのだ。
 
「早く寝ろよ!」
 
毎日、寝室へ向うときには、
親心で心配ごとを口にしてから、親父は床につく。
久太郎はそれを見送った後、おもむろに冷蔵庫へ向う。
大き目のグラスジョッキに製氷機から取り出し物を
無造作に投げ入れる。
夏の定番は麦茶だが、もらったオレンジジュースをチョイスした。
電球が一つ切れたシャンデリアの下、
やっと訪れた自分の時間を確認。
 
「1時間と28分か」
 
腕時計を傍らに置き、就寝時間までを逆算してみせ、
カバンから本を取り出す。
分厚く重い本。
毎日、新たなページを開けるたびに、
貸してくれた人の顔を思い出す。
でもその顔はすぐに消えていく。
頭の中の景色は、徐々に小説の中の書割へと変貌を遂げる。
いや、小説の中に風景はないのだが、
それとは無関係に、叙情的な心境が湧き上がってくるのを、
抑えきれないと、自分で自分をコントロールしているのだと思う。 
 
主人公に想いを馳せ、自分の時間として
ページを捲り進むひと時。
 
「オレって、こんなに読書が好きだったか?」
 
声に出さずに、呟いてみた。

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする