おいしい紅茶のお店で、ひと息ついた後、再び散策を開始しました。まず目についたのが全面透明なガラス戸で、作業場が丸見えの「桶重」さんです。中に年配の男性が一人。ここは桶屋さんのようで、小さな木片(パーツ)をあてがい、当たり具合を見ているようでした。実に細かい作業です。表の看板に創業明治15年とありますから、相当な歴史があるわけです。中が丸見えというのは、作業場にせいいっぱいの自然光を取り入れて作業をしやすくすること、実際の細かい手作業をみてもらい、確かな商品作りをお客さんにも目で見て感じ取ってもらうということでしょうか。それで思い出したのが、昨年、広島県大崎下島を訪れた際、みた古い島の時計屋さん=松浦時計店です。確か日本で最も古い時計屋ということでした。作業場で、仕事に集中できるのは自然光がいい角度で入る限られた時間ということでした。
さて、次に訪ねたのが、眺関亭(ちょうかんてい)。空き地を利用した小公園、百六里庭の中にあります。眺関亭は、通りに面した鉄筋コンクリート製の町屋風建物。うまく考えたもので屋根の一部がくり抜かれ、展望台となっています。ここから地蔵院方面の中町の通りを眺めるとなんともいい感じなのです。一番の施設である玉屋歴史資料館や関の戸の庵看板もよく見えます。逆に通りからこの眺関亭を見ると、展望台にいる人の顔だけが覗いてなかなか滑稽でおもしろいと思いました。
次に、まちなみ資料館を訪ねました。この資料館では、関の文化財の紹介や関宿に関係する歴史資料が展示されています。
表に「ばったり」があり、中に入ると受付(帳場)がありました。そして奥に箱階段も見えます。でも声をかけても係の人が出てこなかったので、先ほどの桶重さんのめずらしい縁の瓦を見忘れたことを思い出し、見に引き返しました。そして再び戻ってくると受付に女性の姿がありました。入館料は、もう一つの玉屋歴史資料館と合わせ300円、かなり良心的なお値段です。
土間の奥にあった明治時代の自転車を見たあと、座敷に上がりました。小さな山車などいろいろな文化的資料が展示されています、二階には、町並みの保存事業における変遷の様子がわかる長い資料も展示されていました。
まちなみ資料館を出ると、玉屋の手前に石垣屋という旧町屋を利用した素泊まりの旅館がありました。道路側の間に、昔のものが雑然と置かれています。そしてずっと奥に目をやると坪庭が見え、またその向こうに離れ座敷があるようでした。こういうところに泊まると、昔の旅籠気分が味わえるかもしれませんね。あとで知りえた情報では、こちらには土間にワンちゃんがいたそうで、見ればぜひ撮っておいたのにと、甚だ残念に思いました。
そして、そのお隣が、玉屋歴史資料館です。受付で簡単な説明を聞いたあと、通りに面した店の間にあがりました。通り側の戸はすべて開け放たれ、通りから丸見えです。こちらにも奥に坪庭があり、その向こうに離れ座敷が見えます。階段があったので二階に上がってみることにしました。それにしても上がりにくい階段です。段の感覚が狭く、躓きそうでした。二階には、当時の旅籠の様子が再現されています。
寝具が敷かれた間、小さくて高くて堅そうな枕、すべて質素です。そして食事の配膳の様子、整然と並べられています。
座敷を降り、土間で懐かしいかまどを見て、裏に出ると、これまた立派な土蔵がありました。中は、浮世絵の展示室になっているようでした。
玉屋歴史資料館を出たところで、アンケートの協力を求められました。亀山市観光協会の委嘱を受けた年配の男性の方です。亀山市に来た目的、交通手段、何泊か、何回目かなどを尋ねられました。「関宿だけを見に来た、高速バス・JRで岡山から、日帰りで初めて」と答えたところで、お礼に携帯のストラップをいただきました。
次にやってきたのが、銘菓「亀の戸」で知られる深川屋です。それにしても立派な庵看板です。例によって、亀の戸の文字が、江戸側がひらがな、京都側が漢字になっています。金の文字がとてもきれいで、最近、改修されたのでしょうか。
こちらで、お土産を買うことに決めていたので、躊躇なく店に入ると、「ピポーン」とセンサーでチャイムが鳴り、すぐに奥から店の方が出てきました。「いらっしゃいませ!」
こちらも条件反射的に「関の戸をください!」と言ってしまいました。箱の大きさで、大・中・小とあり、中のものを買い求めました。ほんとは店内に飾られた古いものにも興味があったのですが、見ず仕舞いでした。
お店から出て、中町の通りを進むと、建物が重要文化財の地蔵院が見えてきました。通りの反対側には会津屋など、風格のある建物が並んでいます。このあたりがその昔、一番の賑わいを見せたところでしょうか。
これから先が新所の町並みですが、うってかわって閑静な佇まいです。ほとんど人影が見当たりません。このあたりでパンフレットにあった漆喰彫刻を確認することにしました。なるほど、言われなければ、気づかずに行ってしまいそうですが、虎や鶴、亀など彩色をしていない小振りながら凝った彫刻がありました。まさに職人芸ですね。縁起の良いもので子孫繁栄を願ったものでしょうか。そこで、以前、四国の内子町で見た鏝絵(こてえ)を思い出しました。土蔵に描かれた本芳賀家の彩色された豪華な鶴と松の鏝絵は、いまでもよく覚えています。
