未熟なカメラマン さてものひとりごと

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宇治平等院の紅葉も素晴らしい。 平成26年11月17日(月)

2014-11-24 22:21:16 | 紅葉


美しく紅葉した境内のモミジ

(昨日の続き)
心配した昨日の27,000歩の影響もなく、京都駅構内の喫茶で軽い朝食をとったあと、奈良線で宇治に向かいました。電車には欧米人の団体やアジア系の観光客もいて、さすがに観光都市京都だと思いました。
 宇治駅から歩いて10分ほどで平等院に到着です。拝観受付までの境内のモミジ、本格的紅葉はもう少し先のようでしたが、葉の状態は素晴らしく、紅葉したらどんなに美しいことかと思いました。 

表門前の受付から中に入りましたが、鳳凰堂の拝観は別途料金が必要でした。待ち時間を尋ねると1時間半とのこと、事前に情報は得ていましたが、こればかりは仕方ありません。指定時間の5分前にはこちらにお集まりくださいとのことでした。鳳凰堂の外装はきれいに塗り替えられて、平安の姿を今に伝えています。前面に池(阿字池)がありその姿を映しだし、被写体として実物とセットで撮影できますが、残念なことに池の水が還流していないため濁っていました。宇治川の水を引いて何とか循環できないのかと思いました。



外装の修復が完成し、見事に蘇った宇治平等院鳳凰堂

正面から左手に回り、鐘楼あたりまで来ると、カエデがきれいに色づき始めていました。特にミュージアム周辺のカエデは見事に紅葉し息を呑むほどの美しさでした。こちらも葉の痛みが少なくとてもきれいな紅葉です。ミュージアムの宝物を見学したあと、いよいよ鳳凰堂の見学です。最初に係りの方から注意事項の説明があり、そのあと赤い太鼓橋を渡って中に入ります。

外装と違って内部は建築当時の顔料が残っているため、今回の修理では内部の彩色は一切行われていないようです。中央にどんと存在感のある阿弥陀如来像、壁面には、雲に乗って楽器を演奏する数十体の雲中供養菩薩像、創建当時の美しさは想像するだけですが、とても華やかでまさに極楽浄土そのままだったのでしょう。



ミュージアム周辺のモミジは特に美しい。


ミュージアムの休憩所は和洋折衷のデザイン

平等院からの帰り、表参道の老舗のお茶屋を見て帰ることにしました。実は宇治にきたら是非訪ねてみたいと思っていたところがあったのです。それは、数ヶ月前のTVの番組「YOUは何しに日本へ」で、江戸時代からつづく老舗のお茶屋さんの婿に入った青い目の青年の話でした。それらしい人がいないかお店の覗き込むようにみていたら、いました。中で訊いてみるとまさに、そのとおり。流暢な日本語で、いろいろ説明をしてくれます。この老舗のお店は、上林三入(かんばやしさんにゅう)といい江戸時代天正年間から続くお店のようです、せっかくなのでお土産に何点か購入し、お礼を言ってお店をあとにしました。

お腹がすいたので、途中でみかけた手打ちそばのお店に入ることにしました。人気店らしく店内は満員のようでしたが幸運にも2席だけ空いていました。注文したのは、そばと茶そばの2色そば定食。打ちたてのそばと蕎麦いなりは絶品でした。ずっと行列で待っていたアジア系の外国人カップル、カウンターで食べていた二人連れの欧米人(女性)。お勘定のとき、にこっと、笑って「デリシャス」と言っていたのが印象的でした。お店の主人をはじめスタッフの方の対応も素晴らしく、店がはやるはずだと思いました。このあと、もう一軒、中村藤吉本店という老舗のお茶屋に寄ってお土産を買い、宇治をあとにしました。
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清水寺のライトアップ 平成26年11月16日(日)

2014-11-23 22:54:06 | 紅葉

茶わん坂で見た扇子のお店

右京区の神護寺・西明寺・高山寺を訪ねたあと、ホテル(ホテル近鉄京都駅)にチェックインし、しばらく休憩して夕食を済ませたあと、清水寺のライトアップを見に行くことにしました。

