未熟なカメラマン さてものひとりごと

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吉岡銅山跡から鯉が窪湿原へ

2010-09-02 21:08:13 | 歴史

ひろばの雑草

目的地の吉岡銅山跡に着き、とりあえずほっとしました。少々膝がガクガクしています。目の前には学校の運動場にも匹敵するような広塲があり、桜でしょうか、若い木が等間隔に植栽されています。これから数年後の桜の咲く頃には、ファミリーで大いに賑わうことでしょう!しかし、残念なことに今は雑草が生い茂っていました。それも半端ではありません。家族から、ヘビが出るので無理をしないようしっかり念を押されて家を出た私ですが、折角来たので、それでも少し冒険しないわけにはいきません。「選鉱場」、「精錬所」「沈殿池」「煙道」など、しっかり足元をみながら進みました。崩れかけたレンガ造りの建物や坑道の入口(木の蓋がありましたが、朽ちていました)。沈殿池の縁に登ってみると、中にきれいなスイセンがたくさん咲いていました。ただ、いまひとつ全体像がつかめず、この遺構がどういうものでいつまで使われていたものか、当時、どのような施設がありどのような役割をしていたのか、図で紹介してあるとよかったと思いました。これからだんだんと整備されるのでしょうね!ただハイキング感覚で来る分にはいいでしょうが、車では、途中交わすところがないので、そういう意味では大変です。最初の立派な案内板を見ると、気になって来る人も結構多いのではないでしょうか!いずれにしても、完全に閉山となった昭和47年当時の遺構でしょう!この吹屋・吉岡銅山に、あの住友、三菱の二大財閥が大きく関わっていたことがとても興味深いところです。


レンガ造りの建物

 ひと通り見て帰るとき、注意事項が書かれた看板が目にとまりました。「茂みには決して入らないように!マムシが待っています」とありました。よかった、会わなくてと、山道を帰りましたが、「行きは、よいよい、帰りは怖い」この季節の急な坂道、何と遠く感じたことか。体は汗でびっしょりです。カメラさえもとても重く感じます。
マムシといえば、井原市内美星町の青空市場でいつか見た「マムシあります」の提げ札のことを思い出しました。なんと生きたマムシをビンに入れて売っているのでした。
(知識)
マムシは夜行性で、冬眠前後の冬と、こどもを生む7月頃の雌、以外は日向には出てこないようです。特に湿気のあるところを好みます。池、たんぼ近くの深い茂みでひっそりしているところに足を踏み入れると大変なことになります。

そんなことを思い出しながらゆっくり山道を登っていきますが、もう息も絶え絶え、足腰にもこたえます。すると突然、前方に蛇が!一瞬、ドキッとしましたがマムシではないようでした。
やっと車まで戻り、次の目的地、鯉が窪湿原を目指します。道順はナビ任せ。最短コースを選択すると県道50号線とありました。道はだんだん細くなり、対向車が来たらどうしようと思うようなところも何箇所かありましたが、反面人家があるようなところはゆったり2車線になっていて、しばらくこの繰り返しでした。そしてやっと次の目的地、鯉が窪湿原に到着しました。(つづく)

コメント
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