新所の町並みの西の端、西の追分まで行ってまた引き返しました。この関の町並み東西1.8キロですから、往復3.6キロ歩いたことになります。駅から通りまでの往復の距離を入れると確実に4キロ以上、でもほとんど疲労感はありません。
時間も残り少なくなってきました。それにしてもきれいな空、町並みと空のブルーの取り合わせはとても美しく、最後にこの景色を忘れまいと思いながら関をあとにしました。家に着くのは午後11時前の予定です。(終わり)
さて、次に訪ねたのが、眺関亭(ちょうかんてい)。空き地を利用した小公園、百六里庭の中にあります。眺関亭は、通りに面した鉄筋コンクリート製の町屋風建物。うまく考えたもので屋根の一部がくり抜かれ、展望台となっています。ここから地蔵院方面の中町の通りを眺めるとなんともいい感じなのです。一番の施設である玉屋歴史資料館や関の戸の庵看板もよく見えます。逆に通りからこの眺関亭を見ると、展望台にいる人の顔だけが覗いてなかなか滑稽でおもしろいと思いました。
次に、まちなみ資料館を訪ねました。この資料館では、関の文化財の紹介や関宿に関係する歴史資料が展示されています。
表に「ばったり」があり、中に入ると受付(帳場)がありました。そして奥に箱階段も見えます。でも声をかけても係の人が出てこなかったので、先ほどの桶重さんのめずらしい縁の瓦を見忘れたことを思い出し、見に引き返しました。そして再び戻ってくると受付に女性の姿がありました。入館料は、もう一つの玉屋歴史資料館と合わせ300円、かなり良心的なお値段です。
土間の奥にあった明治時代の自転車を見たあと、座敷に上がりました。小さな山車などいろいろな文化的資料が展示されています、二階には、町並みの保存事業における変遷の様子がわかる長い資料も展示されていました。
まちなみ資料館を出ると、玉屋の手前に石垣屋という旧町屋を利用した素泊まりの旅館がありました。道路側の間に、昔のものが雑然と置かれています。そしてずっと奥に目をやると坪庭が見え、またその向こうに離れ座敷があるようでした。こういうところに泊まると、昔の旅籠気分が味わえるかもしれませんね。あとで知りえた情報では、こちらには土間にワンちゃんがいたそうで、見ればぜひ撮っておいたのにと、甚だ残念に思いました。
そして、そのお隣が、玉屋歴史資料館です。受付で簡単な説明を聞いたあと、通りに面した店の間にあがりました。通り側の戸はすべて開け放たれ、通りから丸見えです。こちらにも奥に坪庭があり、その向こうに離れ座敷が見えます。階段があったので二階に上がってみることにしました。それにしても上がりにくい階段です。段の感覚が狭く、躓きそうでした。二階には、当時の旅籠の様子が再現されています。
寝具が敷かれた間、小さくて高くて堅そうな枕、すべて質素です。そして食事の配膳の様子、整然と並べられています。
座敷を降り、土間で懐かしいかまどを見て、裏に出ると、これまた立派な土蔵がありました。中は、浮世絵の展示室になっているようでした。
玉屋歴史資料館を出たところで、アンケートの協力を求められました。亀山市観光協会の委嘱を受けた年配の男性の方です。亀山市に来た目的、交通手段、何泊か、何回目かなどを尋ねられました。「関宿だけを見に来た、高速バス・JRで岡山から、日帰りで初めて」と答えたところで、お礼に携帯のストラップをいただきました。
次にやってきたのが、銘菓「亀の戸」で知られる深川屋です。それにしても立派な庵看板です。例によって、亀の戸の文字が、江戸側がひらがな、京都側が漢字になっています。金の文字がとてもきれいで、最近、改修されたのでしょうか。
こちらで、お土産を買うことに決めていたので、躊躇なく店に入ると、「ピポーン」とセンサーでチャイムが鳴り、すぐに奥から店の方が出てきました。「いらっしゃいませ!」
こちらも条件反射的に「関の戸をください!」と言ってしまいました。箱の大きさで、大・中・小とあり、中のものを買い求めました。ほんとは店内に飾られた古いものにも興味があったのですが、見ず仕舞いでした。
お店から出て、中町の通りを進むと、建物が重要文化財の地蔵院が見えてきました。通りの反対側には会津屋など、風格のある建物が並んでいます。このあたりがその昔、一番の賑わいを見せたところでしょうか。
これから先が新所の町並みですが、うってかわって閑静な佇まいです。ほとんど人影が見当たりません。このあたりでパンフレットにあった漆喰彫刻を確認することにしました。なるほど、言われなければ、気づかずに行ってしまいそうですが、虎や鶴、亀など彩色をしていない小振りながら凝った彫刻がありました。まさに職人芸ですね。縁起の良いもので子孫繁栄を願ったものでしょうか。そこで、以前、四国の内子町で見た鏝絵(こてえ)を思い出しました。土蔵に描かれた本芳賀家の彩色された豪華な鶴と松の鏝絵は、いまでもよく覚えています。
新所の町並みの西の端、西の追分まで行ってまた引き返しました。この関の町並み東西1.8キロですから、往復3.6キロ歩いたことになります。駅から通りまでの往復の距離を入れると確実に4キロ以上、でもほとんど疲労感はありません。
時間も残り少なくなってきました。それにしてもきれいな空、町並みと空のブルーの取り合わせはとても美しく、最後にこの景色を忘れまいと思いながら関をあとにしました。家に着くのは午後11時前の予定です。(終わり)