京都駅から清水寺への交通手段は市バスを利用し東山あたりで降りるのが一番だと思いますが、なにせ普段からバスに乗ることに慣れていないため、地下鉄で五条駅(一区間)まで行き、無謀にもそこから清水寺まで、歩いていくことにしました。

距離があるのはわかっていましたが、こんなに遠かったかなと、ずいぶん歩いた感じでやっと東山に到着。それから茶わん坂を歩き清水へと向かいます。時刻は夜の7時を過ぎていて、もう商店もほとんど閉まっていました。ただ、若いカップルなど道路は大変な賑わいでした。ここでひとつ気になっていたことがありました。清水寺方面から夜空に向けて青いレーザー光線のようなものが放たれているのです。お寺と光線とは相いれないような気がするのですが、あれはいったい何を意味するのでしょう。



清水の舞台と紅葉 青いレーザー光線が気になります。

そのとき、人の流れが突然止まりました。お寺はまだまだ先なのですが、どうやら拝観券を買い求める人が列をなしているようです。ここはおとなしく順番を待つしかありません。ようやく拝観券を購入し、仁王門方面に進むと、清水坂にも同じように券を買い求めるすごい行列ができていました。

その様子は、まるで初詣のようです。紅葉の見ごろはもう少し先のはずなのですが、この混みようはとても理解できません。境内に入りライトアップされたモミジが見える場所がありましたが、そこには撮影しようとする人の波が幾重もできていました。ほとんど若い人たちでしたが、私もせっかくなので後ろに並びました。先端は満員電車以上の混みようでなかなか前に進みません。一番前には見晴台のようなものがあり、やっと私の順番が来て台に足を掛けたところ少しよろけてしまいました。



京都市内の夜景

すると周りにいた若い人たちが「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれたり、手を差し出したりしてくれました。このあと舞台に移動しましたが、こちらは意外にも先ほどのような混雑はなく、ゆっくりお参りできました。ここから舞台が撮影できる子安塔方面に移動しますが、京都市内の夜景と舞台をワンカットできる撮影場所はなかなか確保できません。

「立ち止まらないでください!」と繰り返し呼びかける係員の声。しかし通路の半分は撮影する人たちで埋まっています。三脚は使用できないとわかっていましたが、暗いためどこかカメラを固定できる場所はないか探しながら移動しました。あまり期待はできませんが、とりあえず枚数だけは撮り、来た道を帰ることにしました。地下鉄の五条駅までなんと遠かったことでしょう。

普段は歩くことをむしろ楽しむぐらいですが、さすがに今日は疲れました。ホテルに着いて歩数を確認すると、なんと27,000歩。明日は宇治平等院へ行く予定ですが、普通に歩けるだろうかと、少し不安が残りました。(平等院の紅葉につづく) 



舞台の木組みもライトアップされています。
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京都の紅葉を愛でる 神護寺・西明寺・高山寺 平成26年11月16日(日)その2

2014-11-21 21:33:34 | 紅葉

西明寺に通じる赤い橋

前回のつづき 神護寺から西明寺、高山寺へ)
神護寺の急な石段を降りて橋を渡り、清滝川に沿って歩くと10分ほどで西明寺に到着します。赤い橋がモミジに合ってとても絵になります。そこから急な参道を数分程上がるとお寺の表門が見えてきます。

表門前にある苔むした石塔と春日灯籠、眼下に流れる澄み切った清滝川、とても落ち着いた佇まいです。このお寺は、もともと神護寺の別院として創建されたのが始まりと伝えられています。槇尾山西明寺といい、高雄山神護寺、栂尾山高山寺とともに三尾の名刹として広く知られています。

境内はそれほど広くはありませんが、紅葉は見事で特に表門横の鮮烈な赤のモミジはとても印象的で、他で類を見ないほどです。
正面に見える本殿は、元禄13年(1700)に五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の寄進によって再建されたそうです。広縁から眺めるお庭は心が休まる感じがして、時が経つのを忘れてしまいそうです。まさに一服の清涼剤といったところでしょうか。



橋のたもとのモミジ


このあと西明寺を出て、最後の目的地、高山寺に向かいました。清滝川の沿道から道は周山街道に出ます。交通量が多いので歩くのも注意が必要ですが、自動車の運転者の方がもっと気を使うでしょう。 

自然石の石柱に高山寺と書かれた寺標が目に留まりました。表参道入口です、緩い石段を進むとそこはこんもりとした杉の林、陽は容易に差し込まず、日中だというのにうす暗い感じがします。空気もどこかシンとして、霊験あらたかな雰囲気です。案内表示に国宝「石水院」がありました。入山料の他に別途拝観料が必要ですが、せっかくの機会なので行ってみることにしました。

パンフレットによると、明恵上人が後鳥羽院より学問所として賜った建物で、上人時代唯一の遺構である、とありました。もともと金堂の東の位置にあったものを現在地に移したそうです。高山寺といえば、何といっても「鳥獣人物戯画」ですね。ガラスケースに複製(写し)が展示されていました。最初わからずに、受付に戻って、「あれは、本物ですか?」と尋ねると、係の人「いいえ、違います。本物は京都国立博物館に出品しています。」とのことでした。



紅葉の庭を愛でながら座っていると時間を忘れてしまいそうです。

石水院からの紅葉を楽しんだ後、客殿で抹茶をいただき、再び境内を散策することにしました。一番きれいだったのは開山堂にかかるモミジでした。このあと金堂まで廻って高山寺をあとにしました。このとき、バスの停留所を間違えて槇尾まで戻ってしまったから大変です。一番近いのが栂尾で石水院からすぐのところだったのですが、参道を降りたため、気付かずうっかり引き返したのです。

当然のことながらやってきた臨時バスは満員状態でした。「行きはよいよい帰りは恐い!」ではありませんが、バスは何度も渋滞にかかり、結局、立ちっぱなしで、行きの倍の時間(1時間20分)がかかってやっと京都駅に到着したのでした。ホテルにチェックインし、少し休憩したあと清水寺のライトアップを見に行くことにしました。実はこれが大変だったのです。(つづく)


開山堂のモミジは見事です。
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京都の紅葉を愛でる 神護寺・西明寺・高山寺 その1 平成26年11月16日(日)

2014-11-19 21:32:39 | 紅葉

名物高雄だんごを売る茶店 焼きたてのほかほかよもぎだんごは、クセになりそう

11月16日(日)、京都の紅葉、見ごろが比較的早い右京区の三尾(高尾、栂ノ尾、槇の尾)を初めて訪ねました。新幹線で京都駅に着いたのが、午前10時前。駅前のチケットセンターでJRバスのフリー切符を買い、バス乗り場に並びました。通常なら30分に一便程度ですが、シーズンでは臨時バスが随時運行されています。

並んだ頃は、バスがちょうど出たあとだったので、次のバスではかならず座れるはずと安心していました。私たちの前には中国系アジア人の数人のグループ。そして待つこと15分、臨時バスがやってきました。後ろには、あっという間にすごい行列ができていました。臨時バス、通常なら所要時間50分のところですが、臨時便は停まる停留所が少ないので40分とのことでした。バスは満員スシ詰め状態で立っている人を気の毒に思いました。  

40分ほどで、神護寺最寄りのバス停「山城高尾」に到着すると、付近は観光バスでごったがえしていました。案内板を頼りに坂道を下るとまず見えてくるのが清滝川です。橋のたもとに、焼き立てほかほかのよもぎだんごを売る茶店があったので、本番を前に少し休憩していくことにしました。名物のお団子は、あんこ入りのよもぎだんごとみたらし風のいそべだんごでしたが、ここは両方をいただくことにしました。それにしても、ちょうど見ごろを迎えている神護寺、相当な人出でした。河原に降りてくつろいでいる人の姿もありました。



紅葉の下で休憩をとる人たち

そして目の前には、立ちはだかるように急な石段が続いています。これを克服しないと神護寺の紅葉を愛でることはできません。石段は約350段あるそうですが、ここはあわてずゆっくり上ることにしましょう。
ところどころに食事処があり、紅葉を楽しみながら大勢の人がお昼を摂っていました。石段も終盤にさしかかると、次第に体も汗ばんできます。やがて楼門に到着です。多くの人が記念撮影をしています。楼門を潜るとそこは広い境内。なぜかほっとします。ところどころに目の覚めるような紅葉が見られ、まさに見ごろ状態となっていました。



楼門前の見事なモミジ

かわらけ投げと、案内板があったので、まずそちらに向かうことにしました。坂道を上がると目の覚めるような紅葉が出迎えてくれました。かわらけは2個で100円でした。眼下に広がるのは見事な眺望です。このあと、適応な場所を見つけて昼食にすることにしました。家で作ったおにぎりを持参していました。場所も場所だけにそのおいしさは格別です。


神護寺を代表する紅葉の風景です。

このあと境内を抜け、再び石段を登ると金堂が見えてきました。この石段周辺の紅葉は神護寺を象徴する景色となっています。金堂に上がると、まずお参り。このお寺は和気清麿の開創で、弘法大師空海も十数年にわたって住持を勤めたといわれています。神護寺で有名なのが日本史の教科書でかならず登場する、国宝「源頼朝の肖像」です。金堂には複製画が置いてありました。薬師如来像に手を合わせたあと、さらに奥にある多宝塔へ向かいました。

多宝塔は、昭和の建築だそうですが、とても美しく、モミジがかかる塔は実にさまになります。こうして1時間程、神護寺の紅葉を楽しんだあと、清滝川沿いの道を進んで、次の目的地、西明寺に向かいました。(つづく)



多宝塔の紅葉も見事です。
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燃える七変化 田中苑の楷の木 (岡山県井原市)

2014-11-12 23:28:37 | 紅葉

田中苑の楷の木 遠くに鏡獅子の像

岡山県・閑谷学校の境内にある2本の楷の木(カイノキ)の紅葉は有名ですが、岡山県内には、もう一か所あまり知られていない楷の木の名所があります。それは井原市役所の北側にある田中苑(でんちゅうえん)の楷の木です。

イメージ的には、柳のような細長い薄い葉が垂れ下がっている感じですが、実際は葉の長さ、6㎝から9㎝の小さな葉で垂れさがっているのではなく、葉をよく見ると笹の葉のような配列(偶数羽状複葉)をしており、その枝ぶりは、全体的にとても優しげな印象を与えます。紅葉は、例年11月の初め、文化の日あたりが一番の見ごろとなります。今年は、紅葉する前に落ちてしまうものも多く、残念ながら全体的にボリューム感が今一つ感じられません。

この楷の木、紅葉しているのは、陽の当たっている表側の部分のみで、方角も南側、西側、東側だけ、北側から見ると緑のままであり、真下から見上げても緑か薄い黄緑色で、あの美しい紅葉はとても想像もできません。この内側の葉は最終的に緑色が黄色に変色した段階で、赤く色づくこともなく落ちてしまうようです。

それにしても美しいのは、その紅葉の変化です。赤い部分、黄色の部分、緑の部分とそのグラデーションは、まさに七変化、言葉に表せないほど見事です。陽のあたる表側の発色も燃えるように美しく、感動さえ覚えます。



グラデーションが美しい

ちょうど私が写真を撮っていると、遠方から来たと思われる老人が話しかけてきました。「今年は、閑谷学校の楷の木が、台風の影響かなにかでまったくだめ、井原にもあると聞いてやってきた。比較にならないほど美しい。」というようなうれしいコメントでした。今年の田中苑の楷の木、この素晴らしい紅葉を、是非、市外の方にも見てもらいたいと思うのです 

この田中苑の楷の木ですが、昭和50年頃、日本のビール王と言われた馬越恭平翁の孫にあたる人が中国から3本の苗を持ち帰り寄付されたものだそうです。ということは、樹齢40年ということになります。
ちなみに、閑谷学校の偕の木は、大正4年(1915年)に同じく中国孔子墓所から種を採取し育苗されたものの内の2本です。単純に計算しても樹齢は100年になります。例年、11月初旬にライトアップされます。しかし樹齢100年は老木かというと、そうでもないらしく、一説には樹齢は700年に達し、樹高は30mにもなるそうです。とにかく日本では、非常に少ない木として珍重されています。

また、楷の木、中国では模範の木とされており、日本においての書体の「楷書」の語源とされているようです。



燃えるように美しい紅葉


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